「社会は自分達の手で変えられる」教育改革に挑戦する中学校校長・住田義広さん

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公開日 2025.01.31

「自分の人生を自分で決めて、未来をあなたたちでつくって行くんだよ。」

 

そんな言葉をかけられることが、きっとあると思います。でも「自分でそう思えてる?」と改めて問われたら、ちょっと考えちゃいませんか?

 

そんな問いかけに、生徒達が確信を持って「イエス!」と応えられる学校教育をしようと改革に取り組んでいるのが、今回のゲストである玉野市立荘内中学校の住田校長です。

 

教育への熱い思い、そして意外にも「教師一筋!」と決めていたわけではなかった先生の迷いと決断ーーどちらにもご注目ください!

学校改革を進める住田先生のお仕事

★住田義広(すみだ よしひろ)さん

玉野市立荘内中学校の校長先生。校長就任以来教育改革を進め、生徒主体で校則を撤廃するなどの取組で耳目を集めている。根っからの先生かと思いきや…?

★みなほさん

岡山県内の大学に通う3回生。教員の道も考えたが、現在就活ではマスコミ業界を志望中。卒論のテーマ『主権者教育』の実践例を学ぶため、今回のインタビューに挑戦した。自分でも描いてしまうほど、大のマンガ好きでもある。

 

「生徒に委ねる」、未来社会を生きるための教育を目指す

私は、子ども達が政治や社会に関心を持って主体的に参加する「主権者教育」を研究しているので、その実践者である住田先生に話を伺えるのを楽しみにしていました。さっそくなのですが、先生はどうして学校を変えようとしているのですか?

 

子ども達に、これからの未来社会を生きる力を、自分達で身につけていけるようになっていって欲しいと考えているからです。みなほさんは『18歳意識調査』のことを知っていますか?

 

あ、研究で調べました!たしか、若者に世界の国々で同じテーマの同じアンケートを行う調査ですよね。

 

そうです。世界の国々と比較することにより、日本の若者がどんな意識を持っているのかを読み取ることができるというものです。

私はこの調査において、自己肯定感をはじめとしたいろいろな項目で、日本の若者の数値がとても低い状態であることを、教育者として非常に問題だと感じてきました。たとえば、2024年2月に行われた調査でも「自分の行動で国や社会を変えられると思う」と答えた日本の若者は5割を切っていて、一番低いんです。

 

こうした結果につながる大きな要因は、中学校でこれまで行われてきた「管理主義教育」にあるのではないかと、私は考えてきました。

 

その結果、私も気になってました……。一体どういうことなんですか?

 

これまでは、「先生の指示通りに動く生徒がよい子だ」とするような教育になってしまっていた面があったんです。

 

みなほさんも覚えがないですか?先生が一人でずーっとしゃべり続けて、生徒達はただただ黙って話を聞いているだけの一斉授業を。あれって、理解したり参加したりしていなくても、教師は、生徒が自分を見て時々うなずいている姿で「この子はよく聞いてるな」と思ってしまってたんですよね。

 

それは一つの例ですが、そんな教師主導の教育をずっと続けてきた。だから子ども達は学校のルールも学びも、どこか「自分とは関係ないこと」と捉えるようになってしまったのではないかと、私は思うんですよ。

 

まあ、時代のニーズに答えていたんだから、間違いではなかったんですけどね。あの頃は「行け、進め」で従順に、言う通りに徹底的に働く人材を求めていたんですから。

 

なるほど……。主権者教育でも主体性が大事だとされていますが、私の経験した学校生活もそういうものではなかったです。

 

そうですよね。主権者教育で一番大事なのは、すべてを当事者として捉える意識です。今、目の前で起きていることを「自分と関係がある」と当事者として捉えられないでいると、たとえ内に秘めた能力があったとしても、その力は発揮できません。

 

きっと、これまでの学校でも「これはダメ、それもダメ」「先生の言うとおりに動けばいい」と言われて意欲を失い、能力を埋もれさせてしまった子ども達も多かったのではないかと思うんです。もしかしたら、それが働きはじめてもすぐに辞めてしまう若者の増加にもつながってきたのかもしれません。

 

だから、まず学校や教師が変わらないといけない。私はそう考えています。

 

学校はどうあるべきなのでしょうか?

 

これからの新しい学校は、教師が教え導くという考えから脱却して、もっと生徒達に任せていくべきだと考えています。

 

だって、子ども達が生きていく未来社会は、私達大人がこれまで生きてきた社会とはまったく違ったものになっていくんですよ。その社会の中で、子ども達は新しい生き方を自分達で考えていかなきゃいけない。だから、これまでの大人と同じ生き方をなぞっていてはダメなんです。

 

そのために荘内中学校では「これからの世界を生きる能力を、自分でつけていくんだよ」と、学校全体の取り組みを通して言葉ではないメッセージを伝えていっています。

 

生徒達が自分達で必要な力や生き方を考える……。素敵だけど、難しそうだとも感じます。

 

そうですね。簡単にうまくいくわけではないし、子ども達が何を選び、その結果どうなっていくかわからない面もあります。だからこそ、教師は見えないところで生徒達を支援して、時に軌道修正させながら助ける必要があるんです。つまり伴走者になるんですね、先生は。

 

そうして子ども達が「自分の力で成し遂げたんだ!」という手応えを得られる学校を作りたいと、私は考えています。

 

校則をなくす!?生徒と進める学校改革

 

 

先生のいる荘内中では生徒達が校則をなくした、と聞いて驚きました。どうしてそうなったのか、くわしく聞かせてください。

 

この取り組みは、生徒会の執行部から「校則を見直したいんですけど」と言われたのがきっかけでしたね。

 

もともと荘内中には、「決まっているから従いなさい」という、生徒に納得のいく説明ができないルールがたくさんあったんです。長い髪は一つくくりにしないといけないけど、くくるのは耳の下とか。くるぶしソックス禁止とか。「ブラック校則」なんて世間では言ったりしますよね。「そういうものって不要だよな」と、私も思っていたんです。

 

あ〜、どれも私の学校にもありました!アレってなんでだったんですか?

 

一つくくりについては「マット運動の時邪魔だから」とか、「給食当番のとき不潔だから」とか言われてましたね。でも、「いやいや、そのときに髪をくくったらいいじゃん」って思いますよね。ポニーテール禁止は「昭和の不良女子の典型的な髪型だから」とか、「うなじが見えるのがよくない」とか。くるぶしソックスは「ケガしやすいから」とか……。

 

えー!?

 

よくわからない理由だし、そんな細かいルールを決めていること自体がおかしいですよね。本校の生徒達もそう感じていたようなんです。そこで、全校で話し合ってちょっとずつルールを変えていき、3年目にはほぼブラック校則といえるものは無くなりました。「生徒会会員規則」というのはあるんだけど、髪を染める以外は髪型は何でもOK。靴下や運動靴にも色や形に制限がなくなったんです。

 

学校生活は生徒にとって自分達の生活ですから、みんなのために必要なルールを自分達で決めて、自分達でやっていけばいいんです。でも、その根幹には「みんなの荘内中学校をみんなのためのために大切にする」という組織の一員としての意識があることが重要ですけど。

 

すごい……全校で話し合いってどうやったんですか??

 

ルールメイキングサミット」ってうちでは呼んでいるんですけど、全校生徒が体育館に集まり、1学年2人ずつの6人グループを作ってルールについて話し合うんです。学習用端末とアプリを使えば、すべてのグループの意見を瞬時に吸い上げられるので、全校での話し合いも成立するんですよ。

 

年3回ぐらいかな。この前は「体操服の上の裾を出すか出さないか問題」について話し合いました。

 

ルールメイキングサミットの様子

 

どうなったんですか?

 

生徒達の出した結論は「クールビズ期間は出してもいい」でした。「冬はダメなの?」って聞いたら「冬はダメです!」って。面白いですよね。そうやって、今は生徒達に学校のルール作りを任せていっています。

 

設定したルールでその後に揉めたり、失敗したりはしないんですか??

 

そういうこともあるかもしれません。でも、それでもいいんですよ。私は学校って間違うところ、失敗していいところだと思うんです。私達は失敗の中から学んでいくんだから、どんどん失敗していいんです。

 

ルールづくり以外でも同じです。生徒達がやりたいことをやろうとしたとしても、途中でダメになってしまうことがあるかもしれない。でも、それはそれでいいんです。どんどん間違ったらいいんですよ。

 

失敗させないようにするんじゃないんですね。

 

失敗をさせないようにするというのは、これまでの学校でよく見られたアプローチですよね。

 

本校は県内で初めて自動販売機を校内に設置した中学校ですし、学習用端末を授業の8割で使うような学校ですが、やはり「コーラばかり飲んで糖尿病になるかも」とか「金銭トラブルの元だ」とか、「学習用端末を悪用するかも」という意見ももともとありました。

 

でもね、生徒は中学生なんですよ。間違いもするし、失敗もしますよ。でも、そういうことがあったときに、今後そうしないように指導していくのが中学校でしょう。間違いや失敗があっても構わない。その中で子ども達を立派な大人に育てていくのが中学校という学びの場だと、私は思うんです。

 

だから、「〇〇するかもしれないから、やめておこう」という考え方は絶対にしないと、先生達と決めています。

 

うぅ〜〜住田先生のいる中学校に通えていたらなって思っちゃいますね。

 

変わる時代の中で学び、自らを変えていこう

 

校長先生として学校改革を進めていく中で、何か感じたことはありますか?

 

時代が変わっていくのに合わせて、学校だけでなく大人も変わっていかなければならないってことですかね。

 

たとえば、本校では学習用端末を使って課題を出しています。でも保護者の方は「ノートに書いて覚えた」という体験をしているので、心配をして「ノートに書かせて勉強させてください!」と言う方もいらっしゃるんです。

 

あ、私も中学校の時は書いて覚えてました!

 

そう。でも、英単語一つとっても、その人に合った学び方って実はそれぞれで、書いて覚えるのが合う人もいればしゃべる方が覚える人もいるんですよね。端末での学習が合う子もいて、アナログな学習が合う子もいる。最適な学び方は人によって違います。だから、方法を決めつけずにその子自身が「学ぶ力」をつけていくことが大事だと思うんです。

 

これからは生涯学び続けていかなきゃいけない時代です。5教科の勉強に限らず、自分で学ぶ力をどうやってつけていくか。就職した後も自分の学び方で学び続け、自分の幸せを見つけていく

 

そうした力を試行錯誤を通してつけていくには、周囲の大人もバイアスにとらわれず変わっていく必要があると思いますね。

 

今までの学校の在り方が良くなかったのでしょうか?

 

いや、今までずっと間違っていたというわけではないと思うんですよ。昭和の時代は「従順な人」「がむしゃらに働く人」を育てていかなければならなかったから。

 

でも、時代は変わってきています。だからこそ、変わらずにいる学校を変えていくのが教職員の使命だと私は思っています。

 

そして、まだまだ未成熟で未完成な中学生を、時代が求める人財育成の観点で支援し、伴走しながら導いていく。そういう「委ねる教育」と「伴走者としての教師」に変えていきたいです。

 

すごい……。未来の子ども達が幸せに生きられるようになってほしいなって思います!

 

荘内中学校の生徒さんと。

 

先生になる前の夢は?住田先生のこれまで

「学校が好き!」挑戦と表現に明け暮れる住田少年

 

ところで、住田先生はどんな子どもだったんですか?

 

学校というところがとにかく好きでしたね。というのも、家があまり裕福ではなかったんですよ。家には風呂がなくて、物もなくて、自分の部屋も自由もなくて。家を友達に見られるのが嫌でね。「なんでうちはこんなに貧乏なんな!」と親に言ってしまったことをよく覚えてます。

 

だから、友達と話したり遊んだり、何かを一緒にやれる人がいる。それが学校を好きな理由だったんだと思います。

 

では、やっぱり最初から学校の先生になりたいと思っていたんですか?

 

いやいや。私は勉強が嫌いだったので(笑)。

 

でも、「いろんなことに挑戦したい」という思いはあって、小学校時代には小説を書いてました。横溝正史が好きでしてね。担任の先生に「書いた小説を読んでほしい」と渡したら校長先生も読んでくれたみたいで、校長室に呼ばれたこともありました。

 

校長先生は「とても面白かったよ。でも、君の小説は人が死にすぎる。もっと幸せな話を書きなさい」って。

 

そういうちょっとグロテスクな話が好きだったんですね(笑)。じゃあ小説家に?

 

いや、実は絵がすごく好きで。絵だけは習いにも行っていたんですよ。それでマンガを描くのが好きになって、ずっと独学で作品を作っていたんです。

 

中1の時には当時流行っていた『戦国自衛隊』というタイムスリップものを真似したマンガを描いて、また担任の先生に渡しました。そうしたら担任の先生が印刷して、クラス全員に配ってくれたんですよ。150ページもあるのに。それが嬉しくて……、ずっと描き続けてましたね。

 

じゃあ、マンガ家に憧れていたんですね。しかし、いい先生ばかり!素敵です。

 

これが住田少年の自作漫画だ!

 

映画監督?先生?青春時代の現実吟味

 

高校時代の住田校長。

 

高校では進路についてどう考えるようになりましたか?

 

高校に入ってもマンガを描いていたんだけど、何となく「自分の能力はそんなに高くないな」って、ちょっと自分で分かってきてしまったんですよね。それで、学校も好きだし、担任の先生にも恵まれてきていたから「先生になるのもいいよな」と考えるようになりました

 

でも、高校では7、8人の友達と「DJとしてカセットテープに番組を録音してみんなに配る」という活動もずっとしてたんです。マンガと並行して。ショートドラマの脚本を書いて、1時間の番組の流れを考えて。それがまたすごく楽しくてね。映画も好きでずっと観ていたので、だんだん「映画監督もいいよな」って思い始めたんです。勉強以外のいろんなことに取り組んでいた迷走時代ですね。

 

そのあたりから「みんなで何かを一緒にやるっていうことほど面白いものはないな」と感じるようになっていました。

 

なるほど。じゃあ、進路は迷ったんじゃないですか?

 

うん。学校の先生という可能性も頭から離れることはなかった中で、今の自分に現実的な夢は何かと考えたら、「みんなで協力して何かを成し遂げていくような仕事がしたいな」とも思って。それで、大学では美術教師を目指す人が集まるコースを選びました。

 

その中でも先生を目指すだけでなく、「映画をみんなで作ってみん?」って、大学に入って周囲に声をかけたら、みんなノってくれてね。それで大学では何本も映画を撮り続けていきました

 

 

じゃあ、映画の道に挑戦しようと……?

 

いや、そこが自分の弱いところで、「映画の道に行けるのか」と考えたとき、「やっぱり自分にはそこまでの能力はない」と思ってしまったんです。

 

でも、考えてみたら教員も「自分のクラスの生徒達と一つになって何かを成し遂げていく仕事」だと思ったんですよね。だから、教員でも自分が求める喜びを感じられるんじゃないかと思うようになって、中学校の美術教師の道を選びました。

 

いろんな表現活動を仕事にすることも考えた末の教師だったんですね…!

 

「ずっと文化祭しよう」クラス一丸の挑戦で得た幸せ

先生になって、求めていた喜びは得られましたか?

 

ええ。生徒たちといろんなことを一緒にやって、すごく楽しかったですよ。当時は担任にいろんなことを任されていたから。「レクリエーション大会でこんなことしよう!」とか、教員は本当にクラス経営を自由に進めることができたんです。

 

それに、文化祭のクラス演劇や体育大会の応援合戦、クラス単位の行事が昔はたくさんあったんですよね。荒れた学校の、いわゆるヤンキーと呼ばれるような生徒が多かったけど、「こんな演劇にしたら感動するだろうけど、君らではちょっとレベルを下げたほうがいいかもなぁ……」なんて言ったら「やったらぁ!」と食いついてくるような、そんな勢いのある子達でした。

 

私も「勉強なんかええからずっと文化祭しよう」なんて話して、一緒に泣いたり笑ったり。一つになった感が満載で本当に幸せでした

 

いいなぁ。その頃から今の住田先生のようなお考えだったんですか?

 

いや、リーダーシップをとって教員がグイグイ引っ張っていくスタイルでしたね。うまく生徒を引っ張りながら、軌道に乗ってきたら手を引いて、「自分らで成し遂げた!」と思えるようにすることは大事にしていましたけど。レールを敷くことは多かったように思います。

 

過去の自分を振り返ると反省することが多いですね。もっと信頼して任せていたら、もっといろんなことができたんじゃないかなって。

 

ともかく、そうやって中学校で美術教師人生を謳歌していたんですが、ある時それが一変してしまったんです。

 

何があったんですか?

 

教育委員会への異動を命じられたんです。当時のことですからね、選択肢は「はい」か「YES」しかありませんでした。

 

「それならいっそ辞めて講師になってやる」と思って、退職願いを書いて校長に提出もしたんですよ。そしたら目の前で破り捨てられてしまって(笑)。

 

そ、そんなドラマの中みたいなことが……。

 

生徒と関われないならもう教師自体を辞めようとも思ったんですが、親に「頼むから辞めないでくれ」と泣きつかれてしまって。結局、最後には折れて教育委員会に行くことにしました。

 

改革のエネルギーを溜めた15年間と大爆発

 

 

教育委員会へ行きたくなかったのは、なぜなんですか?

 

私は学校というところが好きで、生徒達と何かに挑戦するのが好きでした。でも、教育委員会では子どもと接することはほとんどないんです。嵐のような文書処理や議会対応がメインですから。

 

教育委員会ではどんな仕事を?

 

学校教育課の指導主事として、たとえば保護者や学校の相談対応、授業改善の指導、学校へ行って状況を把握しながら教育の充実のために支援する、それから3ヶ月に1回行われる市議会の対応などをしていました。

 

市議会では教育に関して、議員さんが質疑を行い、市長や教育長が答弁するんです。教育委員会では、その答弁の資料を事前に作成して渡しておく必要があって。これが1冊本を出版するような仕事なんですよ。時間外勤務時間などは半端ないです。

 

た、大変な業務ですね……!

 

しかも、玉野市のような小さい市では、県や岡山市の教育委員会のような大所帯とは違って分業ができません。小さくはなっても仕事の種類自体は減らないのを、数人のメンバーでこなさないといけないんです。本当に激務でした。

 

その代わり、教育のあらゆる分野の知識に360度、総合的に触れることができました。幅広い教育の見識を得て、「社会は変わっていっている」ということも肌で感じることができました

 

では、現在の改革の下地は教育委員会で作られたものだったんですね。やはりそこでも改革に取り組んでいたんですか?

 

いや、教育委員会は「やりたいことができる」という性質の場所ではありませんでした。「こういう学校にしていきましょう」と発信をしても、実際には現場の校長先生ができなかったら、教職員が不満を持ったら、学校は変えられない。「なんで学校は変わらないんだ……!教員は自分の思いだけを主張をするんだ?」という憤りをずっと抱えていて、牢獄にいるような気持ちでしたよ。

 

だからこそ、「自分が校長になったら、絶対に理想の学校を創ってやる。誰にも遠慮せず、教育改革を徹底的に進めてやるんだ」と心の底で誓って過ごしていました。全国の学校の事例を本で読んだり、視察に行ったりして構想を温めながらね。世界を広げることは大事にしていました。

 

とはいえ、15年ですからね。「もう現場には出られないのかな……」と半ば諦めかけた時もありました。

 

先生の改革の裏には、その15年のため込んだエネルギーがあったんですね。ついに念願叶って現場に舞い戻った時はどんな気持ちでしたか?

 

「よーし、もうこれで誰も止める者はおらん!」って思いましたよ(笑)。今は生徒や先生たちと徹底的に改革を進めることができているので、本当に幸せです

 

教育委員会から学習用端末活用については、いろいろ制約があるのでちょくちょく「ちょっと待ってください」ってストップがかかることはありますけどね。

 

でも、教育委員会の立場は自分が長くいたからよく分かっています。だから冗談まがいに言うんです。「止められるもんなら止めてみろ!」ってね(笑)。でも玉野市教育委員会は学校のために制限をかけないものと信じているから言えるのです。仲間ですから。

 

一丸となって改革を進める荘内中学校の皆さん。

 

すごい、まさに大爆発ですね!

 

未来社会を生きる若者へ

今日は教育改革への熱い思いと、今の住田先生になるまでのキャリアについて話してくださりありがとうございました。最後にメッセージをお願いできますか?

 

じゃあ、まず大人に向けて。

 

私が改革の中で大人の方々から感じたのは「子ども達を間違えさせたくない」という『心配』の思いです。それは子ども達を思うがゆえだと思いますが、その心配が中学校が変わっていくことのブレーキにもなってしまっています

 

人間は間違えたり傷ついたりしながら成長していきます。それを忘れないでください。遠回りしてもいいのです。先回りして失敗を取り除いてやっていると、未来社会を強く生きていく力は育成されません

 

私はそのブレーキを取りたいんです。先生方や大人の方々、ぜひ荘内中学校の事例を見てください。子ども達の未来のために教育を変えていきたいと、きっと思ってくださると信じています。急激なスピードで世界は変わっています。それを知りましょう。

 

若者のみなさんへ。

 

学校は小さな社会であり、社会を回すのは君たちです。学校も社会も、あなたたちがやろうと思ったら、いろんなことが出来るんです。間違ってもいい。学校のすべてのことを自分事として捉えて、自分達が生きる社会を作る経験を、ぜひ学校で積んでいってください。

 

それを妨げる大人がいれば、議論を繰り返して突破していきましょう。あなたたちの力で学校も社会も変えられます。未来を創るのはあなたたちです

 

住田先生、本当にありがとうございました!

 

(編集:北原 泰幸)

 

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