朝は喫茶店があったのに、昼はキーマカレーの良い香りがするお店…?
宇野港から徒歩3分、このお店のオーナー・宇野港のハルさんのお話を聞いてみましょう!
目次
【現在のハルさん】
Q1.ハルさんは何をしている人ですか?

——シェアショップuzでは何をしているんですか?

Q2.UZではどんなことを大切にされていますか?

例えば、キーマカレーのお店の時に「ベースのカレーは変えずに、エビマヨだったり、麻婆ナスだったり、創作カレーが40種類もあるんですよ。今日はサバカレーですが、来週はまた変わります。」とお客さんに話したり、「このカレーにはね…。」と料理に込められた想いを伝えたりしています。娘(1歳)が一緒にいることが多いので、二人で接客したりお客さんと話したりもしています。
——お客さんとのコミュニケーションが大切なんですね!

シェアショップを利用する事業者さんと他の事業者さんを繋げたり、その場にいたお客さんを繋げたり…
だからよく、「UZに来ると、本当にいい出会いがあるね。」と言ってもらえます。単なる場所貸しと異なり、コミュニティがあるところが、UZの魅力ですね。
【脳内グラフ】
脳内グラフとは、ハルさんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。

どれも 100%

子ども

26歳で結婚して、子どもが欲しいと思っていたんですが、30歳を超えても授からなかったんです。専門の病院にも相談しました。子どもを望むなら、妻の子宮筋腫の手術が必要だったんです。ハルさんも念の為に病院で検査を受けると、男性の15人に1人くらいが持っている精索静脈瘤(せいさくじょうみゃくりゅう)という症状が見つかりました。
不妊の原因が、ストレスか何かは分からずでした。環境を変えたからかは分からないけれど、2020年の2月に娘を授かりました。子どもができなかった時間があったからこそ、生まれてきてくれた娘の幸せを一番に考えています。
家族3人の時間

おそらく保育園に預けたら夫婦が自由に使える時間はつくれます。ですが、「それって岡山に来なくても横浜でもできるよな」って思ったんです。娘が3歳になるまでは、家族で一緒に成長したいという気持ちが強いですね。
【人生の履歴】
第1章 野球留学で岡山に、甲子園出場
人生のターニングポイントは間違いなく、岡山で過ごしたこの3年間です。
生まれは埼玉県です。小学2年生から続けていた野球がきっかけで、岡山の学芸館高校で3年間寮生活をしていました。中学生の時に所属していたクラブチームのコーチと当時の学芸館高校の監督の繋がりで岡山に来ました。地元を離れた甲斐もあり、学校としても甲子園に初出場することができました。
——どんな高校生だったんですか?
もともとそんなに話すタイプではなく、恥ずかしがり屋で内気でした。授業も手を挙げたことがないくらいです。
埼玉・兵庫・大阪から集まったみんなとの寮生活。関西ノリが強いみんなと一緒に過ごしていくうちに、もっと自分をさらけ出して良いんだって思えるようになりました。良い意味で、関西の方ってストレートに物事を伝えてくる。もともと「これ言ったら嫌われちゃうかな」とかを考えてから発言しちゃうことがあったのですが、彼らの影響が大きいですね。
第2章 大学野球を辞める
高校時の野球部の部長先生が神奈川大学出身で、ハルさんのことを推してくれました。「お前ここ行けー」って(笑) なので、大学に進学しました。
けれど、野球は大学1年で辞めたんです。高校時代に足の肉離れをしていて、それが完治せず大学で再発しちゃいました。「ちょっと大学生っぽいことやりたいな」と誘惑に負けて部活動を辞めちゃったんです。せっかく先生が進学の世話をしてくれたのに辞めてしまったので申し訳ない気持ちもありますが、辞めたからこそ今があると思っています。
第3章 大学は6年間
結局大学は6年間通ったんです(笑) しかも途中でフェードアウトしちゃいました。でもその分出会えた人もたくさんいるし、当時勉強が苦手だった分、今はすごく勉強しています。
——大学のフェードアウトに、焦りは感じなかったんですか?
何とかなるでしょって思ってました…
と言うのも、同い年の挑戦者から刺激を受けていたんです。学歴関係なく活躍する人が身近にいました。6年通った甲斐がありましたね(笑)
大卒って履歴書に書かれることの意味に、重きを置けなかったんです。大学に通う意味よりも、その都度自分のやりたいことがあって、やりたいことをやってました…自分に甘かったのかもしれないですけどね(笑)
でもこの時の自分があるから、今みたいに子育てに重きを置いているのかもしれません。
第4章 結婚する
大学を出てからは、職をいくつか経験しました。会社員をしたり飲食店で働いたり、飲食店の店長もしていました。結婚式は無職の時にしましたね(笑)
その後、佐川急便に10年ほど勤めていました。
第5章 まずは岡山に戻ってこよう
岡山に戻ってこようと思ったきっかけは、母校が夏の甲子園に初出場した時です。そこで当時の先輩や後輩、先生と再会して、SNSでは繋がっているものの、リアルで会えることの重要性を知りました。
この時に「岡山に戻りたいな」って思ったんです。当時は佐川急便に勤めていたけど、定年まで続けるつもりはありませんでした。
せっかくなら岡山でしかできない仕事がしたいと思ったんです。ですが、引越しと同時に転職もするとなると、どんなストレスがあるかわかりません。それが原因で岡山を離れては本末転倒だなと…(笑)まずは佐川急便を続けることにしました。上司に、岡山に異動させてくださいと、社内では異例の申し出をしました。
第6章 玉野の人たちとの出会い
会社の近くの岡山市に引っ越したので、休みの日に岡山県内を巡りました。玉野市は近かったので、よく出かけました。
玉野のお店の方と話すと、お店をしているのは移住者の方が多いのも分かりました。そこでその方たちと仲良くなったり、町の課題を話したりもしました。空き家問題とか、住みたいけれど家がないという話を聞いた時に、もともと空き家をリフォームして賃貸したいと思っていたので、やりたいこともマッチしたんです。
よくあるのが、母校に戻って野球を教えて甲子園を目指す!!だけど野球やめちゃったんでね(笑)母校に限らず岡山全体に恩返ししようって。岡山に来たからこそ出会えた人がいて、こういう想いになれたので。
第7章 シェアショップuzと子育て
岡山に来た最大の理由が、自然豊かな場所で子育てをする。
宇野港周辺はまだまだお店が少なくて、どうしたら来た人が楽しんでくれるかを考えていました。「趣味が高じてお店をやりたいって方がいるんじゃないかな」「お店を持ちたいけれど、現実を見た時に一歩踏み出せない方がいるんじゃないかな」と思ったんです。
お店を始めても、ずっと店頭にいたら子どもとの時間も減ってしまうかもと考えて、たどり着いた結論がシェアショップuzでした。お店の空間を提供すれば、チャレンジしたい方のためにもなるし、家族で過ごせる時間も増える。まさにwin-winですね。
主夫をメインにしながら「宇野港のハルさん」として、玉野市の宇野港周辺の街の魅力を伝えています。飲食店やアパレル販売等の営業場所として、場所を提供するシェアショップuz(ウズ)を経営しています。