フリーアナウンサー・都間さんから学ぶ!厳しい現実に負けずに「やりたい仕事」をどう得るか

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なりたいけれど、その仕事に就くのは狭き門をくぐり抜けないとなれない。たとえば「スポーツ選手」、「キャビンアテンダント」、そして今回インタビューする都間裕子(つまゆうこ)さんの「アナウンサー」という仕事もその中の一つかもしれません。

 

今回はそんな難しい仕事に就き、しかも独立してフリーランスになったという都間さんに、大学院で自分のなりたい職業に就くため頑張っている茂木風果(もてきふうか)さんがインタビューしました。

 

追いかけたい目標、なりたい仕事が見えている人は必見です!

 

 

【現在の都間さん】

★都間裕子さん

今回のゲスト。大学時代大阪のアナウンス教室で1年間学び、(株)倉敷ケーブルテレビに入社。2020年に独立し、フリーアナウンサーとして多方面で活躍中。

Q1.ケーブルテレビのアナウンサーってどんな仕事?

 

ーー都間さんはもともと地元ケーブルテレビでお仕事されていたんですよね。そのころはどんなお仕事をしていたんですか?

 

アナウンサーというと「テレビのニュース番組で原稿を読んで伝える仕事」というイメージがありますよね。でも、ケーブルテレビは「アナウンサー」という役割だけではなくて、アナウンサーが1人で何役もこなすんです。取材やインタビュー、リポーターはもちろん、1人が撮影、編集、原稿作成も担当して1本の番組を作っていました。

 

ーー全部1人で!?

 

はい、それにニュースがある日は1日に2本か3本取材に行くので、たくさんの人に話を聞きましたよ。

 

例えば地域で開催されるイベントがあれば、まず主催者の方にインタビュー。そのままイベントに参加しているお客さんの声をリポート。それを原稿に起こしつつ、次の取材に向かう・・・という感じで。

 

そうして24年間勤める中で、市長の対談から街頭インタビューまで、累計1万人以上の方にお話をお聞きしたんじゃないかな。

 

ーーそんな都間さんに逆にインタビューするなんて・・・緊張します。

 

お友達のお母さんに話すみたいに聞いてくれたらいいですよ(笑)。

 

Q2.フリーランスのアナウンサーってどんな仕事?

 

ーー現在はフリーランスのアナウンサーとして活動していると伺いました。フリーではどんなお仕事があるんですか?

 

今中心になっているのは「宅録ナレーター」ですね。原稿をいただいて、自宅のパソコンに向かって音を録り、ナレーションをデータとして納品する仕事です。

 

今はオンラインで打ち合わせもできますし、吸音材などで自宅の部屋の収録環境を整えれば外出せずに仕事が完結できるんです。

今回のインタビューもお仕事部屋から。

 

ーーどうやってそのお仕事の依頼を受けるんですか?

 

ランサーズやクラウドワークスといった仕事を受発注するサイトに登録をしているので、それをご覧になった企業の方がそこからご依頼をくださいます。もちろんそういったサイトを介さずに直接お話をいただくこともありますよ。

 

宅録以外にも「社員に研修をお願いできませんか?」というご依頼があることもあります。

 

ーー基本的にはオンラインのみのお仕事なんですか?

 

いえ、結婚式やイベントの司会もしていますし、オフラインでスピーチの講師のご依頼もありました。最近では公民館で「大人向けの読み聞かせ講座」もさせてもらっています。

 

「自分の声を使って誰かの役に立ちたい」という思いで活動しているので、オンライン・オフラインどちらの仕事も大切にしています。ただ、フリーランスなので、自分が「やりたい」と感じるものを選ぶことができています。

スピーチ講師としてのお仕事風景

スピーチ講師としての都間さん。

 

Q3.「やりたい」と「やるべき」のバランスはどうしてるの?

 

ーーフリーランスとしていろんな「やりたいこと」を仕事にされているんですね。でも、やるべきこととのバランスも難しくはないんですか?

 

それはありますよね。生きて行くためには最低限お金を稼がなきゃいけない部分もあります。ただ、いろんなご依頼がある中で「自分がそのお仕事に対してちゃんと気持ちをこめてできるのか」を判断基準として線引きをしています。

 

実際、オンラインのお仕事受注サイトの中には少し「怪しさ」を感じるお仕事もあって。なのでご依頼の方の思いに賛同できるかどうか、ちゃんと選択するようにしています。

 

ーーなるほど。

 

それに、報酬以外にも自分にプラスになる部分がある仕事もあります。例えば公民館のお仕事であれば、その実績は「公共性が高い仕事をしている人だ」と思ってもらえますし、「自分の声でお役に立てている」という感覚がとても大きいです。

 

だから、自分のできる範囲のもので「自分がやりたい」と思っている方向に近いものを、報酬や「お役に立てるか」などのバランスで選んでいっています。

 

ーーどれぐらい人の役に立つ仕事かという見方もあるんですね。ちなみにこれからもっと「やりたい」というお仕事はありますか?

 

私の原点は「読み聞かせ」だと思っているので、公民館でお受けしているような「大人向け」はもちろん「子ども向け」もやっていきたいですね。

 

特に「昔話」。生きて行くときの教訓や何かしらの気づきがストーリーの中にあって、子どもにとってもわかりやすい。20代・30代の方にとっても子どもと一緒に読めるし、もっと上の世代の方なら「自分も読んだな」となつかしく思ってもらえる。とても良いものだと思うんです。

 

そんな昔話も、今は時代の流れの中で読む機会が減ってしまっている。だから皆さんが昔話を読むきっかけをつくっていきたいなと思っています。

読み聞かせ講座での都間さん。

 

【「やりたい仕事」へのたどりつき方】

「やりたい」の原体験をみつめる

 

ーー都間さんはなぜアナウンサーになろうと思ったんですか?

 

ものすごく自分で遡って「いつ自分はアナウンサーになりたいと思ったのかな」と考えると、保育園に自分の原点がある気がしています。

 

自分より小さい子たちが私のところに「読んでー!」って絵本を持ってきてくれて。読んであげたらその子達はすごく喜んで、「こっちも読んで!」って。それを何度も繰り返して。

 

自分が読んであげることで「相手がすごく喜んでくれる」「人のためになってる」ってきっと感じていて、それが出発点だったんだと思います。

 

ーーそれで気がついたらアナウンサーを目指していたんですね。

 

いや、小学校のころは忘れていたんです。卒業文集の将来の夢には、なぜか「警察官」と書いてありました(笑)。

 

忘れたまま中学校に入るとバスケットボールをはじめたんですけど、半年ぐらいで体を壊してやめることになってしまったんです。そのとき顧問の先生が「絶対何か部活はやれ」って言うので、放送部に入ったんです。

 

そこで自分たちで番組を作ったり、NHK杯全国中学校放送コンテストに出たりして「やっぱり私、アナウンサーや声で伝える仕事がしたいな」と思って。

 

ーー進路はどうしたんですか?

 

具体的にアナウンサーになるにはどうしたらいいかを先生に相談したら「必ず四年生大学に行った方いい」とか「外国語大学が有利なんじゃないかな」と現実的なアドバイスをいただきました。でも、高校で英語が苦手になってしまったので外語大はちょっと難しくて。なら、マスコミ系に近い大学に行きたいと社会学科のある大学を片っ端から受けて、めでたく神戸にある甲南大学に通いはじめました。

自分のメンタルを自分で守る

 

ーーアナウンサーとしてのトレーニングはどうやって積んだんですか?

 

たまたま父親の知り合いの知り合いにRSKのアナウンサーをされていた方がいて、大学3年生のころに「アナウンサーになりたくて関西にいるなら、いいアナウンス教室があるから紹介しましょうか?」って言ってくださったんです。

 

その大阪の教室に1年半ぐらい通って、アナウンサーの基礎をしっかり身につけました。

 

ーーアナウンサーの世界は狭き門ですよね。スクールは厳しかったんじゃないですか?

 

厳しかったですね。有名どころのアナウンサーをたくさん育てた先生で、少人数しか教えてくださらない方でした。そもそも教室に入るための面接があって「この子は続かないな」と感じる子をふるい落として、本当にアナウンサーになりたい人だけを見極めていました。

 

どうしても私はアナウンサーになりたかったので、何とか踏ん張って面接でいれてもらえましたが、指導はスパルタでとにかく厳しかったです。

 

ーー厳しくても頑張ろうと思えたのはどうしてですか?

 

「この先生に教わっていれば間違いない」そうみんなが感じるほど実績がある方でしたから。頑張れば、アナウンサーとしての力が身につくと信じられたからですね。

 

ーー私も目指しているものがあって。でも、ちょっと厳しい指導にめげそうになることもあるんです。

 

そういう厳しい方の中には、もうそれが口癖みたいになっている人もいますよ。別に怒っているわけじゃなくて、もともと言い方がきつい。だから「もともとこういう方なんだな」と思うとちょうどいいかもしれませんよ。

 

自分に向けて言われていることはアドバイスだと思って聞けばいいし、そうでないことは「それは私のことじゃないな」ぐらいにして。自分のメンタルを守れるのは自分だけですからね。

 

ーー処世術・・・ありがとうございます!

やるだけやって、ダメなときは考える

 

ーーアナウンサーの就職活動はどうでしたか?

 

やっぱりすごく苦戦しました。私のころはマスコミ系の募集が早くて3年生の2・3月くらいから民放キー局が始まって、次に地方の放送局と進んでいくんです。アナウンサースクールで周りの子たちと力の差をすごく感じていたものの、なんとか頑張ろうと民放キー局はもちろん、北から南までいろいろな地方放送局に応募しました。でも、受かることができなくて。

 

そんなとき、母が「地元のケーブルテレビが募集してるみたいだよ。アナウンサーだけではない枠みたいだけど」と求人情報を見つけてきてくれたんです。そうしたらなんと内定をいただき、倉敷ケーブルテレビに勤めさせてもらえることになって。それから24年間もお世話になりました。

 

ーー「アナウンサーを志望するのをやめようかな」と思ってしまうことはなかったんですか?

 

不思議と諦めようとは思わなかったですね。「どこで何があるかわからないから、やるだけやってみよう!」「一通りやってみて、ダメだったらその時に何か別のことを考えたらいい」と思っていました。

 

ーーやるだけやろう、やってから考えよう。カッコイイです!

 

そんなにカッコイイものじゃないですよ。交通費はかかりますけど、受けるのはタダですから(笑)。

 

「なんとかなる」と、おおざっぱになってみる

 

ーーそんな難関をくぐり抜けてケーブルテレビに入社されたのに、「独立しよう」と思ったのはなぜですか?

 

私も最初は「このままずっと定年まで勤めるのかな」と思っていたんです。シングルマザーで子ども4人を育ていて、会社員ならお給料や待遇は比較的安定しますから。でも、放送の仕事は不規則で帰りが遅く、土日が仕事の日もあるので実家の母の助けを借りていました。母が晩ご飯をタッパに詰めて届けてくれる日もたびたびあって。

 

それが40歳を過ぎたころ、平日ずっと母にきてもらうような状態になってしまっていたんです。最初は「これぐらいしてあげるよ」って言ってくれていた母も、「しんどいな」とこぼすようになって、「やっぱり負担かけているんだ」と思いました。

 

それで、誰かに負担をかけてまで「自分がやりたいこと」をやっているという私の仕事のやり方は本当にこのままでいいのかなって思うようになったんです。

 

ーー家族のライフプランを考えるようになったんですね。

 

それに、40歳前後というのは多くの人がキャリアの節目を迎えるころで、会社の中で立ち位置や求められる役割が変化してきます。私も表に出る仕事より「ディレクター」や「演出」「編集」「新人の教育係」といった役割が増えてきていました。

 

裏方は大切な仕事で、決して嫌いな仕事ではないんですが、私がしたいのは「自分の声で何かを伝えること」だったから「自分のやりたいこと」ともズレてきてしまっていたんです。

 

だったら「家庭」と「やりたいこと」どちらもうまくいくように、思い切ってフリーランスでやってみようと思ったんです。

 

ーー何かをガラッと変える決断ができるって、カッコイイです。どうして決断できたんですか?

 

うーん、なんとなく「なんとかなるかな」って。

 

「無謀だな」って思う方もいると思います。実際、決断したときにはまさかこんなに新型コロナが流行することになるなんて想像もしていなくて、独立当時は大変でした。2019年8月末に会社に退職の話をしていて、独立後は式典・祝賀会の司会やラジオのパーソナリティの仕事を中心に考えていたんです。

 

でも、独立時の2020年4月は緊急事態宣言で「みんな自宅待機」みたいな大変な時期。4月に予定していた仕事もみんなキャンセルで、まったく仕事がなくなっちゃって。でも、そのコロナ禍で今の収益の柱である宅録ナレーションの仕事にたどりついて、家庭と仕事の両立もなんとかできるようになりました。

 

実際なんとかなったからいいかって。O型なのでおおざっぱで、良い方にとってます(笑)。

 

ーーなんとかなるし、なんとかなった・・・なるほど!都間さん、ありがとうございました!

 

 

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