自分のやりたいことに真剣に向き合う人・かるぼさん

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公開日 2022.05.01

この記事では、林業に携わりながら、デザインや溶接のお仕事もされている「かるぼ」こと奥井彩音(おくい あやね)さんの生き方に触れていきます。かるぼさんは住民自治の活動にも積極的に関わっているそう。お仕事以外の活動についてもお話を伺いました!

 

 

【現在のかるぼさん】

Q1.かるぼさんはどんな活動をされていますか?

メインの仕事として林業を行っています。山に入って木を切ったり、植えたり、林道を作ったりする森の整備が仕事ですね。

 

私が今住んでいる鳥取県智頭町には針葉樹がたくさん生えている山が多いんです。針葉樹というのは人が植えた木がほとんどなので、人が間伐してあげないと林内が暗くなって育ちにくくなってしまうんです。もちろん、伐った木は木材として使われます。私自身はこの仕事を「この木を将来に残してあげよう」という意識を持ちながらやっています

 

あとは、森の中で減少してきた植物を植えて増やそうとする活動もしています。例えば「黄連」という胃薬の原料になる植物があるのですが、それが鹿に食べられてしまって生息数が少なくなってしまっているんです。だから、鹿に食べられないように柵を作って、その中に植えるということをしています。

 

 

ーー林業以外にも仕事をされているんですよね。

 

はい、個人事業主としてデザイナーと溶接のお仕事をしています。デザインの仕事としては、名刺やイベントのチラシ、ロゴの作成、それから福祉施設の月刊フリーペーパーの編集もしています。

溶接は、最近だと「農作業に使う器具を作ってください」という頼みを受けて、設計図通りに作るという仕事もしましたし、カフェに置く机の脚の制作依頼も受けました。自分から作り始めるというよりは、周囲の人に機会をもらって作らせていただくことが多いですね。

 

あと、最近は住民自治の活動にも携わっています。

 

Q2.智頭町の住民自治ではどんな活動をしているのですか?

智頭町では百人委員会という「自分で行政に提案してお金をもらって実現する住民活動」が盛んなんです。そこで私は、「生ごみ堆肥を資源として循環する仕組みをつくる事業」に挑戦しようとしているところです。具体的には、 生ゴミを回収する仕組みを智頭町でつくって、回収した生ごみを堆肥にして、その堆肥を売るという事業です。

 

これは、私が鳥取環境大学で学んでいる中で、環境問題に触れる機会が多かったのと、林業との関わりがあることから始めたものです。「サーキュラーエコノミー(Circular Economy)」という考え方をご存じですか?私はこの言葉を調べた時に、この仕組みを使った街づくりをしている人のことを知りました。その人がやってたのが、今まさに私がしようとしている、資源が循環していく仕組みをつくる事業で、それがすごく環境問題に対する意識として魅力的だなって思ったんです。

 

また、水分をたくさん含んでいる生ゴミは、燃やすのにたくさんの燃料を必要としてしまうんです。林業は、作業のために道を作ったり、山を車で上がったりと燃料がないとできないことが多いのですが、林業で使ってる燃料とゴミを燃やすときに使っている燃料は違うとはいえ、資源を使って自分たちの生活のごみを燃やしているっていうのは、なんか違うなと思いはじめたんです。

 

【脳内グラフ】

脳内グラフとは、かるぼさんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。

住民自治活動 40%

先ほどお話しした「堆肥を資源として循環する事業」に取り組んでいます。仲間集めと予算申請をしていましたが、無事に予算案が通って2022年4月から具体的に動いていくことになりました!

 

「堆肥づくりの予算をどうまわしていこうかな」、「どんなふうに堆肥を作ったらいいかな」と色々考えています。また、私はこの事業の部長なので、どうやって動いたらみんな動きやすいのかなっていうのも考えていますね。

 

智頭町でどんな風に暮らすか 40%

「正しいことを言うよりも、その人に信用があるかどうかが大事だよ」って私が務めている会社の代表の方によく言われるんです。どんなに正しいこと言っていても、信用がない人の言葉は響かないですよね。それよりも「ずっと〇〇の行事に参加してます」とか、「いろんな活動をやっています」というような、信用がある人に発言に力があると思うんです。

 

今、 智頭町のごみの仕組みを変えようと動いていますが、これにもやっぱり信用がないといけないと実感しています。だから、どうやったら信用してもらえる人になれるのかなっていうのを考えています。

 

自分のこと 20%

ちょっと前までは、他の人のことを考える時間がほとんどだったんですけど、そうするとなんとなく壁にぶつかることが多いような気がしてきていて。だから今は意識的に自分のことを考える時間をとっています。

 

例えば、ゲームをしていて「今ダラダラしてるな」と感じたとしたら。「その時間は自分にとってどんな必要があってやってるのかな?」と考えます。必要があるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。それが今、自分にとってどういう時間なのかに向き合うことが大切だと思うんです

 

でも、一人で自分のことを考えている時間は常に反省会みたいになっちゃいますね(笑)

なので最近では、自分と向き合うために人と対話する時間をとることもあります。 オンライン講座を受けて、「私はこういうことを考えていますが、あなたはどう思いますか?」という対話をすることで、自分の考えを整理することができます。

 

 

【人生の履歴】

第1章 工芸高校マシンクラフト科を知る

私は大学入学まで東京の板橋区に住んでいました。東京というと都会を想像されるかもしれませんが、板橋は住宅街ばかりの下町って感じの地域です。

 

高校は東京都立工芸高校のマシンクラフト科に入学しました。きっかけは、中学の廊下に貼ってあったポスターです。都立工芸高校には、デザイン科、インテリア科、アートクラフト科といった専門が5個くらいあったんですけど・・・なんかカタカナの名前ってかっこいいじゃないですか(笑)

 

だから、それが目に焼き付いちゃって。もちろん、名前がかっこいいこと以外にも魅力はありましたよ。私は高校を選ぶにあたり、私立の女子校や普通科高校を勧められました。でも、こだわりのない私には選び取る理由もありませんでした。そんな私にとって、明確に「ものづくりが学べる」というのはとても魅力的だったんです。

 

第2章  工芸高校で見つけた「自分らしさ」 

実際入ってみると、いい意味で期待を裏切られました。「そんなことまでできるのか!?」って。普通科目や座学がほぼなく、週の半分以上が実習とか 専門科目。そこで、ものづくりに関することをほぼすべてと言ってもいいほど経験しました。デッサンや水彩絵の具を使ったデザイン構成、機械を使った作業、溶接。機械工業で使う機械はだいたいその高校に置いてあり、「ウォータージェット」という水圧で鉄を切るような機械も扱いました。

 

でも、ただ機械を使うというのがゴールてはなくて「自分で思い描いたものを作れているかどうか」が評価対象でした。普通の工業高校だと、渡された図面通りに作ることがいい成績をとる条件です。でも、都立工芸高校では自分で図面を書くし、コンセプトも作ります。だから、その作品にどういう思い、ストーリーがあったかという、他の人とはある意味比べようがない評価のされ方をするんです。その人自身の個性が形になったのが一個一 個の作品になるという感じですね。

 

今思えば、それが自分に合っていたんだと思います。自分らしく生きるってどういうことなのかなっていうのを高校でちょっとずつ学べた気がします。 あと、「自分はどんなことが好きなのかな」っていうのを考える力がついたなって思います。今、鳥取に住んでいるのも、林業をしているのもそのおかげですね。

 

第3章  将来について真剣に考えた高校3年生

私は在学中「絶対にフィギュアを作る仕事がやりたい」とか、「絶対に溶接がやりたい」という程の熱量はありませんでした。確かにやりたい思いはあるんですけど、高校生の段階でそっちに決めようとは思えなかったんです。でも、なんとなく将来的にはものづくりに関わりたいと考えていました。

 

だけど、美術系の高校やものづくり系の高校では卒業生のおおむね9割が美大や専門学校に行って、1割の人は就職するんです。進路について考えたとき、「高校を卒業してもずっとものづくりの世界に浸って生きていくんだな」と考えるとちょっと違う気がしました。それでは世界が広がらないなと思ったんです。ものづくりとは違う分野の勉強や、仕事はたくさんある。そういうものを知ってから社会に出たい、大人になりたいなって思いました

 

その結果、高3で「普通科」のような受験勉強を始めました。この時の私の考えは間違っていなかったと今でも思います。

 

第4章 好きなことを学びに大学へ

一年浪人して鳥取環境大学に入学しました。はっきりと「この大学に行く」というのは決めずに勉強してたんですけど、その中で生物科目、特に自然についての学びが好きだというのに気がつきました。

 

東京でも生物科目を学べる大学はいっぱいあるんですけど、折角なら親元から離れた場所の大学に行きたいなと思って入学しました。

 

第5章 何もできないことを自覚した一人暮らし

大学に入学してからは、初めての一人暮らしが始まりました。親元から離れて一人暮らしをするという決断は凄く大きなものでしたが、割とすぐに慣れました。東京と鳥取では環境が違いすぎて逆に驚かなかったのかな(笑)

 

でも、一人暮らしをする中で「自分って意外と何もできないんだなぁ」って思いました。ある時、トイレの水が詰まったことがあって。私は直接業者さんに連絡しちゃったんですけど、後からそういう時はまず大家さんに連絡しなくちゃいけないってことを知りました。そういうことは今までずっと親がやってくれていたんですね。

 

それに、親と暮らしているときは、ある程度ご飯を作って食べていたのですが、一人暮らしをするとあまり料理をしなくなりました。「料理ってやらないとご飯がないんだな」とか、「食材って買わないと家にないんだ」という当たり前が当たり前ではなかったことに気付きました。

 

第6章 新しい考え方が生まれた卒論制作

大学では、自然科学や生物、居住環境など環境に関することを幅広く学びました。中でも、私は日本庭園や景観についての分野を専攻し、卒論のテーマを『日本庭園らしさとは何か』と決めて研究しました。私、日本庭園の面白さが全く分からなくて。ひたすら日本庭園に行って歩いてみたんですが、なんで日本庭園っていうものが文化として残っているのかも分からなくて。だからこそ興味がわいて、これを卒論にしようと思ったんです。

 

研究のために台湾の日本庭園に行ったことが印象的でした。それは名称としては日本庭園だけど、日本庭園ではなくて、日本庭園っぽい台湾の庭園だったんです。日本の文化や考え方を受け継いでいるわけではなくて、日本にあるものをそのまま真似しているだけだからそうなっているんだと感じました。その時やっと、日本庭園には日本庭園であるがゆえの理由があるのだと理解することができました。例えば、ある植物がそこにある理由とか、大きな石がそこにある理由とか。思ったよりもずっと深くて。ただの植物園やただの石がまかれている場所じゃないんだっていうのを卒論を通して学びました。

 

そして、その卒論制作を通して私の中に新しい考え方が根付きます。それが「人が手を加えることによって残していく」という考え方です。日本庭園という文化は約300年前に生まれ、今でも残っていますよね。きっと、年月が経てば、日本庭園内の道は植物がたくさん生えてくるし、雨や風の影響で敷き詰めた石はどんどん崩れていきますが、それをずっと手入れして続けてる人がいるからこそ、今でも日本庭園が存在しているんです。

 

この「人が手を加えることによって残していく」という考えは林業にも通じていて、何百年も前から代々山に関わっている人がいて、何年も前に木を植えた人がいて、今の山があると考えることができます。私は、そんな考えと仕事に魅力を感じています。

 

第7章 内定を断り、林業を始める

大学4年生の12月くらいに内定が決まりました。保育園やパン屋さんの壁にかわいい動物やパンのイラストが描かれているのを見たことがあると思います。あんな感じのデザインやペイントをする会社でした。でも、「何となく違う、ピンと来ないな」と感じて内定を断ってしまいました。

 

そこからまた就活をして、ここで林業に出会います。きっかけになったつながりは、牧場でのボランティアです。鳥取に認定NPO法人ハーモニィカレッジが運営するポニー牧場で野外教育のボランティアをしていました。そこの牧場長さんだった方に林業に興味があることを伝えると、智頭町で林業をやっている方を紹介してくださったんです

 

後日見学に行くと、牧場長さんが紹介してくれた人から、また別の智頭町で林業をしている方を紹介してもらい、その方の下で働くことになりました。智頭町は90%ぐらいが山林のとても自然豊かなところで、そんなところで仕事ができることに喜びを感じています。

 

第8章 林業だけに頼らない生き方

個人事業主としてデザイナーの仕事をしていると言いましたが、そのきっかけも林業です。勤めている林業会社の代表がチラシを自分で作っていたのですが、そのお手伝いをしていたら、ある時「今度からチラシ作って」と言われて。それから徐々にチラシを作る仕事をいただくようになり、開業しました。デザイナーになりたかったわけではなかったんですけど、林業だけに依存せず、いろんな手段で生活していけるようになれたらいいなと思ってやっています

 

また、溶接の仕事もしていると言いましたが、これは大学の先生がきっかけで始めたものです。大学の先生とは未だに関わりがあり、よく智頭町に来てくださいます。この先生が、ある時突然「机の足を作ってほしい。」と言ってきて。急いで溶接機を買って作ったのが始まりです(笑)

初めは、鉄をどこで買ったらいいのかも分かりませんでしたが、高校時代の経験を活かして、今ではなんとかお仕事としてできるようになりました。

 

第9章 自分の感情を大切に!

私は環境問題をはじめ、社会課題への問題意識が動機となって行動することが多かったですし、そういう人はたくさんいると思います。

 

でも、それよりももっと自分の感情を大切にしてほしいなって思ってます。「自分は何が好きか」とか「何に感情が動くか」といったことに、焦らず向き合って、それを見つけてほしいんです。自分の好きなこと、心揺さぶられるものには、エネルギーを持って本気で動けますから!

 

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