ある分野を突き詰めていく人生もあれば、関わる幅が広がっていく人生もあります。今回は、理容、ストローアート、地域おこし、教育と幅広い分野で活動されている平田慎一(ひらたしんいち)さんをご紹介します。一見、関係がないように見えるそれぞれの活動は、平田さんのどのような思いから生まれてきたものなのでしょうか。

目次
【人生の履歴】
第1章 建部で生まれ育ち、18歳で理容の道へ
――平田さんは、建部で生まれて、42歳の現在も建部にお住まいなのですよね。
僕が生まれたのは、岡山市と合併する前の建部町です。建部のなかでも奥のほうで、旭川が近くにある自然豊かな場所に生まれました。5歳くらいのときに、建部にある福渡駅の近くに引っ越して、今も実家に住んでいます。
高校を卒業するまで建部で過ごし、その後、岡山県理容・美容専門学校に行きました。
――なぜ美容系の専門学校に行かれたのですか?
僕の父は、理容室を営んでいました。
髪を切る仕事は、お客さんの髪を切るだけではなく楽しく会話をしながら、信頼関係を築き上げていく仕事というイメージがあって、すごく楽しそうだなと思っていたんです。
その一方で、中学生ぐらいのときは、実はサラリーマンに憧れていました。父に「サラリーマンになりたいんだ」と言ったら、「お前は散髪屋になれ」と言われて。そのとき、「そうやんな」と妙に納得してしまい、理容師になるために美容系の専門学校に進んだんです。
第2章 人生の大きな節目となった30歳
――18歳から21歳は専門学校に通い、21歳から岡山市の理容室で修行をするのですね。
はい。3人部屋に住み込みをして理容修行をしていました。
約3年間、修行したんですが、3年経つか立たないかくらいのときに、急遽結婚することが決まりまして。入籍したあとすぐに子どもにも恵まれました。
奥さんの実家が修行をしていた理容室にとても近かったので、3人部屋を出て奥さんの実家に住むことになりました。
ところが、30歳に至るまでに奥さんと少しずつすれ違うようになって、子どもの将来を考えて、最終的には離婚しました。
離婚する1年前くらいから、僕の拠点は岡山市の中心部から建部に戻っていました。
30歳までの人生は、今振り返れば、常に理容の仕事はしていましたが、ただ黙々と毎日を過ごしていたような気がします。
けれど、離婚を機に「相手のことを考える、思いやる」ということについて深く考えるようになりました。人として大切なことを気づかせてくれた、元奥さんにはすごく感謝しています。
地域活性化やストローアートに取り組みだしたのは、この頃からです。

ストローでつくられた龍
第3章 自分にできる地域おこしは「自分が動くこと」
――31歳から、さまざまな活動を積極的に始められたのですね。
そうです。31歳になる少し前に、商工会青年部という地域の商工業者やその後継者が入る団体に入ったことが大きなきっかけでした。
商工会青年部に所属する人たちから、ビジネスや地域のイベント、地域活性化に関係する話や考え方を聞いて、とても素晴らしいなと。
「自分の事業を盛り上げながら、自分が住んでいるところにも還元していかにゃいかんだろう」という考え方に心から共感しました。
けれど、僕は散髪屋だから、地域に雇用を生み出すと言っても、多くの人を雇用することはできないと思いました。
自分には何ができるのかを考えた結果、「常にお店にいるから、お客さんに来ていただいて情報交換がしやすい。かつ、自分自身が動きやすい」という結論に至りました。
そこから「地域おこしに関して自分にできることは全部手伝おう」と思うようになったんです。
――具体的にはどのようなことに取り組んだのですか?
2018年に大きなイベントを開催しました。建部で30年前に埋めたタイムカプセルを掘り出すイベントです。
岡山市と合併する前に、建部町政の30周年記念式典として、町民がタイムカプセルを埋めたんです。
埋めた当時はタイムカプセルを掘り起こすことが決まっていたんですが、その後、建部町は岡山市と合併してしまいました。
掘り起こすという約束が建部町から岡山市に引き継がれているか、疑問に思った人たちが岡山市に尋ねました。
すると、「『30年間は掘り返さない』ということは引き継がれているけど、『30年経ったら掘り返す』ということは引き継いでいない」という回答でした。
そうならば、僕たちから岡山市に働きかけていこうということで立ち上げたのが「たけべおこしプロジェクト」という団体なんです。
「たけべおこしプロジェクト」で動いたことで、2018年2月、岡山市長を招き、多くの方にも参加していただいて、盛大にタイムカプセルを開けることができました。
第4章 子どもの成長を願うストローアート
――ストローアートについても教えてください。
ストローアートとは、ストローを素材として作品を作ることです。初心者でも作りやすいストロー1本で作れる作品から、何本ものストローを組み合わせて作る複雑な作品もあります。
ストローアートも「たけべおこしプロジェクト」の立ち上げと同じくらいのタイミングで始めました。
始めたきっかけは、理容室に来る子どもを喜ばせたいという思いです。
僕の理容室に来てくれたお客さんのなかでも小さい子どもは、あまり知らない場所に連れてこられて不安で、泣いたり暴れたりして散髪できないことがあります。
そんな子どもたちを見ていて、理容室で過ごした時間を少しでも楽しい思い出にしてほしいと思って、何かないかと探していました。
最初は、バルーンアートしようと考えたんですが、僕ビビリなんですよ。風船が割れる音がすごく怖くて。他に何かないかなと思っていたら、テレビでストローアートが紹介されていたんです。「これ、やってみよう」とストローアートを始めました。
――そこからストローアートへの熱が高まっていくのですね。
ストローアートを始めたときに、目標を2つ掲げました。1つは「全国放送に出ること」と、もう1つは「ストローアートの作り方の本を依頼されて出すこと」。
本は、自費出版だったら自分でお金を出せば出版できるじゃないですか。そうではなくて、誰かに「出してくださいよ」と言われて出版したいなと思ったんです。
その結果、2018年に目標を2つとも達成することができました。
全国放送の出演については、NHK Eテレの「Rの法則」という番組と、テレビ東京の「テレビチャンピオン極」という番組に出演させていただきました。
本の出版については、ストローを製造している「シバセ工業株式会社」という会社に「本を出しませんか」というお話をいただきまして、ストローアートの作り方の本を出版することができました。
――「テレビチャンピオン極」では優勝されていましたよね!こんなに評価される平田さんのストローアートは、他の方と何か違う部分があるのでしょうか?
「使う道具の少なさ」「熱を加えないこと」「細かい作業」の3つですね。
切る道具はハサミしか使いません。しかも市販のものしか使わないんですよ。
そして、ストローを変形させないという意味で、熱を使わない。他の方は、はんだごてを使ったりあぶって溶かしたりして接着していたんですけど、そういう難しいことを一切しない。
あとは、リアリティを感じる細かい作業が、とくに評価されたのだと思います。
――作り方にこだわりがあるのですね。
「小学生でも扱える道具を使って、どこまで作り込めるか」がポリシーです。
子どもが僕の作品を見ると「僕にもできるかな」と聞かれることがあるんです。
そのときに「絶対できるよ。練習したら誰だってできるんだから」と言いたいから、小学生でも扱える道具を使います。
たとえば、ナイフだったら、危ないから子どもには使わせられないと考える大人もいますよね。火や熱も同じです。だから、手に入れやすい道具を厳選して使っています。
「君にはまだ早いよ、君には無理だよ」というようなことを絶対に言いたくないんです。

第5章 活動の場は教育分野へ
離婚を機に生まれ変わって、商工会青年部に入って、地域活性化に関わり出して、建部おこしプロジェクトを始めて、ストローアートを始めた。その後、目標としていたことが2018年に一気に叶いました。
――あらためて平田さんの勢いと地域や子どもへの思い入れを感じます。今後はどんな活動をされていくのでしょうか?
42歳の現在もさまざまな活動をしていて、今は教育分野にも関わっています。
以前、建部中学校で開催されただっぴに呼んでいただいてから、教育にも興味が湧いて勉強し始めました。教育について知るほど、「教育こそが世界をつくっているんだな」と感じます。
今は、建部中学校の運営協議員でもあります。個人的には、子どもたちに「君には無理」と言わないような、子どもたちの成長を止めない教育が大切だと思っています。

建部中学校創立50周年記念式でスピーチ