地域づくりを支援する公務員・井内佑樹さん

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公開日 2021.09.24

一般企業から岡山県職員へと転職された井内佑樹さん。この記事では、井内さんの企業社員時代と公務員時代それぞれのお仕事や転職についてお聞きしながら、井内さんの生き方について紐解きます!

 

井内さんのお仕事

県民局職員として地域づくりを支援する

――井内さんはどんなお仕事をしていますか?

 

岡山県の職員をしています。4年目です。部署異動もあるのですが、美作エリアの「地域づくり」に関わっています。だっぴの時にも県のマスコットキャラクターの「ももっち」と参加していたり、このマスコットを連れ歩きながら仕事をしていることが多いです(笑)

 

――「地域づくり」ってどんなお仕事ですか?

 

地域づくりという仕事は、中山間地域などに住んでいる人たちが「住んでいる地域を盛り上げたり住みやすくしたりしている活動」を支援する仕事です。中山間地域って聞き慣れないと思うんですけど、想像しやすいところでいうと、高齢化が進んでしまっている山間部の集落ですね。

 

この仕事は、実際にそういった地域に行って、地域の方と会ってお話を聞くことが多いんです。どういった支援が必要か考えるためには、実際に地域の人に会って話を聞くのが一番です。これほど頻繁に県民の方と接するのは、県職員の中でも珍しい仕事なんです。というのも、県職員が会う人は企業や市町村役場の方が多いからなんです。

 

――中山間部ほど地域の力が必要なんですね。

 

今、山間部などの限界集落と言われている、過疎化が進んでいる地域に対して、行政のサービスを充実させることが難しくなってきています。そのような状況でも県内の多くの地域で、そこに住む人たちは、自分たちが住み続けられるように自分たちで支え合って活動しています。そのような活動を支援することが、僕の仕事になります。

 

私(行政)がしようとしていることが地域のためになっているのか、地域の人の思いが反映できているのか。当たり前のことだけど、とても大事なことをしっかり考えることのできる仕事だと思っています。

井内さんの脳内

脳内グラフとは、井内さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。

仕事 30%

家から職場まで2時間かかるので通勤が大変ですが、仕事内容が非常に楽しいので、毎日が充実しています。仕事内容が「地域づくり」という、地域住民の方の活動を応援するとても前向きなものなので、日々の仕事を楽しいと思いながら行うことができています。

 

家族 40%

小さい2人の子どもがいます。今は通勤時間が長くかかることもあり、子育ての大部分は奥さんに任せています。土日に家族と遊んだりして、楽しく過ごしています。

 

 

その時興味のあること 30%

農業が好きで、家の庭で野菜を育てる計画を立てています。前の会社で培った知識や技術を使って家庭菜園を満喫したいと思っています。また、テニスやスノーボード、パソコンいじりなど、楽しそうなことは大体「広く浅く」挑戦しています。

 

僕は、いっぱいいっぱいになって圧迫されるのが嫌なので、「その時興味のあること」に手を出しやすくできるように、無意識に脳を30%を空けているのかもしれませんね。

 

——転職前はどんな感じだったんですか?

 

90~95%が仕事で、5~10%が家庭、1%くらいがその時興味のあることって感じでしたかね。仕事は面白かったのですが、このままだと自分の人生が仕事だけになってしまうような状況でした(笑)僕の人生では仕事以外も大切にしたいと思い、転職を考えたというわけです。

 

井内さんのこれまで

 

第1章 好奇心出発の中学受験

小学校時代は、のんびりと学校生活を満喫していました。本を読むのが好きで、勉強も嫌いではなかったです。当時住んでいた団地に小さな塾があり、周りの子も通っていたことから塾に興味を持ち始めました。

 

周囲は中学受験する人も多く、僕自身も中学受験に対して「何か格好良さそう」「何か面白そう」などのイメージがありました。特に夢や野望があったわけではないですが、「ものは試しにやってみよう!」という好奇心から中学受験をすることを決意して、頑張って何とかギリギリのところで受験に成功しました。

 

第2章 「好き」を大事にした学生時代

高校1年生の時は、「理系と言えば物理」という安直な考えから物理を勉強していたこともありましたが、自分には全然合っていませんでした。昔から生物の科目が好きで、「やっぱり好きだな~」って思えたので、高校の途中から生物コースに切り替えました。

 

そして、家族との旅行先にある大学を見るたび「ここで大学生活過ごせたら面白そうだな~」と興味を持って、単純な動機をきっかけに何度も色々な大学を検討しました。大学受験も、中学受験と同じくギリギリな感じで合格し、ギリギリの学生生活を送っていました(笑)。

 

大学で農学部に入ってからは、植物コースを選択して、遺伝学の研究をしていました。自分が知らない答えを求めたり生物系の科目を勉強するのは好きだったのですが、それを強いられるのは好きではなかったので、研究者っぽくないような研究者だった気がします。

 

第3章 興味のあった第一志望の就職先で

生物が好きだったので農業系の会社に就職したいと思い、就職活動に励んだ結果、第一志望の種苗会社に就職しました。岡山から離れて、6年間その会社で働きました。

就職した会社は、野菜の品種改良をするところでした。例えば、トマトと言っても甘い品種や病気に強い品種など様々な品種があるように、より甘い品種、より病気に強い品種を作るような研究を行っていました。野菜の栽培も含めて研究なので、色々な作物を育ててもいましたね。また、この会社には、農業を学ぶ専門学校も併設されていたので、全国から農業を学びに来る学生たちに農業のことを教える先生役も行っていました。

 

僕は、研究をしながら、農作業をしながら、先生をしながらという3足のわらじを履いた仕事をしていました。ちなみに、この会社は体育会系のような若々しい雰囲気で、「あざっす」のような砕けた挨拶が飛び交っていましたね(笑)非常に明るい職場でした。

 

第4章 会社でのモチベーション

研究職として会社に一番求められる成果は、新しい品種を作ることと売れる品種を作ることでした。利益を出すことによって会社に貢献するわけですから、売れる品種を作ることが求められます。しかし、1つの品種が出来上がるには1~2年の年月では到底足りなくて、10年ほどの年月を費やしてやっと品種が1つできるものなんです。同時にいくつもの研究を行いながら、その中の1つが10年後実を結ぶかもしれないという程度でした。

 

僕は6年間しか会社に務めていなかったので、品種の最終的な完成までたどり着くことはできませんでした。しかし、新たな品種を開発するという10年先のゴールを目指して色々失敗しながらも、1歩ずつ階段を上がっていくことに、達成感を持っていました。

 

また、先生として専門学校の生徒に勉強を教えることもありました。生徒たちが卒業後に「岩手で白ネギを作っています」「採れたてなので食べてください」と報告をしてくれます。彼らが全国で様々に活躍していることを聞いて、「教えてよかった」と思いますし、日本の農業の発展にほんの少しでも貢献できたかなと思います。

 

第5章 「余白」を求めて新たな道へ

転職時には30歳で妻や子どもがいたので、決断のハードルは高く感じていました。前の職場での仕事は、その特性上、朝早くから職場に行き、夜遅くまで働いて帰宅するという非常にハードなスケジュールでした。やりがいがある仕事でしたが、ハードなスケジュールを送る日々に、これから先、僕の人生を費やしていくのかということについて考えた時、このままじゃダメだなと思ったんです。

 

僕は、仕事に人生すべてをささげることで、家庭のことがおざなりになったりするのが嫌なタイプでした。色々と調べていくうちに、転職に興味を持ち始めました。僕の周りの人でも、何人か公務員に転職していく人たちがいたので、公務員への転職も選択肢の一つとしてありました。公務員は、様々な人へ挑戦する機会を提供していることもあって、本格的に公務員の転職について調べ始めました。ちょうどその頃、岡山県が公務員への転職者を募集していたので、「はい、やります!」という感じで公務員への転職にチャレンジしました。

 

昔から法律や政治経済が苦手分野だった僕が公務員になるとは夢にも思っていなかったですね。当時の公務員は、異動が多くて一つのことを突き詰めることが少ない印象があったので苦手意識はあったのですが、それは「やってみないと分からない!」と、好奇心も僕を後押ししてくれた部分もありました。

 

第6章 新たな環境での新たな出会い

転職後、最初に農林水産部という部署に配属されました。法律に関係の深い仕事で、法律に関する知識の少ない僕にはちんぷんかんぷんなことも多くあって大変でした。そのような逆境だったので、「今まで培ってきた農業系の知識が生かせないではないか…」と思っていましたが、実際はそうではありませんでした。

 

農業を専門とする組織の方や農業に従事されている方とお話をする時に、農業の専門知識を習得していたおかげで話が盛り上がったりすることもあり、人生で蓄えた知識は役に立ってくるものだということを痛感しました。色々な人と話をする中で、大学の講義の時に聞いたことのある用語が出てきたりした時にもやはり、これまでの人生の中での知識って絶対何かに役に立ってくるものだと実感しましたね。

 

公務員は、大体2,3年で仕事環境が大きく変わるので、色々な人と関わることができます。公務員は「すごく真面目で近寄りがたい」というイメージを持っていたのですが、実際にはそうではなくて、柔らかくて関わりやすい雰囲気を持っている方々が多かったです。

 

第7章 頑張る人を応援するという“前向き

「地域づくり」という、地域住民主導で行っている活動を支援していく活動を応援する、非常に前向きな仕事をしています。

高齢化による人口減少や行政サービスの低下などの問題を解決するために、地域住民の方が何らかの行動を起こしています。きっかけはそれぞれで、「困っているお隣さんを助けたい」や「みんなが楽しめる何かがしたい」など様々です。地域づくりは、行政の目線からすれば「地域課題の解決」という”いかにも”な単語で表現しますが、地域の方からすれば「助け合い」だったり「楽しいこと」だったりするんです。

 

私が着任してから1年間、地域づくりを始めようとしている、とある1つの地域を定期的に訪問していました。最初のころは話し合いをしても意見が少なかったりしましたが、1年経つと活発な意見が出てきて雰囲気が明るくなりました。地域の5年後・10年後を真剣に語ったり、冗談を言って楽しそうに話し合いをする様子を見て、頑張ろうとしている人を応援するこの仕事の楽しさを感じています。

 

(編集:森分志学)

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