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世界各地を旅するベーシスト・東川聖大さん

ドイツを始め、世界各地でプロのベーシストとして活動されてきた東川聖大さん。
この記事では、そんな東川さんの生き方に触れていきます。

 

【現在の東川さん】

Q1.東川さんはどんなお仕事をされてますか?

プロのベーシストとしてヨーロッパを中心に活動してきました。一番長く活動していたのは、ドイツのベルリンです。何のつてもなくドイツに行ったので、最初の頃はいろいろなバンドに自らを売り込むところからのスタートでした。

 

8つのバンドを掛け持つなど、始めはギリギリの生活で。そんな中、参加しているバンドがドイツでメジャーデビューすることに。VIPが集まるレセプションパーティーで演奏するなど、活動の幅が広がりました。現在はコロナの影響もあって、日本に一時帰国しています。

 

Q2.日本での活動はどんなことを?

地域の小中学生を対象に、アフタースクール(学校時間外)での関わりが持てるような活動を行ったりなど、今までやったことのないことに挑戦しています。

 

音楽に関係がないようであっても、活かせるかどうかはその人の力量次第だと思っていて。僕はそこから学べることがあれば、音楽に活かしていきたいなと思っています。

 

——子どもが好きだったんですか?

 

それが、もともとは子どもがすごく苦手で(笑)

僕は理論的に考える性格で、子どもは対照的と言うか。本能で生きているというか。

 

でも、そこから学べることもあるなと、今は思っていて。

考え方や発想って、若ければ若いほど縛りがないじゃないですか。大人になっていくと、いろんな条件によって縛られていて、発想が少しずつ固められていく。子どもたちを見たり、触れ合っていると、そういう固定概念みたいなものがなくて、学ぶところが多いなと感じます。

 

Q3.子どもたちと関わるうえで大切にしていることは?

男女問わず、年齢問わず、平等に接することです。子どもたちからすれば僕はだいぶ年上になりますが、先生に接する態度ではなく、横にいる友達と同じような話し方で接することができるスタンスでいたいなと。

 

でないと、子どもたちがオープンに話せないじゃないですか。その甲斐あってか、女の子たちには「近寄らないで」なんて言われるくらい(笑)

そういう風に言われているのも、ガードが崩れているなと自覚できます。

 

Q4.日本の音楽についてどう思いますか?

エンターテイメントで流れている音楽が、世間一般的な音楽として扱われると、音楽の価値がどんどん無くなってしまうのではないかと危惧しています。

 

音楽の深さと言うのは、歴史に残ってきたほど深いものです。海外では、音楽は文学の一部として扱われているけど、日本ではエンターテイメントのひとつでしかない。すごく残念な気持ちになるとともに、なぜそうなってしまったのかを日々考えています。

 

【脳内グラフ】

脳内グラフとは、東川さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。

 

音楽 95%

音楽って、みなさんにとっては気分転換みたいなものだと思うのですが、僕にとっては仕事。音楽について、知識を学んだり、その知識をどうやって自分の音楽に活かしていくかも考えていかなければならない。

 

例えば、子どもたちと関わっている中で気づいたことは、日本の音楽ってランキングがあるじゃないですか。

子どもたちにも、ランキングがつけられているのではないかと感じていて。ランキング上位の子が、ランキング上位の音楽を聞くと、みんながその音楽を聞き出す。そういった流れが、子どもたちにどのような影響を及ぼすのか。そういう風に、日々の生活の中でも音楽のことを常に考えています。

 

やりたいこと・やらないといけないこと 5%

残り5%は、音楽以外でやりたいこと・やらなければならないことを考えています。

 

ずっと音楽のことを考えていると神経も使うし、疲れてきます。僕は日常の中に仕事があるので、音楽のことを考えない時間を意識的に作っています。

 

【人生の履歴】

第1章 ベースとの出会い

僕が小学生の頃、X Japanが全盛期でした。その影響で兄がベースを始めて。でも、ベースって音が低いし、主旋律を演奏することが少なくて。兄はギターに移行したんです。その時、一人で弾くのもつまらないから、お前もやれよって、ベースを渡されて(笑)

 

それがベースを始めたきっかけです。それからは趣味程度に続けていました。

 

第2章 ニュージーランドの高校に入学

中学に進学しても、ベースを続けていました。部活ではバスケをしていて、副キャプテンも務めていて。ベースとバスケで一色の毎日だったので、勉強の時間がどんどん減っていって。

 

中学3年生の三者面談で、先生に「そんなんじゃ高校に行かせない」と言われて、僕も反抗期真っ盛りだったので「じゃあ行かない」って言ってしまって。

そんな時、たまたま母が知り合いから留学のパンフレットをもらってきて。おもしろいんじゃないかと思って、すぐにニュージーランドへの留学を決めました。それが、卒業2週間前の出来事です(笑)

 

それまで勉強なんて全くしていなくて、でも学年末テストで英語だけは勉強して。卒業してすぐにホームステイが始まったのですが、勉強したはずなのに一言もしゃべれなかったです。それからは英語の勉強の日々でした。

 

最初の1年半くらいは、友達もなかなかできなくて。バスケのクラブに見学に行ったりもしましたが、やっぱり海外の人たちとの体格差では、到底かなわなくて。何をしていこうか迷いました。

 

第3章 音楽人生スタート

そんな中でも、ベースだけはよく練習していました。

ある日、練習しているときにたまたま覗きに来た先生がいて。その先生はニュージーランドでも有名な音楽の先生でした。

 

「上手いね、レッスン受けたら?」と声をかけてくださって、特別レッスンを受けさせてくれるようになりました。「君、音楽でやっていった方がいいよ」と言ってくれて。その先生が、僕の音楽人生の出発地点のテープを切らせてくれたんです。

 

それからは、音楽漬けの日々でした。「英語さえしゃべれるようになれば、他の教科はやらなくていい。もっと音楽に集中してやっていい」と言ってもらえて。その先生のつながりで、大学の先生を紹介してくれて、授業中に抜けて、ベースのレッスンを受けに行ったりしていました。そのおかげで、音楽に深いところまで学べたと思います。

 

第4章 アメリカの有名音楽大学に入学

音楽漬けの日々のおかげで、音楽大学の短期コースに入学できました。そこで音楽理論などを学んだ後、アメリカの有名音楽大学に入学したのですが、奨学金が出せないと言われてしまって。

 

「入学前と話が違う、、」と悩んでいたら、その大学のベースの先生が「僕のやっている授業は無料で受けていい」と言ってくれたのです。他の知り合いの先生にも話をしてくれて、授業料を免除してもらって、勉強し続けることができました。

 

学校の勉強が楽しくて仕方がありませんでした。毎日ギリギリまで学校に残ってて。でも生活はいっぱいいっぱいで、ランチは毎日にんじん一本でしたね。

 

第5章 世界でプロとしての活動を始める

大学の先生に「もっといろんな世界を見たほうがいい」とアドバイスをされたこともあって、大学を休学して世界中をまわることにしました。日本で資金集めをした後、イギリス、フランスへ。

最終的には、音楽の場がたくさんあるドイツに拠点を置き、10年間そこで音楽活動をして過ごしました。国が変わるごとに履歴書が毎回リセットされるような感覚でした。毎回一からのスタート。

 

一番活動が長かったドイツでは、だんだんと横のつながりもできてきて、自分の名前も広がっていって。固定のバンドを持とうと思って、日独混合バンドに参加しました。最初の頃は「邪魔だからステージの横で弾いてくれ」なんて言われていましたが、少しずつ認められて、演奏するステージがどんどん大きくなりました。

 

最終的には、Eurovision Song Contest(ユーロビジョン・ソング・コンテスト)と言う、日本でいう紅白歌合戦みたいなものにも出ることができて、お客さんの反応が目に見えて変わっていくのが実感できました。

 

第6章 「夢は叶えられる」を伝える

小学生の頃の卒業式のアルバムに、みんなの夢を寄せ書きするページがあって。「ミュージシャンになって、海外に行って、テレビに出るくらいに有名になる」と僕は書いてたんです。振り返ると、自分の持っていた夢を全て叶えたなと。

 

そういう経験もあって、夢を叶えることの大切さというか、夢は実現可能なんだってことを子どもたちに伝えたいなと思います。子どもたちと話していると、夢を持っていない子が過半数です。どれだけ大きな夢だと感じても、その夢を持てた時点で、実現できることだと思ってほしいです。

 

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