フリーアナウンサーをはじめ、絵本の読み聞かせや被災地での朗読会など。
この記事では、様々なかたちで誰かの役に立とうと行動する妹尾恵美(せのおえみ)さんの生き方に触れていきます!
目次
【現在の妹尾さん】
Q1.妹尾さんはどんなことをされていますか?

Q2.絵本の読み聞かせを始めようと思ったきっかけは?

そのときに、「大人こそ絵本を読むべきだ!」って思って、自分のための絵本探しが始まりました。
——絵本って、大人にも響くものなんですね。

だから子どもにも色んな絵本を知ってほしいんだけど、大人はまた違った楽しみ方をしています。深読みをしたり、自分の人生に重ねたりすることで、より楽しめるんです。
Q3.活動の中でどんなことを大切にしていますか?

誰かの役に立ちたいということを基準に考えて仕事を選びます。

【脳内グラフ】
脳内グラフとは、妹尾さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。

献立 25%

子ども 25%

遊び 25%

仕事 25%
仕事は自分がやりたくてやっているから、家族に対しては「仕事させてもらってありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいなので、この時間は自分のための時間です。
——仕事は自分のための時間なんですね!
でも、趣味を仕事にするのが必ずしもいいのではなくて、考え方は人それぞれなんですよね。

例えば、私だったら喋って人と人の間を繋げています。それ以外にも、自分の中に湧いてきたことを文章にしたり、音楽を好きな人が曲を作ったりするように、自分の得意なことを活かして、表現している。それが人生、人の生き方なんじゃないかなと思っています。だからそれができないと苦しかったりするのかもしれません。
【人生の履歴】
第1章 内気な小学生
小学生の頃は内気で、姉の陰に隠れているような子でした。家の中で遊んだり漫画を描くのが好きな引っ込み思案なタイプ。
第2章 生き方について考えた手術
13歳のときに病気で手術を受けました。胸がすごく腫れていることに気づいて病院に行くと、「大きな腫瘍ができています」と言われて。検査したら良性ではあったんですけど、手術をすることになりました。
2週間ほど、がんセンターに入院しました。年配の女性もたくさんいる中で、中学生で入院した私は珍しかったようで、とてもかわいがってもらったんです。
私は手術をして、腫瘍を取ってしまえばあとは回復して退院できたんですけど、皆さんはそのまま闘病生活を続けるということでした。私は良性でラッキーだったけど、おばちゃんたちががんと闘っていることを知った時に、「生きるってめちゃめちゃ大切なことなんだなあ」って思って。
この出来事をきっかけに、「やりたいと思ったら絶対その場でやらんと悔い残るわ!」「人生やりたいことはやろう」という考えに変わりました。
第3章 不登校になりかけて…
最初の挫折が高校生の時でした。希望の高校に入学したんですけど、ちょっと学校の雰囲気と合わないなと感じてしまって。3日間くらいなんですけど、学校を無断で休んで…ちょっと不登校という感じになりました。
学校楽しくない、行きたくないと思ったんですけど、友達が何度か電話をかけてきてくれて「えみちゃんおらんと楽しくないけん、おいで」みたいな感じで連絡してくれて。もう一回ちょっと頑張って行ってみようかなと思って、学校に行って、部活動を変えてみたり。やりたいことを、青春を謳歌しよう!みたいな感じでやったら、すごく楽しい学校生活を送れました。
第4章 学校の先生を諦めて、アナウンサーに。
実は大学受験で失敗しまして…
一浪して受けた国立大学、2回目もやっぱり失敗でした。それまでは学校の先生になりたかったんですけど、学校の先生になれないんだったら何になろうかと考えたら、そこでアナウンサーという選択肢ができました。
小さい頃、学校の音読で先生から褒められた経験を思い出して、アナウンサーはいいんじゃないかなと。そこからアナウンサーになるための勉強を始めました。就職活動を経て山陽放送から採用いただけたので、岡山のアナウンサーになるべく、生まれ故郷の福岡を飛び出しました。
第5章 14歳の自分からの手紙
アナウンサーになるために岡山に来たけど、もう失敗ばかりで。いつも屋上で「私アナウンサーに向いてないな、もう福岡に帰ろう」って思ってた時に、祖母から電話がかかってきました。
「えみちゃんにね、えみちゃんから手紙が来とうばい」って。「なんで”えみちゃん”から”えみちゃん宛て”に手紙が来ると?」って言うんです。
中学2年生のときに福岡であった博覧会で、郵便局がブースを出していたんです。その企画が、「10年後のあなたに手紙を送ります」というものでした。なんか楽しそうだねと言って、友達と一緒に何気なく手紙を書いて出していました。でも、10年も経ったら出したことはすっかり忘れていましたね。
祖母からの電話で、「そういえばそんな手紙を書いたなあ」って思い出したんです。
手紙を読んだら、「10年後の私、元気ですか?今私は中学2年生です。好きな教科は国語で、好きなアーティストはレベッカで、好きな男の子は〇〇くんで……」って書いてたんですけど、その中に、「将来は学校の先生になりたいです」って書いてて。で、「私、そうだ、ずっと先生になりたかったけど大学受験で失敗して、方向転換して猛勉強してアナウンサーになったんだ!」って思って。
これだけがんばってるんだから、もう少し頑張ってみよう、って10年前の自分に励まされたような感覚になりました。
——手紙が届いたの、すごいタイミングですよね。
出前講座ではこの話をネタにしています。学校の先生にはなれなかったけど、みんなの前で先生みたいに話すことはできているから、形は違うけど夢は叶ったと思っていますよ。自分の好きなことと関わる方法は一つじゃないから、好きなモノへの関わり方の選択肢を増やすことも大切だと思いました。
第5章 被災地の力になりたい
東日本大震災が発生した後、フリーアナウンサーの人たちで集まって「自分たちにできることは何か」を考えたところ、私たちにできることは、『読んで、伝えること』だとなりました。
そこで、集まった6人のアナウンサーたちで「おはなしのWA」というグループをつくり、ボランティア活動として朗読会を開いて、寄付を被災地に送ることを始めました。
第6章 絵本読み聞かせで復興支援を
44歳の時に、平成30年7月豪雨災害が発生しました。私たちの地元で起きたこの災害の復興支援を何かできないかということで、絵本の読み聞かせのボランティアをしたり、グループのリーダーが真備のとある2匹の犬の話を聞いてきたので、その実話をもとに『ブラザーズドッグ』という絵本も作りました。絵本の絵は、真備出身のイラストレーターさんにお願いして、クラウドファンディングで資金を集めて、全国に発売したんです。そして、岡山県内の全ての小学校に寄贈しました。
今もそういったボランティア活動だったりをしながら、家事や育児、自分の興味のある色んなことに取り組んで日々楽しく過ごしています。
アナウンサーとしては、水曜日と木曜日に、レギュラー枠での放送がありますが、それ以外の日は自由です。(コロナ禍以前は)週末にはイベントの司会をしたり、中学生が職場体験の前にマナー学ぶ出前講座も行ったりもしていました。
就労支援施設や障害者施設、介護施設などに行って、絵本の読み聞かせをやっています。これはボランティアなので社会貢献活動ですね。