子どもたちの感性を育むアーティスト・山田茂さん

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公開日 2022.04.21

この記事では、自分のやりたいことを子どもたちにも見つけてほしいと願い、幼児のアート教育なども実践するアーティスト・山田茂(やまだしげる)さんの生き方に触れていきます!

山田さんのお仕事

抽象画アーティストとして生きる

――山田さんはどんなお仕事をされていますか?

 

アーティストとして、絵を描いたり、立体物をつくったりしています。

現在は、建築家やインテリアデザイナーの依頼に基づいてその空間に合った作品をつくる「コミッションワーク」がメインです。個展等での作品発表も行っています。また、作品制作の傍ら、芸術士として幼児のアート教育にも関わっています。

 

――アーティストとは、どのようなお仕事ですか?

 

個人事業主ですね。

アーティストとして生きていくためには、作品制作だけでなく、自分の作品の価値を上げるために、自身のブランティングも行う必要があります。僕の場合は作品製作から宣伝・販売まで1人で行っています。最初はコネや実績がなかったのでとても苦労しました。

 

山田さんの作品

 

子どもたちと一緒に遊ぶ芸術士

――芸術士はどのように子どもと関わっていますか?

 

芸術士は、自分の得意分野を教えるためではなく、子どもたちと一緒に遊ぶために幼稚園や保育園に通っています。

例えば、僕は子どもたちと同列で、一緒に遊ぶことを意識しています。具体的には、絵の具や紙といった材料の準備等、遊びのきっかけづくりですね。その後は、子どもたちが自分のゴールを目指して遊び尽くしてくれます。子どもたちにとって、ある遊びが次の活動につながったり、日々の発見になったりすることも多いです。

 

子どもたちは、芸術士が来ることを楽しみにしています。その期待に応えられるように、子どもたちが自分の心を解放できるような活動がしたいと思っています。

 

――子どもにウケの良かった企画はありますか?

 

絵の具のにじみを楽しむ企画は盛り上がりましたね。

 

最初に、にじみを体感してもらおうと思って、寝転がった子どもたちの上にビニールシートをぶら下げて、その上に敷いた半紙へ色水を散らしたんです。そこで、色の雨を体験してもらってから、子どもたちにも、にじみの作品をつくってもらいました。

 

こんな風に、子どもたちが「自分もやりたい」という気持ちになるために、導入部分の工夫が大切だと思っています。

 

 

――幼児のアート教育に関わるきっかけは何だったんですか?

 

知り合いの絵描きの先生に、子どものための美術教室の先生を頼まれたのがきっかけですね。

 

20代前半のときに関わったその教室は、小学生以上という年齢制限がありました。ところが、「就学前の子どもも通わせたい」という声が意外と多かったのです。しかし、その時は断っていました。そもそも幼児に”何かを教える”ということに疑問を感じていたんです。

 

その後、自分の子どもの保育園での表現活動を見たときに、発表会などの目的のためではなく、普段の生活の中で純粋に表現する楽しさを感じさせてあげたいと思っていました。ちょうどその時に、高松市(香川県)の芸術士の存在を知って、幼児と芸術との関わりについて知りたいと思ったので、芸術士になりました。

 

子どもたちが情熱を傾けて生きていける

 

――教育活動の中でのこだわりはありますか?

 

子どもたちに寄り添うことです。

幼稚園や保育園で子どもと接していると、子どもたちにもやることがたくさんあって、意外に忙しいことが分かります。加えて、先生方もスケジュールに追われていて忙しい。

 

そうすると、取り残される子どもが出てくるんですね。そういうときに芸術士がいると、その子に寄り添うことができる。

今の時代は成長や発展が望まれていますが、これからは生活の熟成が大切であり、そのためには、取りこぼしをつくらないことが大切だと考えています。なので、日々の大切なものや自分に合ったものに気づける感性を育んでもらうために、子どもたちに寄り添っていきたいと思っています。

 

――山田さんが考える教育の理想ってどのようなものですか?

 

子どもたちが失敗も含めてどんどん体験できて、生きる力を身につけられるような教育が理想ですね。

 

僕は、子どもたちが自分のやりたいことを見つけて、情熱を傾けて生きていける世の中になってほしいと思っています。そのためには、皆それぞれが自分に合ったものや学び方を見つけることが大切なので、それを実現できるような教育が理想です。

 

山田さんのこれまで

会社勤めをしながら

――山田さんがどんな経験をされて今に至るのか教えてください。

 

絵を描くのは好きでしたが、高校卒業後、芸術系の大学には行かず、設計会社に就職しました。しかし、仕事をしながら「人生の中で自分にしかできないものを突き詰めたい」と思って、再び絵を描きはじめました。

 

ただ、仕事と絵がどっちつかずで、行き詰ってしまいまして…。青春時代全てを費やした絵を描くことを簡単には諦めきれず、以前から憧れていたニューヨークへ行く決心をしました。

 

ニューヨークへ留学

33歳のときに、会社を辞めてニューヨークのアート学校へ留学しました。1年間だけでも絵のことだけを考えて生活したいと思ってはいましたが、実は、絵を諦めるためでもありました。

 

でも、ニューヨークでは絵を描くことのすばらしさを再確認できたんです。また、表現する人たちのエネルギーに触れて、「物づくりがしたい」と強く思いましたね。

 

ストリートで絵を売る生活

僕の下宿近くのストリートでは、週末にアーティストたちが絵を売っていたので、自分もやってみることにしました。ここで、ものを売るノウハウを学びました。

売れている作家を研究し、売れる作品には売るためのストーリーがつくられていることを発見しました。そこで、自分に合った作品や売り方、広報活動等、売るための準備を積み重ねた結果、絵を売って生活できるようになったんです。

 

誰にも頼らずに自分の力で生きる楽しさを実感して、これを日本でも続けたいと思いました。

 

日本に帰国してから

5年間のニューヨーク生活を経て、帰国しました。作品を発表するだけでは食べていけないと思っていたので、空間を作っている人に自分を売り込みにいって、1つずつ仕事を取っていきました。

 

アート業界だけでなく、もっと広い意味での社会とのつながりを大切にして、色んなところに可能性を見つけながら、空間に絵を欲しがっている人、自分の絵を必要としてくれる人とのご縁を作っています。

 

撮影/森田大貴

 

(編集:森分志学)

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