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ボランティアの力で芸術祭を支える・斉藤牧枝さん

皆さんは瀬戸内国際芸術祭に行ったことありますか?
この記事では、瀬戸内国際芸術祭にNPO職員として関わる斉藤牧枝(さいとうまきえ)さんについて紹介します。

【現在の斉藤さん】

Q1.斉藤さんはどんな仕事をされていますか?

NPO法人瀬戸内こえびネットワークで働いていて、瀬戸内国際芸術祭のボランティアサポーター「こえび隊」の事務局機能を担っています。また、島を取り巻くサポーターネットワークをつくり、行政や民間機関などをつなぐ役割も担っています。

 

——瀬戸内国際芸術祭って?

 

瀬戸内の島々を元気にしていくことを目的にした、3年に1度行われる芸術祭です。

 

瀬戸内海にはたくさんの島がありますが、どこも少子高齢化の問題を抱えています。秋祭りなどの伝統行事も、神輿の担ぎ手がいないなどの理由で開催が難しくなり、だんだんと廃れていってしまっている地域がたくさんあります。

そこをなんとかしたいという想いから、アートで島を元気にしようという流れが生まれ、瀬戸内国際芸術祭が始まりました。

 

Q2.こえび隊はどんな活動をするのでしょう?

瀬戸内国際芸術祭を支えるボランティアサポーターで、瀬戸内をぴちぴち元気にしたいという想いを込めて、ボランティアのことを「こえびさん」と呼んでいます。

 

日本中・世界中からたくさんの人が集まり、こえびさんとして活動しています。芸術祭が行われる時期には、舞台となる空き家を掃除したり、アーティストのサポートをしたりします。また観光客に対して作品の案内も行います。芸術祭が無い時期も島の人と交流をし、残った作品を定期的にメンテナンスしたり一般に公開したりします。

 

 

【脳内グラフ】

脳内グラフとは、斉藤さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。

仕事(島のこと、仲間や芸術祭のこと) 50%

公私を問わず、島に行くのが大好きです。瀬戸内全体を盛り上げるために何が必要なのか考えたり、ボランティアたちと時には英語も使いながら交流したりしています。

 

食べること 40%

瀬戸内にはいろんな食材があります。新鮮な魚にみずみずしい野菜…。食材を探してどうやって食べるか日々考えています。

 

豊島にある「島キッチン」という空き家を改装したレストランが特におすすめです。島のお母さんたちが美味しい料理を提供しているだけでなく、ワークショップやイベントも開催され、世界中の人の出会いの場になっています。

 

 

余白 10%

本を読んだりリラックスしたり、家族に連絡を取ったりする時間も大切にしています。仕事一辺倒ではなく、自分を見つめ直す時間も必要です。

 

【人生の履歴】

第1章 引っ込み思案な子ども時代

子どもの頃はとても人見知りでした。学校でも、仲のいい子とは話をするけど、授業中に手を上げることもなく大人しく過ごしていました。先生の言うことをよく聞く、真面目な優等生だったと思います。

 

第2章 打ちのめされた短大時代

高校を卒業した後は、短期大学の英文学科に進学しました。

そこで自分の英語の出来なさに打ちのめされてしまいました。外国人の先生の言うことが全く理解できず、入学してから夏休みまでずっと下を向いて授業を受けていました。

 

既に卒業も危うい状態でした。「このままだと夏休みが明けた後、学校に行けなくなる…何とかしなきゃ」と思っていた時に、海外でのホームステイの告知を目にしました。切羽詰まっていた私は、ホームステイに挑戦してみることにしました。

 

第3章 一皮むけたアメリカ生活

アイオワ州というアメリカの中でも田舎な土地で3週間ホームステイすることになりました。英語も分からないうえ、極度の人見知りだったため、初日は何も話すことができませんでした。

ホストファミリーが「マクドナルドなら食べられるだろう」と気を利かせて連れて行ってくれたのですが、「チーズバーガー」しか話せず、結局その日はチーズバーガーと水で過ごしました。

 

その後は、日を重ねるごとに少しずつ打ち解けることができました。ホストファミリーが小学校の先生だったため、小学校に連れていかれて子どもたちと一緒に授業を受けました。内容はあまり分からず、教室の隅でぼーっと聞いているだけでしたが、クラスの子が自分に興味を持ってくれて休み時間に話しかけてくれたり、一緒にお昼を食べたりしてくれたのが、とても楽しかったです。

初めはどうなることかと思いましたが、3週間後にはホストファミリーと涙のお別れができるまでになりました。

 

この3週間が転機となり、日本に帰ったあとはかなり積極的になれました。先生に自分から話しかけに行ったり、授業にも顔を上げて参加したりできるようになりました。ホストファミリーとも交流を続けたり、英語のテレビやラジオで勉強したりと、その時期はかなり英語を流暢に話せるようになっていました。

 

第4章 先延ばしにしたかった就職

短大を卒業したはいいものの、できるだけ社会に出たくありませんでした(笑)

できるなら就職は先延ばしにしたかったし、大学に編入することも考えていました。しかし、親に公務員試験を受けてみることを勧められ、大して意欲も覚悟も無いまま試験を受けることにしました。

 

そこまで真剣に就活をするつもりもなかったし、濃い色のカチッとした服が好きではなかったので、水色のワンピースをきて面接に行きました。すると、なんと公務員試験は合格。合格した途端、「受けてみるだけでも」と言っていた親は手のひらを反したように就職を勧めます。戸惑いながらも社会に出て働くことになりました。

 

第5章 初めての仕事は恐る恐る…

20歳の時に横浜市役所で働き始めました。そこでは失敗の連続でした。

お客様にも仕事仲間にもたくさん迷惑をかけることが重なり、とにかく自分一人で判断することがとても怖かったです。最初の数年間は「向いていない!」と思いながら、社会人になったことを後悔していました。

 

休暇をもらうとすぐ現実逃避の旅に出ていました。25歳の頃、先輩に誘われてモンゴルに行くことになりました。果てしない大地を馬で駆けているうちに、自分がちっぽけな存在であることを感じました。仕事のことで思い悩みとらわれているけど、そんな悩みは大したことないと気持ちが軽くなり、大自然の中で人生観が少し変わりました。

 

 

第6章 異動して変わった仕事への姿勢

27歳のとき、市立大学で働くことになりました。

できたばかりの小さなキャンパスで、職員が合計5人しかいませんでした。やらないといけない事務仕事が山積みでも、新入生の履修登録などの世話もしないといけません。

 

上司もものすごく忙しくて、「責任は全部取るから、報告も連絡もしなくていい。自分の判断でやってみてくれ。」と言われました。自分一人で判断するのが怖い、なんて言っていられません。とにかくがむしゃらに働くうちに、仕事に対する姿勢が変わっていきました。

 

第7章 大学職員×大学生、2足のわらじ生活

大学院しかないキャンパスだったので、私とほぼ同年代の人たちが研究に没頭している姿を間近で見ることができました。その人たちは本当に楽しそうで、「そういえば自分も大学に編入したかったんだ」と思い出しました。日に日に「もう一回勉強したい」という気持ちが募り、英文科に入学することに決めました。

 

日中は大学職員として働きながら、夜と土日に通学する日々が始まりました。仕事仲間から「いつ通学してるのか分からない」と言われるほど忙しい毎日でしたが、仕事も勉強も面白くて、あまり寝れない日が続いても不思議と平気でした。

昔とは違う自分に気づけました。例えば、授業の中での学生の発言に対して、自分の経験に基づく意見を言えるようになっていることに驚きました。短大を卒業してからの色々な経験が、知識や自信につながっていました。

「卒業後すぐ進学しなくてよかった」「期間を空けて勉強し直すのもいいな」と思いました。

 

第8章 瀬戸内国際芸術祭との出会い

35歳の頃に、岡山の玉野市役所に派遣されます。横浜市は大きいからなかなか市の中枢で働くことはできませんが、玉野市では離島振興や市の活性化に携われると思い、応募しました。玉野市だけではなく、瀬戸内エリア全体を底上げした方が良いのではないかと考えていたところ、はじめての瀬戸内国際芸術祭が始まりました。「あ!私がやりたかったのこれだ!」とピンと来ました。仕事ではなく、ボランティアとして携わることに決めました。

 

ただのボランティアではなく、できることは何でもやりたいという意気込みで関わり始めました。そんな中、他のボランティアたち(こえびさん)の中にも、初めて宇野港に来る人や何をしたらいいのか分からない人がたくさんいました。そこで、朝市役所に出勤する前に港に寄って、活動の説明をしたり船の乗り方の案内をしたりしました。

 

第9章 芸術祭に関わる決意

玉野での派遣期間が終わり、38歳で横浜市役所に戻ります。

しかし、「今後も宇野港で瀬戸内国際芸術祭を開催するためボランティアを受け入れる体制・組織が必要なのではないか」という話がボランティア事務局の中で起こり、「斉藤さん、一緒に瀬戸内でやってみませんか?」と言われました。そうして、市役所をやめて再び瀬戸内に戻りNPO職員として働くことに決めました。仕事を辞めることに対してそれほど抵抗はありませんでした。

 

第10章  瀬戸内での10年とこれから

瀬戸内に来てからあっという間に10年が経ちました。芸術祭はアーティストの作品を展示するだけではなく、港や島自体が舞台になります。地域の人たちに楽しんでもらえているなと感じる時に、やりがいを感じます。また、日本だけでなく世界中からボランティアが訪れます。肩書きにこだわらずフラットに活動する中で「新しい自分を見つけた」と言ってもらえることもあり、とても嬉しくなります。

 

瀬戸内も芸術祭も大好きですが、今も旅の途中のような感覚があります。次は何しよう、どうやって生きていこうかなと、わくわくした気持ちでいます。過去を振り返ってみると、自分の気持ちに素直でいることを大事にしているような気がします。自分の心の向く方に従って、これからも。

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