場をあそび、企てる。NPO法人企画on岡山代表・大塲真護さん

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公開日 2025.01.25

「夢」や「やりたいこと」は、本当に必要なのでしょうか

 

進路を決めるタイミングは必ず訪れますが、興味のあることが、必ずしも将来の仕事や進路に直接結びつくとは限りません。無理に「情熱」を探さず進路を選ぶことはいけないことなのでしょうか?

 

今回インタビューしたのは、NPO法人企画on岡山の代表、大塲真護(おおば しんご)さん。仕事を生きる術としながら、自分の興味を深めていくためのヒントが詰まったお話です。淡々と、飄々(ひょうひょう)と、どこか涼やかに自分の世界を広げてきた大塲さんの生き方に、ぜひ触れてください。

大塲さんのお仕事

★大塲 真護(おおば しんご)さん

NPO法人企画on岡山代表。地域で市民がチームを組み、公共施設を拠点にして「ホールを原っぱにしてあそぶ」ように文化・芸術活動を企画・制作する。

★いぶきさん

岡山県内の大学に通う3回生で、就活ではマスコミ業界を志望中。やりたいことが多く、同時並行に悩むこともしばしば。

 

企画とは何か?実践しながら考える

 

大塲さんは普段どんなことをされているのですか?

 

普段は週一ぐらいで囲碁を打っています。最近は本の執筆もしていますね。そのほかには、「企画on岡山」というNPO法人の活動もしています。このNPOは立ち上げて10年目になります。

 

どんなNPOなのですか?

 

地域特有の「場」を再発見し、それを活かしながら文化・芸術活動を企画・制作していくために立ち上げたNPO法人です。

 

今やっている主な企画は二つ。一つは、ホールを「原っぱ」にして、子どもたちが遊びながら音楽劇をつくる『野良のあそび箱』です。子どもたちがアーティストや様々な人と協力して、12日間かけて音楽劇を創り上げ、上演します。

 

もう一つは、いろいろなアーティストがパフォーマンスする舞台藝術祭「ニシガワ図鑑」です。ダンスや演劇、音楽など、様々な分野の表現に触れることのできる企てで、毎年3月に開催しています。

 

 

どちらも独創的な企画ですね。団体名にも「企画」とありますが、この言葉に大塲さんが大切にしている思いがあるのでしょうか。

 

私はもともと地域でいろいろな活動をしていました。その都度、県や市には後援申請書を、財団には助成申請書を提出しますが、、その中に「企画・制作費」という項目がないことに疑問を抱いていました。それが、企画に至るまでの「アイデア」や「集団づくり」や「後始末」が軽視されているのではないかという憤りにもつながったんです。

 

「企画」とは何かが明確ではないから、準備期間の軽視が生まれているのではないか。それならば、プロジェクトを進めながら「企画」の定義を言語化していこうと考えました。

 

活動の中で「企画」とは何かを考え、それを通してアイディアの重要性をわかってもらおうとしているということですか?企画やイベント自体の実施を目的にしているわけではないんですね。

 

そうです。それに、私達はイベントを「実施」しているわけではないんです。「実施」というのは、決まっていることを提示することです。一方「実践」は、集団を立ち上げ、アイデアをお互いが拾っていきながら試行錯誤を重ねて「企画」していくことと考えています。

 

うーん、難しいです。人との関わりが必要で、企画の中身が関わる人によって変わっていくということですか??

 

まさにその通り。でも、人との関わりの中で実践を通して考えるからこそ、見えてくるものがあると思っています。

 

大塲さんが企画の実践の中で大切にしていることはありますか?

 

岡山には豊かで恵まれた場所がたくさんあります。そこに立ち、その場で遊ぶイメージが浮かび、アイデアを実現するために様々な人に声をかけ、準備を進めるという流れを大切にしています。

 

どういうことですか??

 

「ある」「いる」「する」という順番が大事だということなんです。

 

「ある」、「いる」、「する」?

 

多くの人は「する」という動作を先行して考え、最後に場所を見つけることが多いと思います。でもそうではなく、場所に感化され、新しいイメージが浮かぶということが大切で、一番楽しいことなんです。

 

かくれんぼがしたくて場所を探してするより、かくれんぼしたくなるような場所があって、そこにいるからかくれんぼをはじめる。そっちの方が楽しい……みたいな感じですか?

 

そんな感じです。例えば、ニシガワ図鑑を毎年開催している西川アイプラザ。ここはホール自体も優れていますが、外には西川という川が流れていて気持ちがいいんです。

 

どんな優れた劇場でも、外に出るとネオン街ばかりで余韻がないのでは、ただイベントを消費しているだけになってしまう。土地ごと含めての芸術を味わい、場を遊ぶことが大事なのに。

 

場を遊ぶ…その発想はありませんでした。最初にハッキリした目的やイメージを固めてイベントをつくるのではないんですね。

 

初めから明確な目的やイメージは作らないですね。それは、場の中で言葉と集団が互いに作用しながら作られていくものです。真面目な人ほど、明確な目的を立ててしまいがちなんですよね。

 

よく「地域活性化のために」という言葉を耳にしますが、「活性化」はなにかをやった結果を示すことばと思っています。目的は抽象的なものと思います。だから、NPO法人企画on岡山では「ホールを原っぱにしてあそぼう」という目的を設定しています。

 

目的はもっと抽象的に……。面白いです。目的のイメージって、ゴールを思い浮かべるもので、具体的に設定しないといけないものだと思ってました。

 

大塲さんのこれまで

消去法で選んだ進路の中で見つけたもの

 

小さい頃、大塲さんはどんな性格でしたか?

 

覚えてないですね。それに人の性格がどうかなんて、他人が見て思うことでしょう。自分の性格なんて分からないですよ。

 

でも、どちらかというと人の集まりは嫌いでしたね。部活もすぐ辞めましたし。どうして今こんなNPOの活動をやっているのか不思議なくらいです(笑)。

 

 

昔から一人でいる方が好きだったんですか?

 

一人が好きというか、人と関わるのが面倒くさいんですよね。なかなか気の合う人にも出会えないじゃないですか。だから結果として一人でいただけで。

 

大塲さんって、すごく正直なんですね(笑)。うらやましいです。学生時代はどんなでしたか?

 

中学・高校は親元を離れて私立中学に通いました。親に勝手に行かされたのですが、その学校は一貫校だったので、高校入試もなく幸いでもありました。

 

大学は、一浪して早稲田大学の文学部に入りました。私は理系だったので、入試科目に数学があったのがよかったんですよ。それに文学部っていったら、経済学部や法学部より楽と思ってそうしました。

 

授業中に教授が「ちょっと一服」とタバコを吸い始めるような時代でしたよ。それに入学後3年間ストがあって、混沌としていました。卒論の締切日の連絡なんてないんです。掲示板にぽつんと貼ってあるだけで、自力で情報を探さなきゃいけない。私も締切日ギリギリになってそれに気づき、急いで提出した思い出があります。

 

今とは全然違いますね…!大学卒業後はどうでしたか?

 

そもそも働きたくなかったのですが、仕方なく真庭のスーパーに就職しようかと思っていました。すると私学の女子校から「内定していた人が大学院に行くことになったのでうちに来ませんか」と電話がかかってきたんです。そこで、教師として働くことに決めました。

 

小さい頃から先生になりたかった……とかでは?

 

全然(笑)。親が教師だったので、なりたいとは思ったことはないですよ。

 

じゃあ自分でもあまり惹かれないまま教師になったんですか?

 

仕方なくね。29歳で大学を卒業したから、生活の術として教職を選んだというのが正直なところです。

 

実際に教師として働き始めて、どうでしたか?

 

思ってたのと全然違いましたよね。部活にしても掃除にしても、どうしてこんな雑用をやらなきゃいけないんだ、と思っていました。

 

当時はまさに時代の転換期でしたね。コギャルやルーズソックスが流行り、全国の学校が荒れた時期でした。社会はどんどん豊かになり新しい文化が生まれている一方で、学校の体制は古いままで訳の分からない校則もたくさんある。今みたいにスマホなんてないし、学校以外の居場所もないから、子供たちはガス抜きができない。

 

大塲さんは校則が古すぎるなと思いながらも、生徒たちを指導する立場だったんですか?

 

だから、注意するフリだけしてました。

 

(笑)。生徒と関わるのは好きでしたか?

 

女子高生なんて自分から最も遠い存在で、特に集団になると訳が分からなかったので「どう関わっていいやら」という感覚でした。でもそれが逆によかったのかもしれません。生徒という存在や集団に対して変に意気込んだり好きだと思ったりしてかかると、現実との落差が生じてしまうから。

 

教師時代で、この瞬間が一番楽しかったなという思い出はありますか?

 

授業中、生徒たちが詩をノートに写している間、ぼーっとしてる時はよかったですね。窓を開けてカラスとカーって喋ったりしてて。よく覚えています。

 

よく生徒や他の先生に怒られなかったですね(笑)。

 

もう一つは、100周年の文化祭の企画に文化委員会の担当として関わった時ですね。

 

今の活動ともつながりますね。その他にありますか?

 

中学生と影絵をやりました。ロングホームルームや放課後を利用して、全クラスで1か月間かけて影絵をつくるんですよ。

 

今の『野良のあそび箱』でも影絵を使っていますよね。どうして舞台で影絵をしようと思ったのですか?

 

目の前にエネルギーの塊がいたからですよ。思春期というのもあってそのガス抜きとして。また、一人ひとりに役割があるとコミュニケーションが自然に生まれます。「影絵」を選んだのは、全員が裏方で、装置も簡単だからです。宮澤賢治の作品も上演して楽しめます。

 

それに、影絵なんて教師もやったことがないから、教えることができないですよね。みんなでよーいどんで始めるから、平等で自由になる

 

では、舞台づくりでは「好きなように自由にやっていいよ」という接し方をするのですか?

 

いやいや、秩序のない自由ではなく、個人が役割を持ったうえで自由になるということが大切なんです。劇や影絵には「集団として企てを作り上げていく」というプロセスが内在しています。役割を担いながら自由に遊ぶことで、そのプロセスは意味を持つんです。

 

衣装係や大道具係という役割の中で、子ども達が自由に発想して一つの劇を作って行く。そのことで何か意味や面白いものが生まれてくる……ってことでしょうか?難しいです!

 

 

教師だったからいろんなことを経験できた

 

教師は長く続けたんですか?

 

40代から教育相談室長になり、56歳で早期退職しました。ちょうど40代になった頃に、スクールカウンセラー制度が全国で導入されたんです。学校教育相談学会の今井五郎先生と、臨床心理学会の河合隼雄先生が時間をかけて文部省と交渉した結果でした。

 

どうして教育相談室長になろうと思ったのですか?

 

「いじめ」のような問題を従来の学校教育システムでは解決できないし、担任という立場では対応できないと感じていたからです。

 

先ほどの影絵の話ともつながりますが、教育相談的な視点で言うと、演劇は集団がある程度正常になるために有効なんです。でもそれは、問題が起こる前にできる「予防的教育相談」にすぎない。だから、それだけでは当然いじめなど個別的な問題は発生します。

 

生徒が「いじめられました」と泣いて来ても、僕は担任として目の前のいじめ問題に対応できなかった。だから手を挙げて教育相談室長になろうと思ったんです。

 

教育相談室長になってからはどんな取り組みをしたのですか?

 

毎年30人くらい不登校の子たちが出るんですよ。その子たちをどうやって進級・卒業させるか考え、臨床心理士(スクールカウンセラー)と連携して対応していきました。当然、学校の決まりや進級制度にも手を入れないといけません。分野をまたがって担任や学年主任同士が手を取り、仕組みを動かす。そういう連携をしていきました。

 

担任の時とはまた違った技術が必要なんですね。

 

組織に属してはいるけど、中立でなきゃいけませんからね。そのために、より細やかな工夫が必要になります。例えばテーブルの座り方。こちら側に校長や担任がいて、反対側に何かを訴える親がいたら、私は真ん中にいないといけない。

 

そんな細かいところまで考えるんですね。とても難しそうです。

 

これも、教師という役割があり、学校という文化に通じていたからできたのだと思います。

 

ありがたいことに教育相談室を作ってもらえたから、職員室じゃなくてそっちにこもっていました。音楽を流してお香を焚いて(笑)。でも、不登校の生徒にとってもそんな場所があったのはよかったと思います。

 

市民活動の中に見出す「麻雀」のような面白み

 

50代で退職後はどうされましたか?

 

岡山県天神山文化プラザの嘱託職員として働きました。そして2015年、NPO法人企画on岡山を立ち上げ西川アイプラザで活動をはじめました。

 

たくさんの人が集まる団体を継続していくためには、明確な「法」を共有する市民の集合体であるNPO法人の形をとるのがよいと考えたんです。

 

明確な「法」ですか……?

 

法人の法は法律という字ですよね。要するに集団の規則がある集団ということなんです。様々な人間の動き回る集団をまとめるためには、こちらで明確な「法」を作っておかないといけない。逆に言えば、「法」を作ったからこの団体は10年続いたんだと思います。

 

人が集まると、冷たい組織になるか過剰な仲間意識を持つ集団になるか、どちらかに偏りがちなんです。組織っていうのは基本的に冷たくなるし、一方で集団は暑苦しくなる。この真ん中が難しいんですよ。私たちの団体だって、NPO法人として立ち上げて「法」をつくって体系化しておかなかったら、参加者に冷たい組織になるか、内輪だけで盛り上がる集団になっていたかもしれません。

 

野良のあそび箱in夏休みでの一枚。大人も子ども、みんなが集って作業する。

 

守るべき「法」があれば、それが防げる。

 

はい。団体を運営するなら、枝葉のような細々したものでなく、法体系のような根幹となるルールを用意しておくことが大切です。例えば新しい人を誘うときには、団体の目的や活動内容をしっかり伝える義務があります。それがないと、集団の秩序が乱れてしまう。ただし、お互いが市民であるという自覚があれば、集まった人がどう行動するかはそれぞれの自由です。

 

僕たちのようなNPO法人の場合は市民が立ち上げるものであり、誰もが市民である以上、すべての人が対等に関わることが基本です。私たちの「野良のあそび箱」では、高校1年生から83歳までのメンバーが、市民として対等に活動しています。

 

しかし時には、参加者が既に属している集団の価値観を持ち込まれて困ることもあります。

 

ああー、部活やサークルや会社なんかでもありそうな話だとイメージが湧いてきました。

 

みんな枝葉や具を見て過剰になってしまう。集団が共有するのは幹や鍋であって、根幹のルールや価値観が大事なんです。私も一緒に喜びますが、盛り上がることはしないですね。

 

幹や鍋にあたるのが団体や企ての大枠で、大塲さんは鍋そのものをつくる立場なんですね。一緒になって盛り上がりたいとは思わないんですか?

 

そこに呼ばれれば出るけど、誰も呼んでくれないんですよ。色んな人に避けられてる(笑)。でも、団体を長く続けるには人に避けられることも大切なんですよね。見境なく人が寄ってきたら、対応が大変じゃないですか。

 

教師やカウンセラーやいろんな活動を経て、NPO法人企画on岡山の活動に辿り着いて、すごいです。やっぱり今のNPOの活動を楽しいと感じていますか?

 

「楽しい」というなら囲碁や麻雀でいい手を打った時の方が楽しいかな。

 

ああ、でも企画会議っていうのは麻雀と似てるかもしれませんね。いろいろなアイデアを場に出していって、出したものの中で一番大事なものをお互いに拾い合う。

 

僕は麻雀が一番面白いゲームだと思っているんです。麻雀はどんな配牌になるかわからないし、将棋などと違って役割も決まっておらず、その要素は常に隠れている。お互いが何をしたいかもよく見えない。その見えない中から、形のある役に変化させていく。どんな配牌が来ても、そこからどうするかを考えていく。それが面白い。

 

人も同じで、本来お互いが何をしたいかよく見えない。それをだんだん形にしていく面白さが企画にはあるかもしれないね。

 

私も麻雀好きなので、なんとなくわかる気がします。よく見えないから面白い。でも、夢中で麻雀していると、終わった時に寂しくなりませんか?企画もそういう感覚ってあるんじゃないですか?

 

そうですね。『野良のあそび箱』は子どもたちが夏休みに1ヶ月間大勢集まりますから、余計にね。

 

僕はそれが終わって2、3日経った後、ホールにフラッと立ち寄るんですよ。がらーんとしたホールに一人でポツンと立つ。本当に静かです。まさに「夏草や兵どもの夢のあと」ですよ、あの盛り上がりは幻だったのかと思うほどに。でも、あのホールに立つ瞬間、僕は好きですね。

 

巨大蚊帳の中で布団に入り、怪談話をする企画『カヤ文明inニシガワ』。 ホールがエネルギー渦巻く空間になるからこそ、終了後は静けさが際立つ。

 

なんか……いいですね。どう言っていいか分からないけど、大塲さんの生き方に「いいなぁ」って思います。

 

若者へ「場に立って、見えないものを見よ」

 

お話すごく難しかったですが、身近にいる大人からはなかなか聞けないようなお話を聞かせてもらった気がします。本当にありがとうございました!最後に、大塲さんから若者へのメッセージをお願いできますか。

 

大学でふらっと一回だけ授業をしに来た、長田弘という詩人がいました。彼の随筆には、「枝を見るんじゃなくて種を見ろ、種を見たければ南フランスの共同体がかすかに残っている村を訪ねなさい」というようなことが書いてあります。つまり、「見えないもの」に出会えということです。

 

場に立って、見えないものを見ようとすると、アイデアは生まれます。枝葉のことだけでなく、種を見ようとすれば、世界は広がると思いますよ。

 

う〜ん、やっぱり難しいです……(笑)!でも、大塲さんの言葉を考えながら、世界を眺めてみようと思います。今日はありがとうございました!

(編集:有澤 可菜)

 

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