「なんとなく調子が悪いけど、どの病院に行けばいいか分からない」なんてことが、みなさんにもありませんか?そんなとき、どんな症状でも気軽に相談できて、患者の背景にも寄り添ってくれるお医者さんが身近にいたら、とても心強いですよね。
実は、そんなスタイルを得意とするお医者さんが実際にいるんです。今回のゲストである浅野 直(あさの ただし)さんも、その一人です。
医療にかける思いをお聞きするとともに、これまで目の前の困難にどう向き合ってきたのか、聞かせていただきました。
目次
浅野さんのお仕事
★浅野直(あさの ただし)さん
なんでも相談できる、町の診療所のお医者さん
また、より多くの人に寄り添うために、外来診療に加えて「訪問診療」も行っています。 訪問診療とは、通院が困難な方のために、自宅や療養している施設に出向いて医療を行うことです。「住み慣れた場所で治療を受けたい」「残された時間を家族のそばで過ごしたい」という方が安心して療養生活を続けられるよう、サポートをしています。
例えば、目の前の患者さんだけを見ていると、患者さんを支える家族が疲れているのに気づけないこともあるんです。すると結果として、患者さんが望む医療を届けられなくなることもあるんですね。目の前の患者さんももちろん大事ですが、患者さんを取り巻くご家族も大事なんです。 また、ご家族を支えることは、自分一人の力ではできません。医療だけでなく地域の介護・福祉分野の方とも協力し、みんなで全体の健康度を高めていくことが大切だと思っています。
どんなときでも医療を安定して届けたい
町の診療所は、たくさんの人の暮らしを日々支えています。そこが急になくなってしまうと、多くの人がとても困りますよね。だから、自分一人だけで行うのではなくチームで協力し、誰かが欠けてもいつもと同じ治療を提供できるよう、体制を安定化させることが必要だと思っています。 また、それは災害などの非常時でも同じです。 そう強く思うようになったきっかけは、2018年の西日本豪雨です。岡山県の多くの地域が被害を受けましたが、特に隣町の倉敷市真備町の被害は甚大でした。多くの家屋が水に浸かり、多くの方が溺れて亡くなったんです。その地域には僕の友人や患者さんもたくさん住んでいたので、早く助けに行きたい気持ちでいっぱいでした。でもすぐに助けに行くことはできなくて、とてももどかしかったのを覚えています。 だからこそ、災害などの非常事態でも必要な医療を早く届けられるような体制づくりに、改めて注力するようになりました。同じエリアの様々な職種の方と連携したり、地域が異なる人と日常的に一緒にお仕事をしたりすることで、困ったときに連携しやすくなるんです。同じ思いを持った仲間づくりを、これからもしていきたいと思っています。
浅野さんのこれまで
歯医者の父を見て育った幼少期
歯が痛くて困っている患者さんがいれば、診療時間外にも関わらず治療をしていましたね。 休日でも夜中でも一生懸命に医療を提供する父の姿を見て、「すごく素晴らしい仕事なんだろうな」と子どもながらに感じていました。そのため、「自分も将来は医療関係の仕事につきたい」と、自然と思うようになっていきました。
理不尽にも向き合ってみる大切さを知った
でも、あとになってから「あれって実は意味のあることだったんだ」と実感することも多かったんです。「視野の狭い自分にとっては理解ができず理不尽に感じていたことも、一生懸命やっていたら後々よい結果につながった」ということがたくさんありました。 社会人になると、自分の価値観と合わなかったり、希望と違ったりすることの方が正直多いんですよね。でも、まずは一旦挑戦してみるようにしています。それは、部活を通して「視野の狭い今の自分が断って道を閉ざしてしまうより、とりあえずやってみたほうがきっと経験になる」という感覚を学んだからですね。
たくさんのチャレンジを重ねた大学生活
大学でもスポーツばかりやっていましたね。高校のハンドボール部のOBチームに入って練習を続けたり、大学の山岳部に入って長期休みに1週間以上かけて山を登ったり。
あとは、東南アジアやインドをバックパック一つで旅していた時期もありました。僕はやっと旅ができる程度のカタコト英語しか話せなかったので、本当に苦労しました。そのくせ行き当たりばったりだったんですよ。飛行機のチケットだけ取って、どこに泊まるかは着いてから考え始めたぐらいで。 そんなだから、もちろん色んなトラブルに巻き込まれましたよ。パスポートを盗られるとか。でも色んな人の助けもあって何とか取り返せて、どうにか旅を続け、無事帰国することができました。今では「良い経験だったな」と思いますね。
町の人の生活を支える医療がしたい
ただ、それって本当に大変なんですよね。家族で大喧嘩になったこともありました。それでも、「あれも良い経験だったな」と今思うことができるのは、家族を支えてくれる医療者の方がいたからなんですよね。 だから「今度は自分が医療者として、患者さんやご家族を支えたい」と思ったんです。そして医師の中でも、患者さんが亡くなった後、残された方々が「あれでよかったんだ」「みんなで協力して頑張れた」と思える手助けがしたくて、患者さんやご家族に深く寄り添えるかかりつけ医を目指すようになりました。 今でも、こうした思いが頑張る動機になっています。
まちのお医者さんは急病の人を診る機会も多いので、救急を一定期間救急を学ぶ人が多いんです。僕も元々どこかのタイミングで救急の仕事をしたいと思っていたので、ちょうどいい機会だと思い挑戦しました。 いざ働き始めると、救急の面白さに惹かれていきました。毎日が運動会のように忙しく、本当に大変だったんですが、それと同じくらいやりがいがあって。始めは1〜2年で救急の仕事を終えるつもりだったのですが、気が付けば6年も経っていました。結局専門医の資格も、救急のお医者さんとして取りましたね。
やっぱり、地域の人を支える父の姿や、病人を介護する家族の立場になったという経験は、自分にとって大きなものだったんです。だから、救急医として飛び回っている間も、町で暮らす人たちの生活を支えるような医療をやりたいという思いがずっと根底にありました。自分が理想とする「町のお医者さん」になるためにはどんな経験を積んだらいいか考えながら、働く場所を選んでいましたね。 その後地元に戻って診療所を開業し、今に至ります。
若者へのメッセージ
それでも自分なりに一生懸命取り組んでみたり、周りに相談しながら向き合い続けたりする経験が、きっとその先の自分の力になります。たとえ小さなことでもそうした経験を積み重ねていくと、その先のもっと困難な壁にも向き合う勇気が湧いてくると思うんです。 どんなことでも全部糧になると思うので、ぜひいろいろなことにチャレンジしてみてくださいね。
(編集:有澤可菜)