将来は子どもに関わる職業に就きたいと思っている人も多いと思います。子どもたちの遊び場や体験活動を行うことで、子どもたちと関わる働き方もあります。
この記事では、プレーパークや放課後児童クラブで子どもに関わる清家彩菜(せいけあやな)さんの生き方に触れていきます。
目次
清家さんのお仕事
子どもたちの体験活動を企画運営
ーー清家さんはどんなお仕事をされていますか?
ーー子どもとの関わりの中で大切にしていることはありますか?
なるべく誰しもが同じように楽しいことや、嬉しいことを受け取れるように仕組み作りをしたいですね。それが一番大切にしていることかな。
仕事以外ではまちづくり活動に参画
ーー仕事以外ではどんな活動をされていますか?
それから、こども園の保護者会役員もしていました。親なら誰でも参加する一般的な役割なんですけど、私の中では比重が大きくて、仕事みたいな気持ちで取り組んでましたね。住んでいる小さな地区の自治会役員もしていますし、2022年度は子供会の会長をやる予定です。
そんな感じで、お金を得るための仕事とは別に、地域にある組織に何かと所属しています。
ーーなぜそのように地域の組織にたくさん携わっているのですか?
私の仕事である放課後児童クラブの環境を良くするためには、地域からの理解や、園や小学校との連携がすごく大事です。子どもたちが豊かに遊べる放課後を実現することは、自分たち単独では絶対できません。だから、地域での活動も放課後児童クラブにつながっているんですよ。
ーー地域の方と関わる際に大切にしていることはありますか?
でも、地元の人たちには「地元の人たちが大切にしていること」があると気づいて、それを手伝うスタンスで関わるようになったら自分の活動も応援してもらえるようになったんです。
清家さんの脳内
脳内グラフとは、清家さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。
世界平和 75%
ーーすごく広いですね・・・!どうしてなんですか?
うちの子が幸せになるためには、うちの子だけが幸せじゃダメで、うちの子の周りの人が幸せじゃないといけないなって感じてるんです。
じゃあ、それが身近な何人だけかっていうとそうじゃなくて、やっぱり全員で。そうすると行き着くところは「世界が平和でありますように」ってことになると思っていて。
だから「みんなが幸せでありますように」って願うことでそれにつながることにアンテナを張って、日々活動してます。
プライベート 25%
この時はビール飲みたいし、おいしいもの食べたいし、自分のことしか考えたくないから。この2つがパッキリ分かれているのが私の脳内かな。
清家さんのこれまで
第1章 学校が居場所の小学生時代
私は小学校が大好きでした。友達といるのが何より楽しくて、あんまり家にいたくない子だったんです。今思えば、家庭で得られる体験が少なかったのかもしれません。だからこそ、友達といるのが一番楽しかったし、学校という場所が私の居場所でした。
第2章 演劇と出会った中学時代
父親は私に「何か一芸に秀でた方が良い」と常々言っていて、ピアノをする私に期待してくれていました。毎日2時間練習してそこそこ弾けるようにはなったんだけど・・・楽しいとは感じられなくて。
中学校に入った私は「バレーボール部に入りたい」と思ったんですが、父親は「ピアノをしているのに指を痛めたらどうするんだ」と反対しました。ピアノを続けながらできる部は練習が週2回の演劇部ぐらい。
それで演劇部に入ったんですが、これがものすごくフィット!顧問の先生が素晴らしい人で、演劇以外にもいろんな文化芸術に触れることを大事にしてくれて、素晴らしいものに出会う体験をたくさんさせてもらいました。
第3章 演劇部と「劇団風の子」
この頃、私は子どものために全国を巡業する「劇団風の子」に出会いました。トラック1台に演劇の舞台の設備を全部乗せてきて、例えば小学校の体育館で舞台装置を組み立て、照明を準備して劇を見せてくれる、子どものための劇団です。
顧問の先生が交渉してくださって、見学やお手伝いをさせてもらえることになったんですが・・・これがビックリ。一緒にステージを設置した人たちが、そのまま準備体操をはじめたんです!つまり、私がスタッフさんだと思ってた人たちは、みんな役者さん。
役者さんが舞台の準備からすべてを創っていくというその世界観にすっかり魅了された私は、「私も『劇団風の子』に入りたい!」と、演劇が盛んな高校に入学を決めました。
第4章 忘れていた目標
文化祭の2日間はどの教室に行っても、ものすごく有名なミュージカルや演劇を高校生がやっているという高校で、私は3年間演劇に没頭しました。そのまま進学も演劇関係で、舞台美術を勉強しようと専門学校に入ることに決めました。
舞台美術の専門学校はきらびやかな光に満ちた、目もくらむような世界でした。というか、本当に目がくらんでしまっていたみたいで。私は自分が何を目標に演劇をはじめたのか卒業まで忘れてしまっていたんです。
「私がやりたいことは『劇団風の子』じゃん!」
私はがく然としました。
「『劇団風の子』に入って、子どもに見せるための演劇をやりたかったはず・・・。それなのに子どもとふれあうことを何もやってこなかったなんて・・・」
このままでは「劇団風の子」には行けないなと思いました。
第5章 プレーパークで学んだ子どもへのまなざし
専門学校は2年間だけど、友達の多くが進学した大学は4年間だったので「それなら自分もあと2年は学生だと思って、2年くらい子どもに関わる仕事をして勉強しよう。それから『劇団風の子』の試験を受けたらいいや!」と考えました。
子どもに関する資格がない私でもできる仕事を探すうちに出会ったのが「プレーパーク」という世界です。
プレーパークでは大人が子どもを「守るべき人」とか「自分より劣っている小さな人」とは捉えません。「ひとりの人」として捉えます。その「ひとりの人」が今をいきいきと生きるためにどのように関わるのか、そういう子どもと関わる上で大切なまなざしを鍛えられました。
第6章 演劇から外遊びへ
私は最終的には子ども達に演劇というエンターテイメントを届けることを目指していたんですが、このプレーパークでの経験で夢が変わっていきます。
確かにエンターテイメントで得られる喜びは大事なんだけど、それは非日常の世界のもの。今社会が抱えている子ども達の課題っていうのは、子ども達の日常を豊かにすることでしか変わっていかないんじゃないか。そう強烈に感じるようになりました。
大切なのは、子ども達の日常にどれだけの喜びをつくれるか。それなら「外遊び」こそが大切なコンテンツだと感じて、私は外遊びの世界でやっていこうと決意しました。
第7章 三足のわらじを履き、プレーパーク漬けだった20代
その後は、公私共にプレーパークの世界観にどっぷり浸かった20代を過ごします。まず、縁あって「原宿おひさまの会」という野外保育の会で保育者を務めることになりました。代々木公園の森のなか、年間300日子ども達と来る日も来る日も外で遊んでました。これが計8年。
二足のわらじで、渋谷区でプレーパークを作りたいという住民の人たちと一緒に「渋谷はるのおがわプレーパーク」を立ち上げる仕事も経験もしました。
三足目のわらじは「NPO法人日本冒険遊び場づくり協会」の事務局員。その中で全国のプレーパークの活動を支援したり情報を集約したりもしていました。
第8章 岡山でプレーパークに支えられた子育て
30歳のときに夫の転勤で岡山に行くことになりました。当時長女は生まれて3ヶ月目。初めての子育てを知り合いも誰もいないところでしなくちゃならない状況になって、正直「どうしよう・・・」ですよね。
でも、岡山市の「こどもの森」の中でプレーパークをしている人達がいたんです!「プレーパークの近くだったら絶対行ける!!」
それで、家もプレーパークのすぐ近くを選びました。おかげでわが子は赤ちゃんだったけど、公園の芝生の上でずっとハイハイさせて育ったし、プレーパークのスタッフさん達がみんな可愛がって抱っこしてくれて。友達もできて子育てサークルもして・・・。
本当に私の人生どれだけプレーパークに支えられているんだろうって思うぐらい、岡山でもプレーパークには救われました。
第9章 定住につながった「備前プレーパーク!森の冒険ひみつ基地」との出会い
岡山に慣れ親しんで来ていたとはいえ、転勤で来ていたので「いずれ東京には帰りたいな」とも思って暮らしていました。そんな中、東日本大震災が起こります。私は次第に「どうせだったら自然の中でのびのびと子どもたちを育てながら自分も暮らしていく人生を選ぼう」「岡山にこのまま着地しよう」と思うようになっていました。
そんなときに出会ったのが「備前プレーパーク!森の冒険ひみつ基地」でした。人のあたたかさ、本物の森で子ども達が遊べる環境、海が見える景色・・・日本一のプレーパークかもしれないと思うほどすべてが素晴らしくて。「住むんだったら絶対この備前の久々井だ!」そう思い、今住む地区に定住することを決めました。
第10章 ちょっとだけ手を伸ばして
これから社会に出て行く若い人たちは、周りにいる人がちょっと幸せになれることをプラスできるゆとりを持って働いてほしいなって思ってます。
与えられた仕事よりちょっと手を伸ばして、面白いことをする。それが社会を変えていくんだと感じているからです。例えば、地域のためにちょっと周辺も草刈りしてみるとか。もちろん、まずは楽しんで。そこにいるからこそできることをちょっとだけプラスして。
すると、周りの人たちから思ってもみない素敵な言葉をもらえることもあるんです。いろんなことを手広くやってると、やっぱり見ててくれる人がでてきますよ。
(編集:北原泰幸)