日本文学研究の道って、実際どうなの?岡山大学の西山康一先生にとことん聞いてきた。

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公開日 2024.05.04

「私にとっては好きなこと。でも、その道を仕事にして、誰かの役に立てるのかな?私の将来の役に立つのかな?」

 

真剣に進路を考えていくと、「社会の視点」や「将来の視点」で選択肢を吟味せざるを得ない瞬間がやってきます。でも、自分の好きややりたいことが、社会の流れに逆らっているように感じているとき、「これってやる意味ないんじゃない?」という否定の声が増幅しやすくなるもの。だからこそ大事になるのが、”実際その仕事に就いている人と直接話をしに行くこと”です。

 

今回の高校生のサカモトさんが検討している進路は”文学研究”の道。話を聞くため、岡山大学に進路探究に行ってきました。さて、その道の先輩はどのように疑問に答えてくれたのでしょうか・・・!?

 

登場人物紹介

★サカモトさん
高校2年生。本を読むのが好きで、日本文学研究に興味を持っている。好きな作家は太宰治(だざいおさむ)。

 

★西山 康一(にしやま こういち)さん
岡山大学文学部准教授。大正時代ごろの日本近代文学を専門に研究する文学者。主な研究対象は芥川龍之介と倉敷出身の文学者の薄田泣菫(すすきだきゅうきん)。

進路としての日本文学研究のアレコレ

研究室や大学をどう選ぶか

西山先生の在籍する日本語・日本文学領域の研究室にお邪魔しました

はじめまして、矢掛高校2年のサカモトです。本日はよろしくお願いします。

 

はじめまして、西山です。今日はどうしていらっしゃったんですか?

 

私、将来は文学研究をしてみたいと思っていて、それを仕事に・・・・・・とも思っています。でも、よく考えたら「文学研究」でどんなことをするのか全然知らないなと思って。それで先生にお話伺いに来たんです。

そういうことなんですね。文学研究がしたいということは、好きな作家がいるのかな?

 

はい、読んでいて好きなのは太宰治と谷崎潤一郎です。

 

おお〜、いいですね。私のゼミでもその二人のどちらかで卒論を書く子がほぼ毎年いますよ。特に谷崎は、今もそれで卒論を書いているゼミ生が3人います。

 

そうなんですね。ゼミの先生と研究分野が違っても研究することはできるんですか?

 

どれぐらい違うかにもよりますね。私は明治・大正期周辺の日本近代文学、特に芥川龍之介や薄田泣菫等の研究をしていますから、同じ時代の谷崎や、多少時代がずれても太宰ぐらいまでなら、何とか指導することができますよ。

 

ただ、たとえば私のところに来て、「マンガ」や「映画」になった芥川作品について研究したいと言われると、ちょっと難しいかもしれません。

 

さらに、日本近代文学はよいとして、現代作家についても、それで卒論を書きたいと言われたら、指導らしい指導はあまりできないですが、一緒に考えていくような立場で受け入れて、研究を見守っていく感じです。

 

なるほど〜。自分が研究するのに適した大学を選ぶのに大事なことはなんでしょうか?

 

やっぱり自分の研究したい専門分野の先生がいる所を選ぶことだと思いますよ。

 

例えば、私のところで「俳句」をやりたいという子もたまにいます。でも、それは私の知識が及ばないところでもあるので、俳句を研究している先生のところに行った方がいいですよね。

 

大学選びとなると、最後は偏差値で決めてしまいがちです。でも、大学教員からすると、その大学にはどんな先生がいてどんな研究をしているかを見て、どの先生に師事して学びたいかを考えるのが大事だと思いますね。

参考になります!

 

文学研究はもうやり尽くされている?

 

文学研究って、具体的にはどんなことをするのでしょうか?

 

いろんなアプローチがありますが、私自身は”ある作家の作品が文化全体の中でどういう影響を受けて成立しているのか“、あるいは”その作品がどんな影響を与えているか“について研究しています。

 

例えば、芥川作品の中の”中国を舞台にして描いてる作品”であれば、彼が中国を訪れる以前は、主に文学作品や新聞等を通して、中国をイメージして作品を執筆していたはずですよね。とすると、当時日本国内では中国をどのように捉えていたかを調査すれば、「作品とそれがどこまで繋がっていて、どこからが繋がらないのか」といったことが見えてきます。

当時の資料に触れたりもするんですか?

 

そうですね。当時の新聞や雑誌はもちろんですが、作家の自筆原稿や蔵書などにも、時に触れたりします。

 

特に、芥川の場合はいろいろな文学館に原稿が保存されていますし、彼自身の蔵書も東京の日本近代文学館にあって、彼がどんな本を読んでいたかがある程度わかるので、すごく便利です。そういった蔵書のリストを見ながら「この作品はひょっとしたらこの本とか、何か関係あるんじゃないのか」と考え、東京へ確認しに行くこともありますね。

研究には様々な資料が必要。もちろん全集も。

 

なるほど!文学研究の面白さ・やりがいをどんなところに感じますか?

 

私の場合、やっぱり「芥川はこういうことを考えていたんだろう」と、作家の考えが実感として掴めたときでしょうか。

 

他の人がまだ気づいていないようなことを自分なりに整理して発表し、それに対して色んな角度から意見をもらえるというのも、幸せなことかなと思います。

他の人がまだ気づいていないこと・・・。さっき、先生は「谷崎が人気」とおっしゃっていましたよね。私、それが少し気がかりです。日本文学の研究がすでに長い間されてきた中、私が今から研究することにどれくらいの意味や価値があるものかな・・・と思ってしまうんです。

 

ああ、なるほど。

 

芥川も同じですが、やっぱりやっていると「今まで語られていなかったこと」が出てくることがあります。新しい発見はできると思いますよ。

 

学生にそこまで求めるのは酷かもしれませんが、今まで積み重ねられてきた研究の中で、半歩でもいいから何かを補って、新しいことを言ってみようと彼らも頑張っています。

 

でも、中には「これは今まで知らなかった資料だ!」みたいなものを見つけてくることもあるんですよ。特に最近は学生さんが本当に情報端末やテクノロジーに強いから、そういうところで新たな情報を見つけ出してくることが可能だと思うんです。だから、そういうのはあまり気にしすぎなくてもいいんじゃないかな。

 

この先どうなるかわからないですけど、古い資料もだんだん電子化されてきていて、検索で見つけられるってことが増えてくると思うので、そういう意味では今の学生さんの方がちょっと有利なところもあるんじゃないかなと思ってます。

そうなんですね・・・!

 

とはいえ、みんな苦労はしていますけどね(笑)。

仕事としての文学研究の道

研究し続けることが道を拓く

大学で文学部に入って文学研究をしたとして、それを職業に繋げようと思ったらどういう選択肢があるのでしょうか。

 

直接的に大学の研究を活かすとすると、中学や高校の国語の先生、さらには大学院の博士課程まで行って大学教員を目指すか、「吉備路文学館」のような文学系の博物館の学芸員になるか……そのあたりでしょうかね。特に大学教員や学芸員は募集も少なく、何年も待っている人もいる厳しい状況ではあります。

 

博士課程まで行くと、選べる職種の幅が狭まる場合もあるので、大学院に上がって博士課程まで行くときには「苦労するかもしれないよ」ということを、学生に言ったりすることもありますね。

やっぱり現実は厳しいんですね・・・。

 

まぁでも「続けてれば何とかなる」とも、個人的には思っています。何か根拠があるのかって言われると、全くないんですけど(笑)。

 

私の周りを見ていると、最終的には図太い人間が研究者になっているような気がするんですよ。周りのことをあまり気にせずに、とにかくずっと自分の考える研究を続けて業績を積む。そうすると遅咲きだとしても仕事はあるんじゃないかと。

先生は「周りはもう社会人だけど、自分はまだ院生で・・・」とか焦ることはなかったんですか?

 

いや、ありましたよ(笑)。「自分はダメ人間なんじゃないか」みたいなことを感じることも、時々私もありました。親のスネをかじり、共働きの妻に助けられ・・・。

 

でも、それでもやり続けているうちに、なんとかここの職場に拾ってもらったんです。

 

途中で「やっぱり高校の先生になろう」と、軌道修正した人もいます。もちろん、それが悪いわけでは決してない。何にやりがいを見出すかは、人それぞれだから……。

 

ただ、研究者になるんだったら、そこをずっと続けていないとなれない。そして、やり続けていたら多分なんとかなる・・・・・・と私は思っています。

若き日の西山先生。

やり続けること・・・・・・なるほど。先生は、大学教員を目指す前に「先に知っておきたかったな」と思ったことはありますか?

 

就職がなかなかできないことは知ってはいたけど、ここまで大変だとは・・・・・・ということは、確かにありましたね。

 

大学教員の募集は各大学がインターネットで公募するので、検索しては応募していました。要項に従って業績など書類を揃えて出すんですけど、ほとんど読んだ形跡がないまま返ってくることもたまにあるんですよね。「ああ、これが社会の縮図だな」って、辛い気持ちになったので、その厳しさを前もって知っておきたかったかな(笑)。

 

うぅー、大変だったんですね!

 

また、大学教員になったら、もう少し研究ができると思っていたのですが、現実は全く異なり、授業や学生指導ほか大学の雑務等に追われる毎日で、自分の研究に専念できる時間はなかなか取れません(笑)。

 

「この人のこと、分かる」が出発点でいい 

 

西山先生がなぜ文学研究者を目指そうと思ったのか伺いたいです。先生はどんな高校生だったんですか?

 

何だろうな、まともにちゃんと文学とか考えてなかったと思いますね(笑)。

 

えぇ〜〜〜(笑)!

 

国語は好きでしたけど、得意ではなかったんですよ。日本史は点数が良かったけど国語は波があって読めないところがあって。高校で自分の習った国語の先生が面白い先生で、いろんな話を一緒にしてたから、好きではあったのですが……。

 

そんなこともあり、「国語の先生になりたい」と思って大学に入りました。でも、大学で研究を始めると、だんだんと研究が面白くなってきたんです。途中学芸員も考えましたけど、結局何も変えずに来たから、悪く言うと研究ばかりして、つぶしがきかなかったから(笑)、今の仕事に行き着いたというところもあるかもしれないですね。

 

研究対象が芥川なのは?

 

芥川の作品を読んでいて何となく、「この人の考えていることは共感できる、わかる気がする」と錯覚したからでしょうね(笑)。

 

それで研究を続けるうちに、彼の良い面・悪い面が見えて来て、その情けない部分も含めて「この人の考えてることはわかるな」とやっぱり思って。だんだん可愛く思えるようになっていったんです(笑)。そういう錯覚って大事で、それで結局研究を続けているんだと思います。

 

サカモトさんは太宰の作品が好きなんですよね。この感覚わかりますか?

 

わかります、私も太宰に対してそういう思いを持っています。

 

太宰の本って『人間失格』とか、みんなが「暗いよ暗いよ」って言うんです。でも、私はアレを読んですごく楽しくてしょうがなかったんです。「周りのみんなには嘘ついて、本当の自分のことは誰も知らないんだ」と自白しているけど、気持ちめっちゃわかるんです。太宰はこれ書いてるとき絶対楽しかっただろうなと思って。

 

そういう意味で、太宰の作品は読んでいて他の人と思うことが違うなと思うし、私は面白いと思うのにみんなはその魅力に気づいてないなって思うんです。

 

それですよ。

 

「みんななんでこれを言わないんだろう?」と思うようなことがモチベーションになる。それが研究の最初だと思いますね。

これでいいんですね!うれしいです!!

 

たまたま読んだ作品に心打たれて、「この人が考えていることは分かる。こういうことなんじゃないかな?」と思って、それを人に伝えたいと思って、研究をスタートさせる。一つ目の作品はそれでいいんです。私は芥川の『秋』という作品に関する論文を、その勢いで書きあげました。

 

でも、その後がつらいんですよ(笑)。

やっぱり(笑)。

 

私は二つ目の論文を書くときが本当に一番つらかったですね。何やろうっていうふうになっちゃって。

 

同じ芥川の別の作品について、大学院の授業で論文の前段階ような形で発表するんですけど、みんなにケチョンケチョンに言われてしまって。それで「これではちょっと駄目だな」と思って、谷崎に逃げたんです(笑)。

 

でも、結局芥川に戻ったのは?

 

谷崎作品を論じることで、逆に芥川に戻る刺激をそこで受けたような感じはありましたね。

 

その二本目の壁をなんとか乗り越えられたら、研究者としてやっていける・・・・・・という感じかもしれないけど、もしかしたらその感覚は私だけの可能性もあります。他の優秀な人はどんどん論文を書いていってましたからね。

研究を論文としてまとめあげ、それが形になる。

文学研究は社会貢献できるのか

 

最後、気になっていることがあって。文学研究の社会への効用ってすごく実感しづらいと思うのですが、文学研究者という仕事で「社会貢献できているな」と感じることはあるのでしょうか?

 

ああ〜。

 

確かに、文学研究というと直接何か社会の役に立つことをしている感じがしない、と言われることはあります。

やっぱりそうですよね。

 

でも、 文学研究って一つには、作者や作中人物に対して「この人はこのとき何を考えていたのだろう」と、とことん考え抜くことでもあると思うんです。そして、その「人の気持ちを考える」ということは、社会においてすごく大事なことだと思うんです。それこそ、人を殺しても何とも思わないような人が出てこない世の中にするために 、”文学教育”が大事だろうと思っています。

 

だから、文学研究を通して「人の気持ちを考え続ける」ということを、大学で学生達に指導していること自体が、社会貢献につながっているんじゃないかな。

なるほど、教育としての側面があるんですね。

 

はい。ゼミの卒業生は、学校教員のほか公務員や銀行、JRや民間企業まで本当に幅広く就職していきます。

 

文学研究という行為がスキルとして直接役立つのは、教員や研究者か学芸員ぐらいかもしれなくても、「人の書いたもの、あるいはその作中人物をとことん理解しようと努力する」という行為はなかなか貴重な経験で、どんな仕事にも役立つんじゃないかなと思いますよ

 

1年か2年、その人のことを考えて考えて考え続けて、「この人はこういうことが言いたかったんじゃないか」と、卒論としてまとめあげるんです。事実と自分の意見を分けること、根拠をもって説明すること、自分の考えを文章に正確にまとめること、そういう技術も身につきますからね。

研究者にならなくても、研究はどこかで役立つんですね。

 

「先生の卒論のおかげで、始末書とかそういうのはもうすぐ書けます」なんて、良いのか悪いのかわからない話をしてくれる卒業生もいます(笑)。

 

あとは、地元の公民館で郷土の文学者である薄田泣菫についての講演をしたときには、「こんな人が地元にいたんだと誇りに思えました」とか言ってもらうこともあり、そういう面での社会貢献もあるのかなと思います。

そっか、”広く知られていないけど、実はすごい人”について研究していくと、そういう社会貢献にもつながりますね・・・!

 

今日色々疑問に答えていただいたおかげで、いろいろ見えてきた気がします。

 

私たちとしても、これからの文学研究を担ってくれる子達を育てていきたいので、今日はこうやって意欲を持ってくれているサカモトさんと話せてすごくうれしかったです。

 

こちらこそです。今日は本当にありがとうございました!

同じ文学好きの二人の会話、とっても楽しそうでした。

(編集:北原 泰幸)

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