世界水準の技術で新たな価値を創る園芸機器&モノレールメーカー・株式会社ニッカリ

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公開日 2024.12.06

夏場に勢いよく茂った雑草たちを、刈払機(かりばらいき)の刃がみるみるうちに刈り払うーー。

 

きっと誰もが一度は見たことがあるあの刈払機、その量産化を日本で初めて成し遂げたのは、岡山市西大寺にある会社・株式会社ニッカリです。開発の原点は、なんと岡山の名産品だった「イグサ」にあるのだとか。

 

現在農業機械の分野で世界進出を果たし、さらに今後を見据え電動化を推し進めているこの企業に、大学生の三嵜(みさき)さんがお話を伺いに行ってきました。事業の誕生秘話や働き方、新製品への想いなどがギュッと詰まったインタビューです。

岡山県を原点に、世界へ羽ばたくニッカリ

★杉本宏(すぎもと ひろし)さん
株式会社ニッカリ代表取締役社長。同社は2020年6月に経済産業省による「2020年版グローバルニッチトップ企業100選」に選出されるなど、全国的に注目を集めている。杉本社長の趣味は朝テニス。
★中村一良(なかむら かずよし)さん
開発部次長 開発三課課長。主な業務は新製品の開発。以前は大手家電メーカーにて液晶テレビやコードレス掃除機、アウトドア・スポーツ向けメーカーにてアシスト自転車の電子回路を設計していたそう。趣味のロックバンドではヴォーカルを担当する。
★三嵜(みさき)さん
旅行とドライブが好きな大学2回生。最近はアルバイトを通じて「働く上で大切なのはどんな業種で働くかより、誰とどんな環境で働くかだ」と感じて、企業の雇用環境への意識を強くしている。

「課題解決」で誕生した二つの事業の柱

 

ニッカリさんの事業について教えてください!

 

弊社は刈払機を中心としたさまざまな園芸機器や、農業用モノレール等の製造販売メーカーです。1959年に日本刈取機工業株式会社として創立し、1973年に株式会社ニッカリと社名を改めて現在に至ります。

 

日本初の量産型刈払機を製造したのも弊社で、社屋に入ってすぐのスペースではその記念すべき試作初号機を見ることができますよ。

60年以上も前の初号機が保管されているだなんて驚きです!そもそも、なぜニッカリさんが刈払機を製造することになったのでしょうか?

 

当時の岡山県は、畳表に使用されるイグサの一大生産地だったんです。県内では早島が今も有名ですが、当時の西大寺九蟠地区にもイグサ畑が多数存在していたようです。

 

成長すると100cm〜150cmにもなるイグサの刈り取りも、昔は手作業で行われていました。収穫時期である6〜7月の炎天下での作業は大変過酷なものだったそうで、地域の方々から「刈り取り作業を機械化できないか?」と相談を受け、開発を始めたのが私の祖父だったんです。

今は農業用モノレール事業も手がけていますが、そちらの誕生にはどんなストーリーがあったのでしょう?

 

モノレール事業も課題解決の一環として生まれました。ニッカリの販売店が他県へ広がった際に、愛媛県のミカン農家さんから「収穫が重労働のため、どうにか改善できないものか」という相談があったです。

 

そうした生産者さんの声からできあがった製品が『モノラック』です。これは販売を開始した昭和41年からおよそ20年間に渡り弊社でしか作ることのできない高い技術を駆使した製品でした。そのため、斜面を登る「ラックアンドピニオン方式」というレールとモノラックを嚙合わせる技術で特許を取得。レールとセットでの特許取得は、以後弊社の大きな強みになりました。

これが初期のモノラック。メカ好きにはたまらないフォルム!

正しさを重んじ、社員の意見を大切にする柔軟な社風 

ニッカリさんの企業の経営的な部分についても教えてください。「正道」「人道」「王道」を経営理念に据えられているのはなぜですか?
 

これら3つの経営理念は私が代表となってから加えたものです。

 

弊社の社是は「正心誠意」で、これを私の代になっても受け継ぎました。しかし、「正しい心」とは言っても、どんな人でも「自分は正しいことをしている」と思っているものですよね。だからこそ、「本当に自分のしていることが正しいんだ」という客観的な証明が必要です。

 

「自分の考える正しさ」と「周囲の考えている正しさ」は違うからこそ、経営理念として「企業内部からだけでなく外部から見ても客観的、倫理的に正しい選択をする」という意味を込めた言葉が必要だと考えたのです

 

私自身、社内の会議では社員に対して、意見の根拠を問うことが多いです。例えば、トラブル発生の報告があった場合、その話には保身的な解釈や判断が混じってしまっている可能性があります。経営者は現場のすべてを見ることはできない中で経営判断をしなければならないからこそ、客観的なエビデンスを問うことを大切にしています。

HPで拝見したのですが、福利厚生や働き方改革に力を入れていらっしゃるという点も印象的でした。

 

働き方改革と言われれば、確かにそうですね。実は弊社、いわゆるニューノーマルな働き方が普及する前から海外営業の者はずっとテレワークですし、チェックも監視もしていません。要はきちんと成果が出ていれば良いと考えています。自由には責任がつきものですからね。テレワークでも集中できると社員自身が判断したのであれば、何の制限もしません。

チェックも監視もないって本当に珍しいですね。他にはどのような工夫がありますか?

 

一般的に時短勤務はお子さんの就学前までと定めている場合が多いのですが、弊社は小学校3年生のお子さんがいる方まで認めています。育児のために働き方を変えようかと考えている社員には、この時短制度の活用を提案しています。

「子連れ出勤制度」にも驚きました。さまざまな制度をつくっている理由は何でしょう?
「会社に相談すれば何かしら考えて、動いてくれる」という感覚を持ってほしくて、社員の意見に対するレスポンスを重視してきました。もちろん出来ないことには出来ないと言いますが、合理的な理由がある意見なら積極的に採用します。

 

今おっしゃった「子連れ出勤制度」もそうして出来た制度の一例です。台風でわが子の学校が休みになった際、親は会社を休むしかなくなってしまいますよね。でも、「そういった時に子連れ出勤ができれば良いのでは?」という意見があがりこの制度ができたんです。

 

社員からの意見や要望は、常務や総務課長が細かく把握してくれています。みんなが会社に信頼感をもってくれているし、社員が制度を悪用しないと信頼しているので実現できたことです。

なるほど!今後注力したい事業や取り組みがあれば教えてください。

 

新製品の開発です。弊社の売上のほとんどを占めるのは、刈払機とモノラックという二大巨頭。これらは50年以上前にリリースされた製品ですから、私の代ではこれらに続く第3の新しい柱を作ることを目指しています。例えば、機器の原動力を電気化して温室効果ガスの排出を抑制するなど、時代の流れに沿った新製品開発にも積極的に取り組んでいます。

 

加えて、現在はインド工場を立ち上げているので、こちらを稼働させて独り立ちさせるのも向こう10年の重要なミッションだと考えています。

インド工場のイメージ写真。

さらに、もっと長いスパンで目指しているのが、「どこでも働ける人材」の育成です。弊社としては、社員に業務を通してスキルを磨いてもらい、他社へ転職したとしても自信を持って働ける人になってもらいたいです。また、転職先の企業からも「ニッカリさんで働いた経験があれば大丈夫だろう」と思ってもらえるようでありたいと考えています。

 

どこでも働ける自信を持ちながらも「それでも自分はニッカリで働きたい」と思ってもらえるようにすること。それが社長としての大切なミッションだと考えています。

学生時代の研究が今につながる中村さんの働き方

社会に出てから役立つのは研究で培った「洞察力」

次は開発部次長である中村さんに、キャリアのお話を伺いたいです。まず、どうしてニッカリに入社したのですか?

 

きっかけは大阪から岡山への移住です。この時に「地場の企業で働こう」といろいろ調べていて、ニッカリのホームページを見つけたんです。「ここならお役に立てそうだ」と思うと同時に「生き生きと働くことができそうだ」とも感じましたね。

 

実際、残業はほぼ0で、年間休日数も一流企業と比較しても遜色なく、ワークライフバランスがとりやすい環境でした。

 

また、組織が大きすぎず、社長との距離が近い点も魅力に感じていました。その前に勤めていた企業は大きな組織で、プロジェクトを進める際のスピードが自分にとってはもどかしいと感じるときもあって。弊社では社長と話したその場で物事が決まる場合もあって、その点が私にとっては心地よいです。

ちなみに、以前はどんな会社にいらっしゃったのでしょう?

 

以前は、家電メーカーで液晶テレビやコードレス掃除機の電子回路の設計、その後アウトドア・スポーツ向けメーカーにてアシスト自転車の回路設計をしていました。前職で取り組んでいた「電気でモーターを動かして、その動力を機器の動作に反映させる」というノウハウは、弊社製品をエレクトロニクス化させていくにあたって大いに役立っています。

もっと遡りますが、大学時代はどんな分野の研究をされていたのでしょう?

 

理論物理学の勉強をしていました。ブランコに乗っている人を見ると「サイン運動、コサイン運動をしているな」という感覚で見るようになってしまうような分野です(笑)。

 

卒業論文では相転移現象(水が固体、液体、気体と姿を変えるように、温度や圧力などによって様態が変わる現象)に数式でアプローチしました。福山雅治扮する天才物理学者が主役のドラマ『ガリレオ』はご存知ですか?まさにあのドラマに出てくるような数式を書いたり解いたりしていたんです。

すごく専門性が高そうな分野ですね。そういった勉強や研究は会社に入ってからどんな時に役立つのですか?

 

よく学生さんに問われるのですが、私の回答は「研究分野そのものが役立つというよりも、研究や勉強を通して、欲しい情報を掴む洞察力が養われる」ですね。

 

もちろん、自分の研究テーマをとことん突き詰めて、世のために役立てたいという人もいますよ。

 

しかし、学生がほとんどの時間を費やす対象は、研究テーマを突き詰めるために情報を探す過程そのものです。欲しい情報を探す旅路の中で、お目当てのデータを見つけ出す洞察力やセンスが養われます。この力は将来の自分のために役立つと思いますよ

 

新製品開発は、富士登山だ!

現在はどんなプロジェクトに取り組んでいますか?

 

刈払機やモノラックに電動化技術のエッセンスを加え、オンリーワンの商品へ昇華させるという取り組みを進めています。一部の製品でエレクトロニクス化されているものもありますが、今後はそういった機器を主軸にしていく方針です。

エレクトロニクス化にはどんなメリットがあるのでしょう?

エレクトロニクス化の一例、いちご高設栽培用電動管理機。

メリットとしては、自動車を電気自動車にするイメージに近いですね。カーボンニュートラルの実現、再生可能エネルギーへの切り替え、静音化も実現できます。エレクトロニクス化は、弊社の強みである「オンリーワンの商品群」を活かす上でも重要な任務だと考えています。
プロジェクトの中で、思い出に残った業務を教えてください。

 

思い出に残っている仕事は、新製品開発におけるエレクトロニクス化の目的を再構築し、達成のための方針をつくったことです。

 

私が入社した頃の試作品には「明確な目的」がありませんでした。製品を開発することで「どんな革新を世に提供し、会社がこんなふうに発展させていこう」と想定しているか、分からなかったんです。

 

そこで「まず電動化の目的を決めましょう!」と提言し、同月内には「他社には無い新製品を開発し、新たな売上の柱を開発する」という目的を決めました。そこから逆算して目的を達成するための方針を策定し、具体的な数値目標までを組み立てました。

目的があるから、すべては決まっていく。

この目的設定は、プロジェクトの最初の段階で行う設計構想においても重要です。会議中に「この機能があったらいいだろう」「この機能は本当にいるの?」などの議論が生じた際、開発目的が定まっていないと議論の収拾がつかないからです。

 

また、目的がきちんと設定できていれば、目前の課題だけに捕らわれることなくプロジェクトを進めていくことができるようになります

 

製品開発は富士山に登るイメージなので、まず頂上である「目的」を決め、そこから「持ち物は何を用意するのか」「何合目で休むのか」「どんなペースで登るのか」といったことを考えていきます。そうした頂上という目的からの「逆算」が大事なんです。

ニッカリ社内での会議風景。

今後の展望を教えてください。

 

機械製品に電子工学、制御工学を融合させた高い付加価値を有するメカトロニクス製品を開発し、量産することがミッションです。それによって園芸機器とモノラックという2本の柱だった事業の根本を第3、第4の柱にまで仕上げていくことが私の仕事だと考えています。社長が掲げている「100年続く企業」を実現するための手段が新製品の開発です。

 

他社が真似したいと思うような新しい製品の提供、さらには、開発のサイクルが自然と回る組織構築を目指し、中長期的な計画を立てています。

今、大切にすべきことのアドバイス

本日は貴重なお話をいただき、ありがとうございます。さいごに、学生のうちにした方がいいことや、大切にすべきことがあれば教えてください。

 

先ほども少し話しましたが、「自力で情報を探し出す洞察力」を身につけられるといいですね。

 

例えば、全く違う分野で得た2つの知識から共通点を見つけ、自分なりの考察ができたなら、オリジナルのアイデアをもつ人間になれます。一度手に入れた洞察力は一生ものですし、そんな人はどこに行っても必要とされると思いますね。

 

あと、友達はいたほうがいい。困った時に助けてもらえるし、忖度無しで話すこともできます。大学時代は研究室のメンバーとよくディベートをして刺激をもらっていました。いくつになっても、等身大で話し合える相手を大切にしてください

すごく参考になりました。杉本社長、中村次長、本当にありがとうございました!

(編集:杉原未来)

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