警察からエンターテイメント業界へ、そして高校生の頃から興味を抱いていたアートの島に移住し転職。更には起業。エンジニアとして多くの経験を積んできた佐々木広武さんは「達成感とかやりがいが次の仕事の大きなエネルギーになりました」と語ります。
一見つながりがないようにも見える佐々木さんの職業選び、達成感はどうすれば得られるのか、成功のカギを握ったものは何だったのか?
4足の草鞋を履くまでに至った佐々木さんから、職業選択のヒントをいただきます!
目次
現在の佐々木さん
★佐々木 広武(ささき ひろむ)さん
★横山さん

4足の草鞋を履くエンジニア


The Naoshima Plan 「水」で案内をする佐々木さん



メンテナンスアドバイザーというのは、美術品や美術館に不具合が発生した際に、状態を確認して原因を究明し、適切な修復や修理方法を仕様化、最適な協力会社を選定して引き合いと施工の手助けをする仕事です。不具合の発生を予防するためのメンテナンス計画の立案や予算作成などもお手伝いしています。建築や設備だけでなく、ランドスケープと呼ばれる植栽や景観の維持管理計画にも参加しています。
2つ目は直島町が所有する「ふるさと海の家つつじ荘」という町営施設の運営です。指定管理者から委託を受けて宿泊施設と食堂施設の営業を行っています。島民に愛される歴史の長い施設ですから、スタッフ一同緊張感をもって業務にあたっています。
3つ目は建築家の三分一 博志(さんぶいち ひろし)さんが、直島の古民家を改修して作ったアート施設The Naoshima Plan 「水」の運営です。島のお年寄りと一緒に、春から秋に運営しています。最近は若いスタッフも増えて、島を訪れるゲストとの交流拠点となっています。
4つ目が2025年5月31日にオープンした直島新美術館に併設されている「& CAFE(アンドカフェ)」の営業です。アジアの作家さんによる現代アートをテーマにした美術館ですので、直島がアジアに繋がるようなメニューをスタッフみんなで開発しています。

「& CAFE(アンドカフェ)」でエプロン姿の佐々木さんに会えるかも






「直島塾」の活動で島内のゴミ拾い(後列右から4人目が佐々木さん)
好奇心に導かれて歩んだ佐々木さんのこれまで
科学への興味がエンジニアへの第1歩に

アマチュア無線と共に歳を重ねる


中学1年生の時にハム(アマチュア無線)の国家資格である無線従事者免許証を取得して、高校卒業まで「無線部」で活動していました。今ではインターネットやスマホなど「通信」の方法はすっかり変わりましたが、自分で電波が出せるアマチュア無線はとても面白く、この趣味は55年たった今でも続いています。つい最近も、ケニアのアマチュア無線家と交信したばかりなんですよ。もちろん、インターネットや国際電話を経由してではなく、庭に建てたアンテナから出る電波で直接、地球の裏側と交信したんです。すごいでしょう。


このアルバイトで初めて大型のコンピュータに出会い、研究員の方から「これ作ってみて」と簡単なプログラミングをさせてもらったのです。ここで一気に情報通信の知識を得ることができエンジニアの道につながりました。
※ 国際電信電話株式会社。「au」で知られる現在のKDDIの前身。
仕事の流儀を学んだ警察職員時代




それだけではなく、組織に必須の報告・連絡・相談(いわゆる「ホウレンソウ」)の意味付け、報告書やビジネスレターの書き方など事細かに教えてもらえたことで、社会人として、技術者としての基礎ができ、以後の自分の仕事の土台になりました。本当に感謝しています。
”裏側が知りたい”エンターテインメントの世界へ




たとえば『カントリーベアシアター』ではクマが出てきて歌うんですが、単純に考えるとあり得ません。でも、ありえないところにこそ技術があって「どんな技術なのか、仕組みを見てやらないと一生後悔する」って裏側が知りたくなったんです。これは子供の頃のプラモデル作りのときに起こった気持ちと同じだったのだと思います。
音響や映像表現にも最先端の技術が使われているディズニーの世界にすごく興味がわいて、それで「次のステップに進みたい」と転職したんです。とにかくやりたいことができればいいという一心でした。


その後、東京ディズニーシーの開業プロジェクトに関わり、技術本部マネージャーとしてアトラクションやエンターテイメントショーの開発も手がけました。


これは余談ですが、東京ディズニーシーのオーディオ担当をした時に、高校時代から憧れていた電子音楽の第一人者、冨田勲(とみた いさお)さんにテーマ音楽をお願いすることになったのです。お会いした時には「夢がかなった!」と感無量でした。
私にとってオリエンタルランドの仕事はお給料という対価だけではなく、知れば知るほど深みがある知識や成長の糧が得られるものでした。だからこそ、長く続けられたんだと思います。
新たなやりがいを求めてアートの島へ移住

早期退職を決意して瀬戸内海の直島へ移住




実は、退職の数年前から夏休みなどを利用して直島のベネッセハウスやアート施設をチェックしていました。私はいつも就職前のリサーチはとても大事だと思っていて、会社に入るなら実際にやっている事業に触れてみる、その会社の製品を使ってみる、宿泊施設なら泊まってみるというのは、絶対に必要だと思っていました。(ちなみに、ディズニーランドに転職する時も、家族で年間パスポートを買って足繁くに通っていました)




入ったら、どこの会社も一緒です。知らないことだらけで、慣れるだけでも何ヶ月もかかるような状態でした。当然ですが新しい職場では前職の実績は誰もくわしく知りませんから、周りからも当然厳しく対応されます。コツコツと実績を残して少しずつ信頼されるようにならなければなりません。55歳からの3年間は、新入社員として本当に苦労しました。定年後の60歳から別の世界に転職していては、たぶん体力的にも精神的にも持たなかったと思います。
最初は単身の社員寮に入ったのですが、周りのスタッフの方は若くてバリバリ働いていて、目がキラキラしている方ばかり。最年長の私でしたが、刺激をもらいながらの生活はすごく楽しかったです。
積み重ねた技術力が支えた起業


私は総合無線通信士の他にも消防設備士、電気工事士、危険物取扱資格や情報処理技術者、防災士の資格も持っています。これらの資格が「美術施設の維持管理を効率化したい」という直島文化村、福武財団の思いともマッチしたため、直島でメンテナンスサポートの会社を起業することになりました。これが、合同会社直島アートユニットです。


エンターテインメントの中でも、「ショーコントロール」という分野になるのですが、オーディオやビデオなどいろんなエフェクト要素を同期させて演出するテーマパークの技術と非常に近いものなのです。
ここに至るまでの職業は一見何のかかわりもないように見えますが、実はエンジニアとして培った技術が起業に導いてくれたと思います。
佐々木さんから活躍の場を求める皆さんへ

東京2020の聖火ランナーとして直島島内を走る佐々木さん
島で働くこととは


それから島には年齢や経験に関係なく活躍の場があります。人が少ない分、自分でやるしかないということでもありますが、だからこそ自分の守備範囲が広がりやりがいにもつながってきます。
自分の存在意義を見つめ直す場として、島はすごく魅力的な場所だと思います。都会では見失いがちの、自信を取り戻せます。
いろんな問題を解決するのに意見が言いやすい環境だということもありますね。これは島に限らず、小さな自治体に住む強みだと思います。
極めること、そして常にクリエイターであること


一つは、特技でも資格でも興味があることを極め、誰にも負けないものを持ってほしいということです。
私の場合は総合無線通信士の資格でしたけれど、それを核にエンジニアとして技術力を上げていく中で、メンテナンスの知識も蓄えました。何かを極めると何より自分に自信がつくと思いますし、新たな道が自ずと開けていくケースが多々あります。






私は何か学習を常にすることを癖にするようにしていて、今は気象予報士の勉強をしています。この資格も、いずれ取得して仕事に生かしていきたいと思っています。


The Naoshima Plan「水」のスタッフと共に(前列左端が佐々木さん)
(編集:中村 暁子/執筆:井ノ上 美恵子)






