テレビ局のアナウンサーからフリーに転向。フリーアナウンサーをはじめ、絵本の読み聞かせや被災地での朗読会など、様々なかたちで誰かの役に立とうと行動する妹尾恵美(せのおえみ)さん。この記事ではそんな妹尾さんの生き方に触れていきます!
目次
妹尾さんのお仕事
アナウンサーをはじめ、自分の声を使った活動
——妹尾さんはどんなことをされていますか?
——絵本の読み聞かせを始めようと思ったきっかけは何ですか?
あるとき、おもちゃ王国の本の部屋で『おこだでませんように』という絵本を読んだら、涙が出てきたんです。そのときに、「大人こそ絵本を読むべきだ!」と思って、自分のための絵本探しが始まりました。
——絵本って、大人にも響くものなんですね。
子どもにも色んな絵本を知ってほしい一方で、大人はまた違った楽しみ方をしています。深読みをしたり、自分の人生に重ねたりすることで、より楽しめるのです。
——活動の中でどんなことを大切にしていますか?
フリーアナウンサーは会社員ではないので、受ける仕事も自分で選びます。毎回、「誰かの役に立ちたい」という自分の想いに沿ったものであれば、仕事を受けるようにしていますね。
妹尾さんの脳内
脳内グラフとは、妹尾さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。
献立 25%
子ども 25%
遊び 25%
仕事 25%
仕事は自分がやりたくてやっているから、家族に対しては「仕事させてもらってありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいなので、この時間は自分のための時間です。
——仕事は自分のための時間なんですね!
私は人の生き方は自己表現だと思っています。例えば私だったら、喋って人と人の間を繋げています。それ以外にも、自分の中に湧いてきたことを文章にしたり、音楽を好きな人が曲を作ったりするように、自分の得意なことを活かして、表現している。それが人生、人の生き方なんじゃないかなと思っています。だから、それができないと苦しかったりするのかもしれません。
妹尾さんのこれまで
第1章 生き方について考えた手術
小学生の頃は内気で、家の中で遊んだり漫画を描くのが好きな、引っ込み思案タイプでした。13歳のときに、良性の腫瘍ができて手術をすることになり、2週間ほどがんセンターに入院しました。年配の女性もたくさんいる中で、中学生の私は珍しかったようで、とてもかわいがってもらいました。
私は手術をして腫瘍を取ってしまえば、あとは回復して退院ですけど、皆さんはそのまま闘病生活を続けています。私は良性でラッキーだったけど、おばちゃんたちががんと闘っていることを知った時に、「生きるってめちゃめちゃ大切なことなんだなあ」って思って。この出来事をきっかけに、「やりたいと思ったら絶対その場でやらんと悔い残るわ!人生やりたいことはやろう」という考えに変わりました。
第2章 不登校になりかけて…
最初の挫折が高校生の時でした。希望の高校に入学したものの、ちょっと学校の雰囲気と合わないなと感じてしまって、3日間くらい学校を無断で休んで…ちょっと不登校という感じになりました。
学校楽しくない、行きたくないと思ったんですけど、友達が何度か電話をかけてきてくれて「えみちゃんおらんと楽しくないけん、おいで」と連絡してくれました。それで、もう一回ちょっと頑張って行ってみようかなと思って、学校に行って、部活動を変えてみたりしました。やりたいことを、青春を謳歌しよう!とやっていたら、すごく楽しい学校生活を送れました。
第3章 学校の先生を諦めてアナウンサーに
実は、大学受験で失敗しました。一浪して受けた国立大学、2回目も失敗でした。それまでは学校の先生になりたかったんですけど、学校の先生になれないんだったら何になろうかと考えました。
小さい頃、学校の音読で先生から褒められた経験を思い出して、アナウンサーはいいんじゃないかなと。そこからアナウンサーになるための勉強を始めました。就職活動を経てRSK山陽放送にアナウンサーで採用されて、生まれ故郷の福岡を飛び出しました。
第4章 14歳の自分からの手紙
アナウンサーになったものの、失敗ばかりでした。いつも屋上で「私アナウンサーに向いてないな、もう福岡に帰ろう」と思っていた時、祖母から電話がかかってきました。
「えみちゃんにね、えみちゃんから手紙が来とうばい」って。
「なんで”えみちゃん”から”えみちゃん宛て”に手紙が来ると?」って言うんです。
それは、中学2年生のときに友達と一緒に何気なく参加した博覧会で、郵便局が行っていた「10年後のあなたに手紙を送ります」という企画で書いた手紙でした。10年経っていたので、出したことはすっかり忘れていましたが、祖母からの電話で思い出しました。
手紙を読んだら、「10年後の私、元気ですか?今私は中学2年生です。好きな教科は国語で、好きなアーティストはレベッカで、好きな男の子は〇〇くんで……」と続き、「将来は学校の先生になりたいです」と書いていました。それを読んで、「そうだ、ずっと先生になりたかったけど大学受験で失敗して、方向転換して猛勉強してアナウンサーになったんだ!」って思って。
「これだけがんばってるんだから、もう少し頑張ってみよう」って、10年前の自分に励まされたような感覚になりました。
学校の先生にはなれなかったけど、みんなの前で先生みたいに話すことはできているから、形は違うけど夢は叶ったと思っています。自分の好きなものに関わる方法は一つじゃないから、関わり方の選択肢を増やすことも大切だと思いました。
第5章 被災地の力になりたい
東日本大震災が発生した後、フリーアナウンサーの人たちで集まって、自分たちにできることは何かを考えたところ、私たちにできることは、読んで、伝えることだとなりました。
そこで、集まった6人のアナウンサーたちで「おはなしのWA」というグループをつくり、ボランティア活動として朗読会を開いて、寄付を被災地に送ることを始めました。
第6章 絵本読み聞かせで復興支援を
44歳の時に、平成30年7月豪雨災害が発生しました。私たちの地元で起きたこの災害の復興支援を何かできないかと、絵本の読み聞かせのボランティアをしたりしました。グループのリーダーが、真備のとある2匹の犬の話を聞いてきて、その実話をもとに『ブラザーズドッグ』という絵本も作りました。絵本の絵は、真備出身のイラストレーターさんにお願いして、クラウドファンディングで資金を集めて、全国に発売。岡山県内の全ての小学校に寄贈しました。
今もそうしたボランティア活動をしながら、家事や育児、自分の興味のある色んなことに取り組んで日々楽しく過ごしています。
(編集:森分志学)
アナウンサーとしては、水曜日と木曜日に、レギュラー枠での放送がありますが、それ以外の日は自由です。週末にはイベントの司会をしたり、中学生が職場体験の前にマナー学ぶ出前講座も行ったりもしていました。
ほかにも、就労支援施設や障害者施設、介護施設などに行って、絵本の読み聞かせをやっています。これはボランティアなので社会貢献活動ですね。