思い出と共にある制服の営業・小倉茂徳さん

  • #アパレル
  • #今と同じ状態で過ごしていていいのか
  • #習慣が結果になる

公開日 2021.11.10

学生の頃に着ていた制服をまだ捨てられずに保管している人も多いそうで、そのくらい制服は大切な思い出だったりします。
この記事では、制服の仕事にメーカーの営業として携わる小倉茂徳(おぐらしげのり)さんの生き方に触れていきます!

 

小倉さんのお仕事

制服メーカーで営業一筋

――小倉さんはどんな仕事をしていますか?

 

制服メーカーの株式会社トンボで学校制服や体操服の営業をしています。営業の仕事には大きく2つの柱があります。

 

1つ目が制服を届けるまでの調整・実務です。制服は入学式から着ていただくものです。皆さんにきれいに着てもらうための採寸はもちろん、入学式に間に合うよう納品するためのスケジュールを立て、商品の確認、日程の調整を行います。

 

2つ目がモデルチェンジに伴う営業です。制服を変更される学校さんへ提案をして、採用してもらう仕事ですね。初めて採用してもらった制服が、入学案内のパンフレットに載ったときは本当にうれしかったです。

 

――入社後に営業以外の仕事をされたことはありますか?

 

会社に入ってからはずっと営業の仕事をしています。実は私の年代には入社してから営業だけという人がほとんどいないんです。

 

そこにコンプレックスもありました。仕事は10年以上すると、1つの仕事は大きく変わらないんです。50年営業を続けても、向上心がなければ大きくは変わりません。でも、最初の3年間違う部署にいた人は、その立場での考え方をずっと持っています。「違う部署3年・営業10年の人」と「営業50年の人」だったら、短くても営業10年の人の方が仕事に深さがでるように思います。

 

だからこそ、向上心を持って誰よりも営業を知ろうと思っています。

 

 

習慣が結果的に「選べる」をつくる

学生の皆さんに伝えたいなと思って、いつもする話があります。それは「習慣が結果になる」ということです。ある本の中に「生きてきた中で、大きな決断をしたことがありますか」という問いがありました。皆さんどうでしょう。僕は実は、人生に大きな決断ってあんまり無いんじゃないんと思うんですよ。

 

――そうなんですか?

 

例えば、結婚って大きな決断だと思いがちですよね。でも、好きな人がいてデートに誘うために電話をするという決断があって、そうした先に付き合うっていう決断がある。その時間と習慣の一つ一つの小さな積み重ねがあるから、最後に好きな人と結婚できた・・・ということが起きると僕は思っているんです。

 

落ちているゴミを拾うことが習慣になって、良い意味で何も感じなくなる。学校に毎日行く。そういう細かな積み重ねが、自分の選択の幅を結果的に広げてくれる。結果まで考えてやるんじゃなくて、小さなことを習慣としてやっていたら、知らない間に良くなっていくんじゃないかな、と僕は信じています。

 

小倉さんの脳内

脳内グラフとは、小倉さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。

 

仕事 30%

制服の提案をする業務をしていますが、ずっとそのことが頭にありますね。仕事のことを考えない時間ってあんまりないかもしれない、ちょっとまずいですね。

どう話を組み立てて提案しようか、最近本で読んだキーワードなど何か学校への提案に結びつかないか、そんなことを考えています。

 

本 20%

そんな仕事のことばかり考えている中でも、本を読んでいる間は没頭できます。読書自体は仕事のためではなく、自分の知識欲求を満たすため、マンガや小説まで幅広く読んでいます。中高生の頃はマンガしか読んでなかったんですけど、マンガから得られることもいっぱいありました。

 

家族 20%

子どもとよく散歩したり、妻と散歩しながら会話をしています。子どもの成長ははやく、すぐ大人になってしまうと思うので、お互いに「今このときしかない」と思って過ごすようにしています。

 

ちなみに僕は高校の時は朝5時に出て夜11時に家帰ってたんですけど、親はそれでも朝ご飯をつくってくれてたし、夜に洗濯してくれてたんですよね。今、親になってそのありがたさに気づいて感謝の気持ちがわいてきています。

 

晩ごはん 30%

実は、仕事のことばかり考えていて、今は夜しかご飯を食べてないんです。だから、家族がつくってくれる晩ごはんをとても楽しみにしています。合わせて50%が家族だと思ってもらえるとうれしいです(笑)

 

小倉さんのこれまで

第1章 実家の近くにトンボの工場

僕の実家は散髪屋でした。実は、今の会社の工場が近くにあって、色んな地域の大人が来る中にトンボ社員の方も多かったんですよ。会社に入ってから「あ、あの時のトンボのおじちゃんだ!」と思う人が何人もいました。トンボのジャージをじいちゃんがもらったりしていましたね。案外この頃の記憶もトンボに就職したことにつながっているのかもしれません。

 

第2章 野球漬けだった小・中・高時代

小学校3年から野球を始めました。じいちゃんが野球好きで、途中までは半ば強制だったんですけど、だんだん競技として面白くなってきました。中学校も野球漬けの毎日でした。野球と塾で一番忙しかった時期かもしれません。中学2年生の時には県大会で優勝するほどの強いチームで、自分が3年生の時には優勝はできなかったものの、県大会3位という成績を残せました。

 

高校も岡山南高校のブルーのユニフォームが着たくて、ただそれだけで選びましたね。自転車で片道1時間かけて通っていました。競技としてだけでなく、色んな考え方の人と話ができるのも楽しかったのかなと思います。

 

野球場, 野球, 砂利, 茶畑

 

第3章 米屋のアルバイトで出会ったもう一人のお父さん

高校卒業後、大阪の大学に入りました。大学生活は準硬式野球部とお米屋さんのアルバイト、そして社長との晩ご飯、ひたすらこれの繰り返しでした。このお米屋さんは個人商店で、社長と僕と、たまに隣のタバコ屋さんのおばあちゃんの3人でお店を回していました。最初は配達だけだった仕事は、いつしか電話応対やスケジュールの組み立ても任せてもらえるようになり、この時のタイムマネジメントは今でも仕事に活かされています。

 

何より僕がこのアルバイトをして良かったなと思ったのは、週6日、4年間ずっと社長と過ごせたことです。親よりも話をした大人じゃないかと思うぐらい話をしました。

いつも仕事の後にご飯に連れて行ってくれました。当時から付き合っていた今の妻と僕で、焼き肉屋や高級ホテルの一番最上階にあるバーに連れて行ってもらったり・・・。大阪という土地での親友であり、お父さんでもありました。結婚式の時には乾杯の挨拶もしてくれましたね。

 

第4章 大学で出会った違和感を伝えてくれる先輩

僕は高校時代、先輩に対して「トイレに行ってもよろしいでしょうか」「はい」「いいえ」の3つのしか言えないような厳しい上下関係の中過ごしてきたので、先輩との接し方であまり考えることをしていませんでした。でも、大学の準硬式野球部で1つ年上の先輩がそんな僕を変えてくれました。その先輩は、感じた違和感や引っかかりをいつも流すことなく「なんでなん?」と問いかけてくる人でした。

 

ある日、先輩と食事に行ったんですが、いつも食事代を出してもらっていたので「出しましょうか?」ってその日は聞いたんです。そしたら「お前、ちゃうやろ。『出しましょうか』じゃなくて、『出します』って言わんと。先輩からしたら『分かった、出してくれるか』とは言えんで」と返されました。

 

相手の言葉に違和感を覚えても、多くの人は流すと思うんですよ。でも、先輩はそうではなく、一個一個向き合ってくれました。こちらから「なんでそう思われたんですか?」と聞くと、理由をきちんと答えてくれるんです。本当に勉強になりました。楽に生きようと思ったら、何も気づかずやり過ごしていくこともできます。でも、一個一個引っかかるからこそ、色んな事を考えられるようになる。大人になった今、余計に思います。

 

第5章 入社時の場違い感から始めた読書

僕は古着が好きで、バイト休みの日曜日は大阪のアメリカ村によく通っていました。でも、自分が作りたいような服は作れないなと感じて、就職先としてアパレルブランドは選びませんでした。そうして迎えた就職活動で、学生服メーカー・トンボに入社することになりました。

 

入社当時、同期が12人いました。僕は自分だけとても場違いなように感じてしまいました。それは、僕は野球ばかりで全く勉強をしてこなかったのに対し、他の11人は二十数年間ちゃんと勉強してきていると感じたからです。

 

やはり、仕事において1から10、10から100と思考を広げていくためには自分の考え方だけでは足りないんです。色んな人の考えをインプットする必要があることに気づき、「やばいな、勉強せんといけん」と一念発起して本を読むようになりました。

 

第6章 営業を続けて変わった制服への見方

入社後6年間は本社の体操服営業として、埼玉より南の県をすべて担当しました。名古屋に転勤になってから5年間は制服の営業として愛知・静岡・三重を担当しました。12年目にようやく岡山に帰ってきて、仕事に対しての喜びや服に対する考え方もどんどん変わってきました。自分にとって思い入れのある土地の学校に、制服を提案して採用してもらうと、自分が知っている場所の生徒の皆さんに着てもらえるんですよね。それがとてもうれしく感じて。

 

「制服」の営業は、扱っている服に思い入れを持ってもらえる可能性のある仕事だと今は感じています。大切な思い出には必ず、服が一緒にあるんですよね。初めて何かをした時に着ていた服、家族でご飯を食べに行った時に着ていた服。「あの時あの制服を着て、こんな話したな」って思い出されるものに、自分が営業している制服がなっていく。そうな風に思うようになりました。

 

 

(編集:森分志学)

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