今まさに就職を考えている学生の皆さんが小学校に入学する前、世界中を不景気にした“リーマンショック”という出来事がありました。名前だけ聞いたことがある人もいるかもしれません。
就職活動への影響も凄まじく、右肩上がりだった雇用も急落し、新卒採用も冷え込む厳しい時代が到来しました。今回は、まさにその真っ只中に就職活動に取り組み、現在は倉敷市の工務店で中間管理職として充実した毎日を送る藤井さんのお話です。
「名のある大企業に勤めること」が学生時代の目標だった藤井さん。何度もの挫折を乗り越え自身の納得のいく境地にたどり着き、さらに新たな高みを目指すその力強い生き方を参考に、皆さんの人生の選択を考えてみませんか?
目次
現在の藤井さん
★藤井 阿弓(ふじい あゆみ)さん
★野中さん

会社の屋台骨を支える広報・集客担当


藤井さんが作成を担当している会社の資料

入社2年目から集客と呼ばれる「お客さんになってくださるかもしれない人」を集める業務とブランディングを担当してきて、今では責任者を任せてもらえるようになりました。


また、お客さんに家づくりへの考え方など会社として一貫性のある情報をお伝えするために、社内向けの勉強会を開くなどの取り組みをしています。スタッフやお客さんの間で家づくりに対する情報やイメージの行き違いを防ぐ大切な仕事です。ほかにも管理職として若手の育成や指導も行っています。
小さな会社なのでいろいろなことを担当していますが、小川建美では集客担当が集めたお客さんリストをもとに営業活動を行いますので、会社の利益に直結する責任の大きな仕事をさせてもらっていると感じています。


「家を建てたい」とご注文くださる方も、「小川建美で働きたい」と入社してくる後輩社員も、数多くの選択肢の中からうちの会社を選んでくれているという意味では同じです。何年経っても「ここを選んでよかった」と思ってほしいですし、「そう思ってくれている」と感じた瞬間にはやりがいを感じますね。
仕事をしていると、毎日良くも悪くも予測できないことばかり起きてきますが、それも好奇心が強い私にとっては「面白い」と感じられるポイントです。自分で考えて、解決に向けて行動できることもやりがいの一つだと思っています。
藤井さんが「自分の居場所」と巡り会うまで
居場所を求めてジレンマと闘った中学・高校時代

高校時代の藤井さん(右)。教室うしろの大学のランキングが進学校を感じさせる。


本好きでちょっとませていて、周囲とはちょっと考え方が違っている自覚があったのですが、「みんなに馴染もうと思ったら自分を消さないといけない」という感覚が、6歳ぐらいのころにはすでにありました。
子どもながらに変に目立ちたくない、周りと違うことへの恐怖のようなものも感じていて、本当は人とは違う自分でいたいのに、それを態度に出すことで居場所を失うことがこわかったのだと思います。
「みんなに合わせないと」という気持ちと、そうは思っていない本心との間に、いつもジレンマがあったように思います。


「ここから遠ざかって居心地のいい場所に行きたい」
そんなユートピアを目指すような感覚で、居場所を求めて遠くの進学校を受験しました。


各中学校のトップスリーのような人が来る高校で、高1では平均点も取れなかった私は、違う意味で浮いてしまったんです。
勉強ができないと認めてもらえない学校で自分の「居場所」を作るために、高2、高3の2年間は休みの日になると最大13時間と、めちゃくちゃ勉強しました。
試練は続くよどこまでも、就職活動に赤信号!


でも、私はその中の一つの志望大学の前期試験に落ちてしまったんです。行きたいゼミのあった岡山大学になんとか進学したものの、挫折感はつきまといました。
さらに追い打ちをかけたのが、入学後に周りの学生との差を感じてしまったことです。ディベートなどで自分の意見をうまく話せない私と違い、進学校出身ではない子達が堂々と意見を言ってのける事態に、「偏差値こそ全てだ」と信じ切るようになっていた私の価値観はやすやすとひっくり返されてしまったんです。
大学ではきっと私の居場所が得られると思っていたのですが、結局そうはなりませんでした。






しかし、私が就職活動を始めた矢先にリーマンショック※が起こり、就職氷河期に次ぐ就職難の時代に突入してしまったんです。内定取り消しも相次いだような時期でしたから、募集人数がとても少ないうえに、1学年上に就職浪人をした人たちもたくさんいたので、就職倍率がものすごく上がってしまいました。
「このままでは大手企業に就職できないかもしれないかも」という大ピンチに追い込まれてしまったんです。
※2008年9月15日にアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻したことをきっかけに世界的な経済・金融危機を招いた現象。当時の大学生の就職にも大きく影響した。
方向転換のきっかけをくれたインターンシップ


ここでようやく「大事なのは企業の規模なんかじゃない」と気づき、「中小企業は大手企業にいけない人が行くところ」という偏った価値観が変わり始めました。
いずれはと視野にいれていた結婚や子育てのこと、そうした自分にとっての現実を積み上げて考えていくと、「小さな会社の方が早くから経験を積めるし、仕事の中で自分の考えも出しやすいのかもしれない」とも感じてきました。だんだんと、本当に自分に合ったものが何かが見極められてきたのだと思います。
この時期に小川建美と出会い、入社を決断することになったのです。


小川建美は若い人も中堅もベテランも、みんながとても生き生きと働く会社で、個人の考えやエネルギーを尊重するような雰囲気がありました。
この会社に入ったことで、心の底のどこかで抑えてきた「やるとなったら妥協せずに、とことんやりたい」という私のエネルギーが、徐々に解放されていきました。
迷いから救ってくれた三浦大知さんのことば

子育てと理想の間で迷っていた頃


大手企業に就職して華々しく活躍する友人を横目に、「私はこのままでいいのかな」と言う思いも出てきました。
28歳で子供を産んでからは子育てと仕事の両立を選んだため、仕事でも思うようにいかず、会社の中でも「私は出遅れてしまっているのでは」などと感じるなど、いろんな葛藤がそれからもありました。


「僕はマイケルジャクソンになりたかった。でも、同じ山を登ってももうマイケルには追いつけないから、僕は違う山で同じ高さまで行くことにしたんだ」
といった主旨の言葉がなぜだかすごく腑に落ちて、すごくすっきりしたんです。
思えば私は、誰かと比べたり、どこかにある正解を探してばかりでした。でも、それではどこまでも水平線は続くばかりなんですよね。
「大手企業に就職した同期と比べるのではなく、私は私の山で同じ高さまで登ればいいんだ」
「私は、1組1組のお客さんの人生の決断を後押しできる大切な仕事をしているのだ」
そう思えるようになった私は、もう転職したいとは思わなくなりました。
コロナ禍で会社は大ピンチでしたから「こんな時だからこそ、私が頑張らないと!」という思いも重なったことも、きっと大きかったのだと思います。


私はずっと誰かの正解に合わせて生きてきました。だからこそ、本当は「私は正しいんだ」と、自分の正当性をどこかで主張したかったのだと思います。
「自分らしさ」とか「個性」とか、そういう言葉や価値観には馴染みがないまま生きてきた私でしたが、若い後輩たちと関わることで「正しい、正しくないではないんだな」という「それぞれの価値観の違い」というものをやっと理解できるようになったのかもしれません。
進む道に迷っている皆さんへ

最近のお気に入りの一枚。
大いに悩み迷って自分の山の頂を目指す!


就職は頭の中で考えているだけでは出口が見えてこないので、インターンシップに行ってみたり行動してみることが大事だと思います。
入社した野中さんを指導してくれるのは、たいていの場合2年目や3年目の現場の先輩です。そういう人たちが生き生きと働けているか、そういうところを見るといいですよ。
それから、その会社が自分に合うか合わないかは理屈よりも感性に頼るところが大きいと思うので、日頃から直感のアンテナを大切にしておくといいと思います。


大学の授業は「これ、何になるのかな」と言うことがよくあって、学びとしてはそれほど即効性がないように思うこともあります。
私が思うに、これまでの人生の途上には、いつ芽が出るのか、何に成長するのか、よくわからないいろいろな種が自分の畑に降ってきているはずなんです。
たとえば「やたら厳しく指導されて腹も立ったけど、こういう意味があったのか」と、後から芽がでてその種の意味に気づくものなんです。一所懸命悩んだからこそ芽吹いた種が回収できるので、大いに悩み、迷えばいいと思います。
大学を就職予備校だと捉えるのであれば、授業の中には「なんだこれ」っていうことも多いでしょう。しかし、実際には学生時代というのは、たくさんの今はまだ何になるか分からない種や肥料を畑にまいているときなのだと思います。
だからどうか、大いに悩み迷ってください。30代を超えたら、人生はより面白くなりますよ。


私は「まだ見たことがないものを見たい」という好奇心がとても強い人間なので、その高みがどんなものなのか、正直分かっていません。ですが、今の会社で畑を耕し、種をまきながら、人とは違う自分の山で高みを目指していきたいと思っています。

((編集:北浦 菜緒/執筆:井ノ上 美恵子)

