小さい子が好きで、保育士になりたいと思っている高校生も多いのではないでしょうか。
この記事では、岡山市にある企業主導型保育施設の園長として働く贄田征子(にえだせいこ)さんの生き方に触れていきたいと思います!
目次
贄田さんのお仕事
園長としてチームのパフォーマンスを高める
――贄田さんはどんな仕事をされていますか?
——どんな保育園なのですか?
保育園は、「認可・認可外」という言葉を聞くと思います。認可保育園は地域の保育園で、保育園の周辺に住んでいる人が通っています。卒園して公立の小学校に進学した子は、同級生は顔見知りということになりますね。自ずと保護者同士も顔見知りなので安心感があります。
——認可外保育園ってどんな施設なんですか?
認可外だからこそ、少人数保育ができる点も良いところだと思っています。また、入園にあたっては通常、母親の労働時間の長さなどによって点数が決められ、点数が高い人から保育園に入りやすいというのが現状です。
企業主導型では、都道府県知事が認可をするのではなく内閣府が定める基準をクリアし運営しています。園それぞれの特色が出やすいことも特徴の一つで、保育園できる教育・サービス内容は、これまでの培ってきた大切な部分を守り、時代と共にアップデートしています。
楽しく生きている大人でいたい
——認可外保育園ってどんな施設なんですか?
子どもは好奇心が強くて、外から入ってくる情報にバッと飛びつき、グッとエネルギーを注ぎますよね。保育士さんも、子どもの感覚に近い人が多いように感じます。バイタリティが強くてパワーをもらいます。
——それは、贄田さんもですか?
子ども達が「早く大人になりたい!」「大人ってなんか楽しそうだな〜」って思ってくれる様な大人でいたいんです。楽しく生きている大人が身近にいるって、結果的に素敵な教育だと思います。
贄田さんの脳内
脳内グラフとは、贄田さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。
50%−直感
そう思ったきっかけは、これまで何度と問われてきた「あなたの夢は何ですか」について考えたとき。子どもたちもこの質問をよく問い掛けられますが、よくないなあと感じる点は、夢を職業で語ってしまうところです。それよりも、どう在りたいかを聞いてあげるといいのになあと思います。
——贄田さん自身は夢ってありますか?
——在りたい姿!どんな姿ですか?
追い込まれて、もう「する」という選択肢しかなくなった瞬間、自分を応援してくれる人が現れて、勇気をくれます。へこむことも落ち込むこともあるのですが、その人たちがより高い場所へ連れて行ってくれるのです。なぜ私を応援してくれるのだろうと考えてみましたが、私もまた日頃から挑戦する人を応援しているからだと思いました。誰かを助けたことがある人は、「する」を選ぶ瞬間には誰かが助けてくれるはずです。
それでも勇気を振り絞るって怖いことです。選択肢が2つある状況は、どちらかが成功でどちらかが失敗と考えてしまいますが、覚悟を決めて「する」と決めた瞬間、挑戦も失敗も自分の経験に変わります。一番の失敗は、何もしないことだと思います。だから思い切って挑戦したいですね。
40%−余白・可能性
私の場合は、夢に向かって一筋に生きていくという人生ではなかったです。いつもまだ見ぬ自分がどこかにあって、その余白の部分に居場所を見つけることの繰り返しでした。余白があるというのは、まだまだ可能性があるとも言えると思います。だから挑戦していたいと思うのかもしれません。
10%−保育や保育園のこと
保育園には、発育に関しての知識や経験のあるプロである保育士さんや栄養士さんがいます。親の代わりとしているのではなく、プロが子どもと一緒に過ごします。一方で、子どもが育つ過程には1つだけの正解があるわけではありません。
——方法は多種多様ってことなんですね。
子どもの「育ち」のタイミングはばらばら。なんでだろうと疑問を持つこと、どうしてだろうと心配することは素晴らしいこと。保育士は、こういったチャンスが来た時にサポートする。一緒に困る、一緒に悩む。子どもも大人も自分で育ちます。このチャンスに気付けるように、一緒にいるのが保育士や保育園だと思うのです。
贄田さんのこれまで
次に「人生グラフ」を作ってみたいと思います。人生グラフとは、生まれてから今日まで、さまざまな出来事によるご自身の気持ち・運気の上がり下がりを可視化するグラフです。どんな指標でもよいので、これまでどんな人生を歩んできたのか聞かせてください。
第1章 音楽は、人の命を救う
中学校の私は、全日本合唱コンクールで優勝するような強豪校の合唱部で歌っていました。まさに気分は無敵でした。3日間の遠征となったコンクール。優勝を手にして、学校に戻ってきた私たちに顧問の先生が一通の手紙を読んでくれました。手紙の送り主は、行き帰りを共にした添乗員さんでした。手紙の内容はこんな感じでした。
「仕事もうまくいかず、生きていても仕方がない。もう自殺してしまおうと考えていました。しかし、皆さんの歌声を聞いて、もう一回、生きてみようと思うことができました。ありがとう」
続いて先生は話してくれました。「君たちは、素晴らしい。コンクールで全国優勝したことは、素晴らしい。しかし、優勝はたまたまだ。審査員の好みだっただけかもしれない。たまたま審査員の心に響いただけかもしれない。君たちでなくても、たまたま優勝する学校はあったかもしれない。手紙をくれた添乗員さんの命を救えたのは君たちだけだ。君たちにしかできなかったことだ。優勝よりこのことの方が、どれだけ素晴らしいことかを伝えたかった」と。
音楽には人の命を救う力がある。私は音楽の道へ進みたいと思いました。
第2章 音楽の挫折
高校では、声楽を専攻します。小さい頃から音楽教室に通わせてもらい、音楽が好きでした。声楽は自分の喉が楽器ですから、声帯が強い人、弱い人と個人差があります。どんなに練習しても勝てない相手が出てきます。同じ学校の人たちは、みんな上手。ここいる人はみんな音楽が大好きで、努力も半端なくします。音楽で生きていきたいと思っていましたが、心が折れてしまいました。音楽大学への進学をここで諦めてしまいます。
ある日、学校で仲の良い友人が、保育士を目指すという話を聞きます。私も子どもは好きでしたし、弟の面倒をみていたこともありました。同じ大学を受けることにしました。受験方式は自己推薦で、自分のことをPRする試験でした。保育士は夢ではなく、とりあえずなろうと決めた職業。結果は落ちました。当然だと思います。
しかし、受験に落ちたことで焦りは増します。親からはとりあえず、大学に進学しなさいと発破をかけられます。どんどん学校の友人たちは進路が決まっていきます。ここから本腰を入れて、大学選びを真剣に始めます。調べてみて分かったことがありました。私は、どの大学に行ってもそんなに変わらない。私はどんな大学生活を過ごしたいのだろうと自問自答してみると、のびのびと好きなことができるところに行こうと考えるようになりました。
第3章 失敗なんてない
オープンキャンパスに行った時、たまたまお話ししてくれた人が、音楽の先生でした。その時、授業について聞きました。1年生から2年間、ミュージカル・器楽・声楽の3グループに分かれ、年度終わりに、地域の子どもたちの前で発表会を行うらしいのです。ここで声楽グループに入れば、歌を歌えると想像し入学を決めました。
この時、受験を失敗したことを振り返ります。友人と同じ大学に合格していたら、経験できないことがたくさんありました。受験に落ちたという失敗の経験にも意味があるように感じられました。考えてみれば、失敗なんて本当はないのかもしれません。おかげで授業では好きな音楽ができましたし、軽音部でも歌うことができ、楽しい大学生活となりました。
第4章 保育と音楽
大学では保育についての勉強をしました。卒業のタイミングでまた人生の分岐点に差し掛かります。本当に音楽の世界へ進まなくていいのだろうか。出した結論は、保育士になっても、音楽をやりたくなったら辞めてもいい、とにかくやってみようとなりました。ここから、保育の世界に飛び込みます。
保育士になって4年が過ぎた頃、初めて受け持ったお子さんが卒園を迎えました。私の保育士としての役割が一順したことに、安堵と達成感を感じていました。それと同時に、自分の人生にも再度、目を向けるタイミングとなりました。このまま保育士を続けていていいのだろうか。私の周囲の保育士さんは、保育士になりたくてなった人ばかりです。保育士を目指してなった人が、子どもやその親に接する方が、お互い幸せなのではないかと考える自分がいました。音楽をあきらめて保育士になった私は、保育士を続けることをためらっていました。
私も夢を追いかけるべきなのでは。保育士を辞め、もう一度、音楽大学を目指すことを考えます。音楽大学へ行ったら私はどんな生活になるのか想像してみました。楽しく歌えているだろうか。中学生の時に感じたような、人の命を救えるような、人に寄り添える歌を歌えているだろうか。どうしてもいい想像は出来ませんでした。学校の単位取得に追われ、賞をとるために技術を学び、音楽が嫌いになってしまうかもしれない。
考えてみた結果、私は「音楽大学に行きたいのではなく、音楽で人の力になりたいのだ」ということに気づきました。保育士を続けながらできる、音楽活動をスタートします。まずは保育園の夏祭りで歌わせてもらいました。大学へ行かなくてもできる音楽があることが分かりました。この他にも、お休みの日にイベントへ出演させてもらうようになっていきます。
第5章 音楽と保育
保育園で音楽活動を始めて約2年が過ぎた頃、保育と音楽の比重を変えてみようと思うようになってきます。音楽活動を増やし、保育園は正社員からパートタイムへ。少しずつ音楽活動でお金をいただけるようになりました。この頃は、音楽事務所にも所属していました。岡山後楽園のイベント・幻想庭園でも歌わせてもらったことがあります。
岡山市が主催するイベントでの出演、週末はカフェでライブをさせてもらえるようになります。オリジナル曲を作り、仲間に演奏をしてもらい、CDもリリースできました。音楽活動での夢を叶えることができました。
第6章 リセット
ミュージシャンとして音楽活動を約2年間、どこか歯車が狂い始めます。何がということではありませんが、多くのことが連鎖的にうまくいかなくなりました。これは何か立ち返るきっかけだと思い、全てをリセットすることにしました。音楽活動も保育も、住んでいた場所もリセットしました。
もちろん、平気ではありません。私の気持ちは、どこまでも落ちていきます。落ちていく途中が、1番不安で苦しい時期でした。
第7章 保育で私ができること
私は幸運な人間だと思っています。全てをリセットし、気持ちもどん底にあり、はい上がれるような力は残っていませんでした。しかしながら、こんな状況からでも誰かが助けてくれる。浮上するきっかけをくれました。
ある日、保育士の時に知り合ったあるお子さんのお母さんとばったりお会いします。その子のことも、私はよく覚えていました。ボールを蹴りながら走るのが得意で、上手な子でした。その当時もお母さんにそのことを伝えると、とても喜んでいたことを覚えています。お母さんは、その子の近況を教えてくれました。Jリーグサッカーチームの「ファジアーノ岡山」のユース選手として頑張っていますと。あの時、先生がすごいと褒めてくれたから、今の彼があると思うのですと。
この言葉に救われました。私が保育士として働いていたことは、意味があった。保育士になりたくてなったわけではなかったけど、私にしか伝えられないことがあるのだと気付かせてくれました。保育士として、私だからできること、誰かの役に立てることがあることに気付き、沈んでいた気持ちを浮き上がらせてくれました。
第8章 私のポジション
もう一度、保育園に戻ってきました。以前と違い、私がどんな人間なのかが少し分かりました。私は、他人の良くないところやできないことはあまり気にならず、他人のすごいところを見つけるのが得意なのです。どんな感覚かというと「リスペクト」なのです。相手が1歳児であっても、大人であっても同じようにリスペクトしています。一人の保育士として、自分らしくある自信がつきました。
保育園にはいろんな先生がいて、一人ひとり得意なことも価値観も違います。先生たちと意見を持ち寄り、どんな保育をしていけばいいのかを話し合う機会をもらいました。子どもの発達について、自分の考えだけでなく、勉強させてもらえる貴重な時間でした。勉強させてもらっている中で、私の1番生きてくことが見えてきます。33歳くらいの時だったと思います。
子どもが好きで保育士になりたくてなった人が多い中、保育士になりたくてなったわけではない私には疎外感がありました。私は保育士でありたいのではなく、保育士さんが子どもたちと関わるいい環境を作る人になろうと考えるようになります。いい環境、いいチームを作ることがしたい。私を生かせる場所は、子どもや保育園の枠の中でなくてもいいと思い、退職することにしました。
第9章 チームが最高
今回の保育園退職は、気分が上がっていました。どんな場所で、どんなチームや組織の活躍を応援できるのか、私にどんなことができるのか考えるだけでもワクワクしていました。そんなことを考えているタイミングで、保育園をつくるお仕事にお誘いいただきました。ひょんなことから、また保育の世界に戻ってきたのです。
良い保育、良い保育園、良い保育士、良く在りたいとチームが考えられることで、保育園は作られていきます。良いチームって何でしょうか。良いチームは「結果」なのだと思います。結果的に良いチームだったと言われるには、メンバーの一人ひとりが「どう在りたいのか」を持っていることが大切だと思うのです。チームの意味や役割は、状況がいい時よりも悪い時に発生します。人間ですから、気持ちが上がったり下がったり。悩むことだって、落ち込むことだって当然あります。チームでいると、そこに気付きフォローすることができる。この関係性こそがチームの重要なポイントだと思うのです。
子どもが育つ環境には、人が必要だと思うのです。では、どんな人がいるといいのか。やっぱり、かっこいい人がいることが大事なのだと思います。かっこいい人って、人生を楽しんでいる人のこと。それは自分の在り方だとか「志」を持っている人とも言えると思います。そんな中にいると子どもだけじゃなく、大人も育っていくものです。
第10章 結果的に保育園になる
私は、ずっと思っていることがあります。保育士になりたいと思って、保育の道に進む人を尊敬しています。どんな保育士になるかより以前にそのこと自体が素晴らしいと思っています。これは、保育士だけじゃなく、どんな道でもやってみようと決めて、挑戦することにリスペクトしています。
だからと言って、辞めてもいいと思っています。私も保育士という正解を探し、わからなくなって辞めたこともありました。そもそも正解なんてなかったのですが。正解がないからずっと探してずっと続けている保育士さんもいる。正解がないから見つからず、辞めてしまう人もいる。どちらの保育士さんも、良い保育士さんでありたいと正解を求めている人たち。そこに尊敬があるのです。
私の場合、回り回って保育園を作るという仕事をしていますが、本当は保育園を作っていません。
生き生きとした大人がいて、子どものことをその人なりに一生懸命考えている。そんな大人が一つのチームとなれる環境づくりをしているのです。結果、保育園になっていく。
第11章 育ちは保育園だけじゃない
最近、自分の幼い時のことを考えることがあります。実は、保育園で私が何をしたかなどは覚えていません。しかし、鮮明に覚えていることもあります。私は当時、商店街に住んでいました。商店街ですから、店がずらっと並んでいました。ここは私の遊び場でした。匂いや音、お店のおっちゃんの名前や優しい表情まで、今でも思い出すことができます。保育園以上に私は商店街に育ててもらったのだと思います。
商店街の店主さんたちには、生き方や在り方、「志」を持った人がきっと多くいたのでしょう。幼少期の私は、なぜ色んなお店に日課の様に遊びに行っていたのだろうと考えてみました。多分、「志」をもってお店を営む商店街の人のことが好きだったんだと思います。私のルーツは、生まれ育った街なのだと思います。
子どもだけでなく、大人も育つ街であることが理想です。保育園というコミュニティーから、街へとステージを広げ、互いに育ち合ったり、時には、また頑張るために少し休めたりするようなそんな優しい居場所を増やして行けたらいいなと考えています。私の挑戦は続きます。
私達は様々な役割の人たちが集まったチームで保育をしています。調理師は「食」から、看護師は「健康」から、事務員は「運営」から、それぞれが自分の役割を全うすることで、より良い保育ができると考えています。その中で、園長の役割は、そのチームのメンバーが今日も明日も良いパフォーマンスが出来る様にすること。これが一番大切な仕事だと思います。