• #目標を一つずつ
  • #生き方を考える
  • #学習塾長

人生の道しるべを一緒に探す教育者・高山和成さん

「教育に携わる人」と聞くとまず学校の先生を思い浮かべますよね。でも実は教育への関わり方ってたくさんあるんです!
この記事では、学塾 誠和学舎の塾長である高山和成(たかやまかずなり)さんの生き方に触れていきます!

【現在の高山さん】

Q1.高山さんのことを教えてください!

1990年生まれ・総社育ちで、現在は学塾 誠和学舎という私塾をやってます。

また、総社商店街にある古民家を拠点にしたNPO法人総社商店街筋の古民家を活用する会の副理事長や、集落支援を行うNPO法人みんなの集落研究所の執行役もしています。

それから、岡山の次世代の教育や、不登校の小中学生の支援にも関わっています。

 

——学塾 誠和学舎はどんな場所なのですか?

 

学校の勉強だけでなく、体験活動やキャリア教育にも取り組んでいる塾です。今年から、社会の様々な課題について学びを深めながら将来必要になる力を身につけていく「探究学習」というプログラムも始めました。

 

——「探究学習」って具体的にはどんなものですか?

 

例えば、「総社にあったらいいなと思うもの」というテーマについてグループで考え、実際に市役所の方にインタビューをした後、アイデアをみんなの前で発表するというようなものです。

 

探究学習では、一つの答え・一つの思考プロセスに決まっている問題ではないものをテーマに学ぶことが多いです。

社会に出てから必要になるのは、難しい課題に挑戦する力や一つのことに継続して取り組む力だと思っています。この力は、学習指導要領に沿った内容を一斉授業の型で一律に教えていく今の学校教育の形では、どうしても身に付きにくい。そこで、探究学習を用いて、知らないことを深めていく楽しみを知ってもらいながら、非認知能力と呼ばれる目に見えない力を養成するのです。

 

Q2.起業して一番良かったことは?

お礼を言われる回数が圧倒的に多いことですね。飲食店でバイトをしていた時、一人のお客さんからありがとうと言われるのは一度くらいだったんです。でも自分で商売をしていると、ありがとうと言われることがとにかく多い。

塾を始める前は一人で家庭教師をしていたんですが、生徒の家に入ってすぐにお礼を言われ、勉強を教えた後に生徒に言われ、親に言われ、帰る時にも言われ、みたいに。ありがとうと言われることで生まれる日常の喜びは、雇われて仕事をする人よりも大きいと僕は思います。

 

Q3.大切にしていることって?

決めつけないことですかね。

出てくる答えって、常にベスト(best)じゃなくモアベター(more better)なんです。「より良い」であって「最も良い」普遍的な答えではない。モアベターが次のタイミングではまた存在するから、出てきた正解を「いついかなる場合においても正解だ」とは思わないっていうことがすごく大事だと思っているんです。

 

めっちゃ仲良しだと思っていた親友に裏切られた、みたいなことって人間関係の悩みでよくありますよね。今は親友だと思い込んでいるだけで、次の瞬間から親友じゃないなんてこともザラにあるわけですよ。何が起こるかわからないから、ものごとを自分の目でその都度判断していくっていうスタンスっていた方が楽に生きていけると僕は思っています。

 

【脳内グラフ】

脳内グラフとは、高山さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。

 

教育 60%

「教育」っていうと、塾で教えるイメージを持ちますよね。でも塾以外にも、総社市の小中学校に行ったりもするし、高校の探究学習のコーディネートで入ったりもするし、それ以外のところで大学生と関わったりもするし。何らかの形で四六時中教育に関わっていて、それが60%を占めてるって感じです。

 

総社 20%

総社には、小学1年生の時に引っ越してきてからずっと住んでいます。今も総社に住み、総社で働いていて、ここを5日以上離れたことないくらいです。

 

——総社以外の場所での起業は考えなかったんですか?

 

そうですね。地域の方々との繋がりが多かったり、地域のことを分かってお商売ができたりするのは、やっぱり地元ならではだと思って。よく「総社のこと大好きなんですね!」って言われるんですけど、実はそうでもない(笑)いや、もちろん好きですよ?(笑)

たしかに総社愛は他の人よりはあると思いますけど、総社を愛しているからだけでここでやっているわけじゃなく、総社が自分のホームとしてやりやすい場所だからやっているんです。

 

家族 10%

妻と二人暮らしをしています。家は1階が塾の学習室、2階が生活空間という感じです。

 

——仕事とプライベートがくっついてる、みたいな状態は苦にならないんですか?

 

僕は全然苦にならないんですが、妻は最初めちゃくちゃ不満を言ってましたね。でも逆に、今はその方がありがたいって言ってくれてます。

 

——え、そうなんですか!?

 

僕の居場所(どこにいるか)が明確になるじゃないですか。僕はいろんなところにフラフラする特性があるんですが、塾の時間になったら僕は間違いなく塾にいるんですね。そういう意味で良いと妻は言ってます(笑)

 

世の中のいろんな気になること 10%

結構いろんなことに興味があります。で、なんとなく調べてみようかなって気持ちになります。

僕が本や人の話から得る知識は基本的に「いかに若い人たちに還元していくか」っていうスタンスで入ってきます。僕というフィルターを通すとなんらかの「教育資源」として還元される。だから結局最初の60%に入っていくと思うんですね。この10%は、興味があるアンテナをいろんなところに張っておくために使っているって感じです。

 

【人生の履歴】

第1章 夢っていったい…?

小学校の文集には考古学者になると書いてました。隣の席の男の子が考古学者って書いていたのを真似して。中学生のときは中学校の先生になると書いてました。中1の時の先生が好きだったから書いただけなんです。本当にその時の思い付き。

だからこの頃はまだ、職業について何か考えがあって書いてるわけじゃなくて。多分、将来の夢はなかったんだと思います。

 

第2章 「とりあえず」教育へ?

高校のときは、とりあえず教育学部に行こうと思ってました。めっちゃ先生になりたいわけじゃないけれど、文集には先生になると書いたし、とりあえず勉強だけしてた、みたいな感じですね。(バスケばっかりで勉強もほとんどしていない)結局は、岡山県立大学への推薦があると先生から言われてそこに行ったんです。

ところが大学に入るまで、僕の学科では教員免許が取れないことに気づかなかったんです。でも気づいたときあまりショックは受けませんでしたね。そのくらい高校のときは何も考えてなかったんです。

 

第3章 劣等感に気づく

大学は、家から近く友達が多いという程度の理由で決めてしまいました。でも入学してみると周りには、多様な考え方を持ち、自分自身が何をしたいかを基準に勉強や活動をしている学生がたくさんいた。

その時に、劣等感というか、何かちょっと自分とは違うんだな、みたいには思ってました。

 

第4章 師匠と運命の出会い

少し話は戻るんですが、高校3年生のとき総社にある雑貨屋のオーナーに出会いました。その方が僕の師匠です。

師匠からは「エスカレーター式の進学で本当に幸せになれるのか?」「君は何のために生まれてきたのか?」「仕事って何のためにすると思う?」みたいな質問をたくさん浴びせられたんです。そのとき僕は答えることができなかった。そんなこと考えずに生きてきたので。でも師匠のおかげで自分の将来について考えるようになりました。

 

大学進学後もお店を起業した師匠から話を聞いていくうちに、僕も起業したいと思うようになりました。同時に、大学で学んでいることが必ずしも自分のやりたいことではないと気づいて、少しずつ大学にも行かなくなったんです。「自分は起業するんだ!」という意識高い系のようなテンションで残りの大学生活を過ごしました。

 

第5章 中退よりもアルバイト

結局、大学に4年間在籍はしたんです。卒業式のときに、僕は退学届を出して少し早めに”自主卒業”するっていう形で退学しましてね。みんな就職していく中で僕は就職先も学歴もなかったので、フリーター生活を半年ほどしたんです。

 

——大学卒業は考えなかったんですか?

 

必修科目の単位を落とし、4年間では卒業できないと分かってからは中退を考えてました。親には留年してでも卒業してほしいと言われていたので、とりあえず4年間在籍はしたという感じですね。単位を落としたのは、そもそも大学に行けなかったからなんです。

 

というのも大学2年で始めたマクドナルドのバイトにドハマりしてまして…

マックのバイトって人材育成やマニュアルがしっかりしていて、それが尋常じゃなく面白かったんですよ。だんだんバイトに入る時間が長くなり、終わるのが22時から0時、深夜2時になり、朝起きられなくて大学に行かなくなりました。半年間のフリーター生活も、マックのバイトで食いつないでました。

 

第6章 将来困る子どもを増やしてたまるか!

半年間のフリーター生活の後、アパレル系の企業に就職しました。僕は営業職をしたかったんですが、配属はアパレルショップのスタッフでした。それが本当に向いていなくて…。服を畳みながら、「自分は何のために大学を卒業せずに辞めたんだっけ」とか「自分はこういう仕事がしたかったんだっけ」とか、すごく考えていたんです。せっかく師匠から豊かな人生について考えるきっかけをもらったのに自分は何をしてるんだ、みたいな。

 

でも同時に、大学生になって自分の生き方を考えても遅いよなっていうのも思っていて。もっと早い段階で学校では教えてくれないことを知れば、僕のように困る人間が減るんじゃないかと思って。

小中学生に伝えるために何かできないかなということで思いついたのが、家庭教師だったんですね。僕は教員免許も持ってないし、塾のために場所を借りたり人を雇ったりするお金もなかった。だからといって大手の家庭教師では、自分の伝えたいことは伝えられないと思ったんです。そこでとりあえず、自分で家庭教師をやろうと決め起業しました。

 

第7章 子どもたちに伝えたいこと

最初のお客さんはうちの祖母の友人のお孫さんでした。最初の面談で僕は、「ただ成績を上げる方法だけではなく、これからどんな人生を送っていくか、どういう風に生きれば幸せかということも伝えたいんです」ってことを本人とお母さんに話し、最初のお客さんになっていただいたんです。

 

その後、生徒の人数が増え、25歳の時に家庭教師から今の塾の形態になりました。今でも、このメッセージは変わらず子どもたちに伝えています。

 

第8章 これからの夢は…ない!?

実は今でも夢ってあまりないんです。それよりも直近で達成したい目標がたくさんあるんですよね。目標を達成したときにまた次の目標ができていくっていう感じで、今はすごく精神的にも安定してるんです。

 

よく「大きな夢を描くことが大切だ」とか言われていますよね。もちろん夢が原動力になる人もいると思いますが、僕はそうではないと思っていて。衝撃的な出来事がきっかけで自分の使命が見つかる人もいると思うんですけど、僕はめちゃくちゃ困る経験もなく普通に人生を送ってきたので、大きい夢を持たないといけなくなるような事情があまりないんですね。

 

——高山さんの原動力ってなんですか?

 

小さい目標を一つずつ乗り越えていくことですかね。

自己実現のスタイルには二種類あると思っています。一つは、真っ白のキャンバスに下書きをしてから(大きな夢を持ってから)、それに丁寧に色を塗り、良い人生を描いていくスタイル。もう一つは、とりあえず細かく細かく好きなものを描いていって、どんな風になっているかはわかっていないけれど、最後に全体を俯瞰してみたら「自分の人生ってこんなものになったんだ、すげぇ」っていうスタイル。

 

僕は後者ですね。大きい夢は別に持ってなくて、今やらないといけないこと、できたらいいなって思うことを一生懸命やる。乗り越えられそうだけどまだできていない目標を、ひとつひとつこなしていく。小さい目標をクリアしていくこと自体がモチベーションになっているんだと思います。

TOP