なりたいけれど、その仕事に就くのは狭き門をくぐり抜けないとなれない。たとえば「スポーツ選手」、「キャビンアテンダント」、そして今回インタビューする都間裕子(つまゆうこ)さんの「アナウンサー」という仕事もその中の一つかもしれません。
今回はそんな難しい仕事に就き、しかも独立してフリーランスになったという都間さんに、大学院で自分のなりたい職業に就くため頑張っている茂木風果(もてきふうか)さんがインタビューしました。
追いかけたい目標、なりたい仕事が見えている人は必見です!
目次
現在の都間さん
★都間裕子さん
Q1.ケーブルテレビのアナウンサーってどんな仕事?
ーー都間さんはもともと地元ケーブルテレビでお仕事されていたんですよね。そのころはどんなお仕事をしていたんですか?
ーー全部1人で!?
例えば地域で開催されるイベントがあれば、まず主催者の方にインタビュー。そのままイベントに参加しているお客さんの声をリポート。それを原稿に起こしつつ、次の取材に向かう・・・という感じで。 そうして24年間勤める中で、市長の対談から街頭インタビューまで、累計1万人以上の方にお話をお聞きしたんじゃないかな。
ーーそんな都間さんに逆にインタビューするなんて・・・緊張します。
Q2.フリーランスのアナウンサーってどんな仕事?
ーー現在はフリーランスのアナウンサーとして活動していると伺いました。フリーではどんなお仕事があるんですか?
今はオンラインで打ち合わせもできますし、吸音材などで自宅の部屋の収録環境を整えれば外出せずに仕事が完結できるんです。
ーーどうやってそのお仕事の依頼を受けるんですか?
宅録以外にも「社員に研修をお願いできませんか?」というご依頼があることもあります。
ーー基本的にはオンラインのみのお仕事なんですか?
「自分の声を使って誰かの役に立ちたい」という思いで活動しているので、オンライン・オフラインどちらの仕事も大切にしています。ただ、フリーランスなので、自分が「やりたい」と感じるものを選ぶことができています。
Q3.「やりたい」と「やるべき」のバランスはどうしてるの?
ーーフリーランスとしていろんな「やりたいこと」を仕事にされているんですね。でも、やるべきこととのバランスも難しくはないんですか?
実際、オンラインのお仕事受注サイトの中には少し「怪しさ」を感じるお仕事もあって。なのでご依頼の方の思いに賛同できるかどうか、ちゃんと選択するようにしています。
ーーなるほど。
だから、自分のできる範囲のもので「自分がやりたい」と思っている方向に近いものを、報酬や「お役に立てるか」などのバランスで選んでいっています。
ーーどれぐらい人の役に立つ仕事かという見方もあるんですね。ちなみにこれからもっと「やりたい」というお仕事はありますか?
特に「昔話」。生きて行くときの教訓や何かしらの気づきがストーリーの中にあって、子どもにとってもわかりやすい。20代・30代の方にとっても子どもと一緒に読めるし、もっと上の世代の方なら「自分も読んだな」となつかしく思ってもらえる。とても良いものだと思うんです。 そんな昔話も、今は時代の流れの中で読む機会が減ってしまっている。だから皆さんが昔話を読むきっかけをつくっていきたいなと思っています。
「やりたい仕事」へのたどりつき方
「やりたい」の原体験をみつめる
ーー都間さんはなぜアナウンサーになろうと思ったんですか?
自分より小さい子たちが私のところに「読んでー!」って絵本を持ってきてくれて。読んであげたらその子達はすごく喜んで、「こっちも読んで!」って。それを何度も繰り返して。 自分が読んであげることで「相手がすごく喜んでくれる」「人のためになってる」ってきっと感じていて、それが出発点だったんだと思います。
ーーそれで気がついたらアナウンサーを目指していたんですね。
忘れたまま中学校に入るとバスケットボールをはじめたんですけど、半年ぐらいで体を壊してやめることになってしまったんです。そのとき顧問の先生が「絶対何か部活はやれ」って言うので、放送部に入ったんです。 そこで自分たちで番組を作ったり、NHK杯全国中学校放送コンテストに出たりして「やっぱり私、アナウンサーや声で伝える仕事がしたいな」と思って。
ーー進路はどうしたんですか?
自分のメンタルを自分で守る
ーーアナウンサーとしてのトレーニングはどうやって積んだんですか?
その大阪の教室に1年半ぐらい通って、アナウンサーの基礎をしっかり身につけました。
ーーアナウンサーの世界は狭き門ですよね。スクールは厳しかったんじゃないですか?
どうしても私はアナウンサーになりたかったので、何とか踏ん張って面接でいれてもらえましたが、指導はスパルタでとにかく厳しかったです。
ーー厳しくても頑張ろうと思えたのはどうしてですか?
ーー私も目指しているものがあって。でも、ちょっと厳しい指導にめげそうになることもあるんです。
自分に向けて言われていることはアドバイスだと思って聞けばいいし、そうでないことは「それは私のことじゃないな」ぐらいにして。自分のメンタルを守れるのは自分だけですからね。
ーー処世術・・・ありがとうございます!
やるだけやって、ダメなときは考える
ーーアナウンサーの就職活動はどうでしたか?
そんなとき、母が「地元のケーブルテレビが募集してるみたいだよ。アナウンサーだけではない枠みたいだけど」と求人情報を見つけてきてくれたんです。そうしたらなんと内定をいただき、倉敷ケーブルテレビに勤めさせてもらえることになって。それから24年間もお世話になりました。
ーー「アナウンサーを志望するのをやめようかな」と思ってしまうことはなかったんですか?
ーーやるだけやろう、やってから考えよう。カッコイイです!
「なんとかなる」と、おおざっぱになってみる
ーーそんな難関をくぐり抜けてケーブルテレビに入社されたのに、「独立しよう」と思ったのはなぜですか?
それが40歳を過ぎたころ、平日ずっと母にきてもらうような状態になってしまっていたんです。最初は「これぐらいしてあげるよ」って言ってくれていた母も、「しんどいな」とこぼすようになって、「やっぱり負担かけているんだ」と思いました。 それで、誰かに負担をかけてまで「自分がやりたいこと」をやっているという私の仕事のやり方は本当にこのままでいいのかなって思うようになったんです。
ーー家族のライフプランを考えるようになったんですね。
裏方は大切な仕事で、決して嫌いな仕事ではないんですが、私がしたいのは「自分の声で何かを伝えること」だったから「自分のやりたいこと」ともズレてきてしまっていたんです。 だったら「家庭」と「やりたいこと」どちらもうまくいくように、思い切ってフリーランスでやってみようと思ったんです。
ーー何かをガラッと変える決断ができるって、カッコイイです。どうして決断できたんですか?
「無謀だな」って思う方もいると思います。実際、決断したときにはまさかこんなに新型コロナが流行することになるなんて想像もしていなくて、独立当時は大変でした。2019年8月末に会社に退職の話をしていて、独立後は式典・祝賀会の司会やラジオのパーソナリティの仕事を中心に考えていたんです。 でも、独立時の2020年4月は緊急事態宣言で「みんな自宅待機」みたいな大変な時期。4月に予定していた仕事もみんなキャンセルで、まったく仕事がなくなっちゃって。でも、そのコロナ禍で今の収益の柱である宅録ナレーションの仕事にたどりついて、家庭と仕事の両立もなんとかできるようになりました。 実際なんとかなったからいいかって。O型なのでおおざっぱで、良い方にとってます(笑)。
ーーなんとかなるし、なんとかなった・・・なるほど!都間さん、ありがとうございました!