学生と「働くは楽しい」を考える・引地憲幸さん

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公開日 2021.01.05

様々な人の将来について、その相談相手になるキャリアコンサルタント。
この記事では、岡山でキャリアコンサルタントをしている引地憲幸(ひきちのりゆき)さんの生き方に触れていきたいと思います!

引地さんのお仕事

高校生や大学生の就職相談にのる

――引地さんは、どんなお仕事をしていますか?

 

職業名で言えば「キャリアコンサルタント」をしています。2019年に独立しました。

 

主に大学生の就職活動、最近は高校生の就職活動についても相談にのっています。「どうして就職活動がうまくいかないのだろう?」と悩む人は思ったより多いです。「もう少しここを頑張ってみたら」や「ここを直したほうがいいよね」と、各人の課題を見つけ、一緒に解決していくようなイメージですね。

 

――就職活動に悩む学生さんは多いでしょうね。具体的には、どんな種類の悩みがあるのでしょうか。

 

まずは「何をしたいかわかりません」です。

 

実は、これが1番難しいですね。時間をかけてじっくり対話をします。やりたいことではなく、やりたくないことを話すこともあります。これまでの経験にヒントがあることもあります。今はオンラインで顔を見ながら話ができるので、何度も繰り返し話をして、糸口を探していきます。

 

――やりたいことを探すって一人では難しいですよね。

 

二つ目は「就職の面接時に、何を伝えればいいかわからない」です。

 

自分のPRポイントがわからないと同じことなんですが、自分のことって客観的に見れないものですよね。学校でのこと、部活動のこと、得意なことも苦手なことも、たくさん話を聞きます。体験談の中にきっとPRできることがあります。また、せっかくのPRが、自慢話になっては印象が良くないですよね。相手に合わせた伝え方を考えます。相手は誰なのか、何を求めているのかを考えていくと、何をどう伝えればいいかがみえてきます。

 

――言いたいことだけ話しても、逆効果なこともありますものね。

 

最後に「どんな風に伝えればいいか、わからない」です。

 

これに関しては、実にシンプルです。練習あるのみ。たくさん練習した人ほど、上手になります。伝えたいことの結論は最初に話すなど、だんだんコツを掴んでいきます。表情や姿勢など相手に与える影響は大きいことも、練習していくと気付いてくる人もいます。

 

仕事をおもしろさを伝えられるようになりたい

――なぜキャリアコンサルタントという仕事を選んだのですか?

 

大学卒業後すぐに、地元のドラッグストアに就職しました。3年目には店長になり、部下を預かるようになりました。部下と面談をするのですが、ほとんどの人は目標がありませんでした。ドラッグストアの仕事は、レジ打ち、棚出しと地味で作業が多い印象だと思います。私も学生時代、バイトをしている時は同じような感覚だったと思います。

 

何とかして、小売業のおもしろさを伝えようと考えるようになりました。お客様に商品を買ってもらうにはどうしたらいいのだろうと一緒に考えました。売れた時は、本当にうれしい。この達成感は小売業の魅力です。仕事がどんどん楽しくなります。

 

当たり前ですが、部下たちが仕事のおもしろさを見つけて頑張れば、店の売り上げは伸びます。目標は小さなもので構いません。昨日より今日が、少しできるようになった。この積み重ねです。

 

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Nick KによるPixabayからの画像

手前味噌ですが、私が行く店は売り上げが伸びました。あることをきっかけに7年目から人事・採用担当に部署を代わりました。採用担当として、これから入社してくる人に対して、嘘をつかず仕事のおもしろさを伝えようと思いました。売ることの難しさと売れた時の楽しさを伝えるようにしていました。

 

この頃から、仕事に対するモチベーションについて考えるようになりました。どんな仕事でも、モチベーションが上がるポイントがあるはずです。例えば、仲間や給与、やりがいなど。

 

特に私は仕事のおもしろさについて伝えられるようになりたいと思っています。就職する多くの人が、入社する前から仕事の楽しさ・おもしろさを感じられるといいなを理想に掲げ、キャリアコンサルタントになりました。

 

引地さんの脳内

脳内グラフとは、引地さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えていらっしゃるかを聞いてみたいと思います。

仕事 45%

やはり仕事のことから始めましょうか。独立して半年もしないうちに新型コロナウイルスの影響で、仕事は減りました。色々大変なことも多いのですが、そんなこと以上に考えいていることがあります。「どうやったら人は成長するのだろうか」をずっと考えています。

 

実際にお話を聞かせてもらっている、就職活動中の学生さんについて考えていることが15%くらいを占めていますね。もう一つは、自分自身がどういうスキルを磨けばいいか、どんな人になっていきたいのかについて考えることが、同じく15%くらいを占めています。

 

例えば、公務員になりたい人がいるとします。私は公務員になったことはありません。公務員試験を受けたこともありません。これでは、いいアドバイスができるかわかりません。公務員のことを知ることから始めます。こうやってさまざまな職業、多様な生き方を知り、追求していくことに興味があるのです。

 

――学生さんたちの成長と、それに伴い必要なスキルやアドバイスの幅を常に考えていらっしゃるわけですね。

 

もう一つ、仕事の話をしてもいいですか。私は辞めてしまいましたが、やはり企業の採用担当って重要だと思っています。採用の仕事は、新しい人材の企業への入り口です。今後は、人材採用担当者を育てることを仕事として作ってみたいと考えていて、これも15%くらいを占めていますね。

 

――ご自身が歩んで来られた道だからこそ、その重要性がわかるのでしょうね。仕事以外のこともありますか?

 

仕事以外は、やはり子どものことは大きいですね。20%は占めていますね。うちには6歳と10歳の男の子がいます。彼らが自分の楽しみを見つけ、こうしたいや、あぁなりたいと意見を持ってくれたらいいなぁと思っています。家では、学校の話や心配に思っていることなど聞かせてもらいます。

 

家庭 60%

――家でもコンサルタント業しているみたいですね。

 

そうかもしれませんね。子どもが息がつまらないように、困ったときはいつでも手を差し伸べられるようにと、私は準備しています。子どもと一緒に私自身も成長したいと思っているので、一緒にいることが楽しいです。うちの子どもたちには、どんな職業についてもいいし、どんな意見を持ってもいい。自分の気持ちを言葉にできる人になってほしいと思います。

 

――どんな意見であっても、聞いてくれるお父さん、お子さんはうれしいでしょうね。他にはいかがですか?

 

そして、次は妻です。同じく20%くらいは占めてます。私は毎日、妻の話を聞く時間を作っています。これは私のミッションですね。彼女の世界で起こっていることを毎日話してくれます。機嫌よく「おやすみ」と言ってもらえると、私はとても幸せな気持ちになります。

 

以前は面倒だなぁと感じたこともありましたが、キャリアコンサルタントの仕事をするようになってから、なぜか意識が変わりました。聞く姿勢が変わりました。本当の問題は何なのかを感じながら、聞くようになったように思います。

 

――奥様のお話もしっかり聞いていらっしゃるのですね。ご自身の話を聞いてもらうこともあるのですか?

 

それが、ほとんどありません。友人を作るのが実は、大の苦手なのです(笑)。少し親しくなっても「ご飯食べにいきましょう」と誘うことができません。恥ずかしくて。もちろん、友人がゼロというわけではないですし、仲間に話を聞いてもらうこともあります。愚痴を溢す相手はいないですね。自分と対話をしているのかもしれません。自己理解したり、自己整理したりする時間を取る。タバコの時間はそのためにあるのかもしれませんね。

 

余白 15%

どれも大切なんですが、最後はなんでもないこと。15%くらいあるでしょう。人生に大した影響のないものかもしれません。タバコ吸ったり、昼寝したり、映画見たり。子どもが寝た後、夜の11時〜12時30分が、私の時間。ここが大切なんです。このほかには、日中にふっと空いた15分くらいの時間。公園探したり、カフェ探したりします。ゆったりできる時間を過ごす場所を探します。大切な余白なのです。

 

引地さんのこれまで

次に「人生グラフ」を作ってみたいと思います。人生グラフとは、生まれてから今日まで、さまざまな出来事によるご自身の気持ち・運気の上がり下がりを可視化するグラフです。どんな指標でもよいので、これまでどんな人生を歩んできたのか聞かせてください。

第1章 幼稚園は、暗黒時代

始まりは、4歳くらいでしょうか。

スタートから暗黒時代でした。

友人ができませんでした。

 

私の家族は、団地に住んでいました。団地には多くの世帯が住んでいますから、私より大きい学年の子もいれば、小さい学年の子もいます。

 

私には、一つ小さい弟がいます。この弟が、実に人気者なのです。よく覚えているエピソードがあります。いつものように私は、団地の子たちと遊ぼうと、外に出ました。弟に少し遅れて出た私は、なぜかショックを受けます。弟を中心に楽しそうな声を上げる輪。弟は人気者。それ自体は何も悪いことではないはずですが、兄の私は嫉妬しました。

 

このことが原因かどうかはわかりませんが、私は友人を作ることに苦手意識ができたような気がします。自分から声をかけられない。私は人気者になれないという先入観を持ってしまったのかもしれませんね。

 

幼稚園でのエピソードも覚えています。唯一、仲の良かった友人は、一つ隣のクラスでした。私は、同じクラスの子となかなか仲良くなれませんから、隣のクラスまで会いに行きます。これも今考えれば当たり前ですが、友人はそのクラスの子たちと仲良くしています。その光景を見て私は、すごくすごく悲しい思いをします。暗黒の時代だったのです。

 

第2章 ひょうきんは、武器になる

小学校になる頃には、少しずつ暗黒時代から光が見えてきます。

 

もともとの性格は暗いわけではありませんでしたから、ひょうきんで、お調子者の私が開花します。友人ができるようになっていきました。頭では考えていないと思いますが、お調子者でいれば仲良くしてくれる、友人ができると、どこかで感じていたような気もします。

 

私の通った小学校は、一学年が2クラスの小さな学校でした。同級生は50人ほど。先生にも恵まれていたと思います。注目を浴びることもありました。みんなの中に埋もれてしまうような感じは全くありませんでした。

 

少し話はそれますが、小学生の頃から私は、いつも誰かを好きでした。

 

第3章 再び、暗黒時代が

中学生になると、また暗黒時代がやってきます。

 

人数の少なかった小学校と違い、中学生になるとドンっと人数が増えます。自分の存在が埋もれてしまう感じがすごかったです。友人に誘われてバスケットボール部に入部しました。当時の流行もあったでしょうが、かっこいい部活NO.1でした。

 

しかし、私はバスケットボール部内での活躍はありませんでした。いつもベンチを暖めるかっこ悪い奴でした。楽しくないわけではなかったけど、自分に自信が持てない日々は続き、自分のことを好きになれなかったことを覚えています。

 

第4章 決断が人生を変える

高校進学をします。中学の友人が多く進学する高校は受験しませんでした。

 

バスケ部に誘ってくれたように、友人は誘ってくれました。私の気持ちの中では、仲良くしてくれる友人を捨てる覚悟で、思い切った決断をしました。誘ってくれることは嬉しいけど、自分で選んだ道を歩むことにしました。新しい自分に、一歩踏み出せたような感覚がありましたね。

 

高校生になってからは、陸上部に入りました。走るのは速かったこともあり、陸上部で挑戦してみることにしました。自分で決めることで自信がついたのか、部活でも友人にも出会えました。

 

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PexelsによるPixabayからの画像

 

第5章 死んでしまいそうな失恋

無事に岡山県内の大学へ進学し、陸上も続けることになりました。楽しい大学生活と言いたいところだったのですが、入学してすぐに、真っ逆さまに落ちていきます。

 

意気揚々と陸上部に入った私は、またしても友人ができないスランプに陥ります。この大学が、陸上の強豪チームだったこともあり、80人以上の部員がいます。県内外からすごい奴が集まってきます。少し取り残されたような気持ちになっていました。

 

そんな矢先に事件はおきました。

高校2年生から付き合っていた彼女に別れを告げられます。

細かい話は省きますが、死ぬかと思いました。

私の身体は、「陸上」と「彼女」で出来ていました。

彼女を失った私は、まともに歩けないような状態でした。

 

ここでスイッチが入ります。残った半分の「陸上」へかけるしかありません。

 

第6章 駆け抜けた大学時代

どんどんと陸上へ没頭していきます。当時流行っていたB’zの曲を大音量で聞き、走ること、チームを強くすることだけを考え、ボルテージは最高潮でした。徐々に仲間も増えてきて、リーダーシップを取るようになり、大学3年生にはキャプテンになりました。

 

卒業を目の前にして、私も就職活動をしました。思い付く企業3社くらいを受けて、面接時にビビッときた企業がありました。採用担当者は「当社は、若い人が切り開いていく企業」だと話してくれました。ここで自分を試してみようと決めました。

 

第7章 あっという間に店長に

岡山県に本社を置くドラッグストアチェーン店に就職しました。2年間は店舗で一生懸命に働きました。3年目からは店長を任せてもらいました。比較的、早い昇進だったと思います。

 

私は、仕事の楽しさに早く気付き、売り上げをどんどん延ばしていきました。そのうち、売り上げの落ちた店へ転勤しては、V字回復するという役目を担うようになりました。

 

売り上げを上げるコツを知っていました。部下が成長すれば、売り上げは上がります。同じ作業でも、1時間かかっていたことが、45分できるようになる。たったこれだけのように思うかもしれませんが、積み重ねていくと大きな成果になります。

 

第8章 部署が変わり、翻弄する日々

店長として数店を転勤し、売り上げ請負人を頑張っていた頃、昇進の話が出ました。次は店長ではなく全く畑の違うバイヤーでした。

 

バイヤーとは、メーカーや問屋さんと商談して商品の仕入れ値や数量を決めるのが仕事です。会社としては、とても重要な仕事ではありますが、私にはとてもつらい仕事でした。社内のプレッシャーも大きかったですし、デスクワークも苦手でした。

 

思ったようにいかない日々を過ごします。どうして良いかわからなくなった時、社内で最も信用しる上司に「私を店舗に戻してほしい」とお願いをしにいきました。バイヤーという仕事に辛そうな私を見ていた上司は、店舗には戻ることはできませんでしたが、新たな人事部・採用担当へ配属を決めてくれました。この時をきっかけに採用担当としての仕事がスタートしました。

 

新しい部署での仕事をしていた入社5年目、大きな転機がやってきます。社長が亡くなりました。私にとっては、とても好きな社長でした。この人についていこうと思える人でした。この反動も大きいものでした。新任された社長には思い入れを持つことができず、この頃から転職を考え始めました。

 

第9章 転職の結果

キャリアコンサルタントの資格をとっていたので、自分を試してみたいという気持ちもありました。

 

新しい職場では、新卒者への合同説明会の開いたり、採用のコンサルティングが業務となりました。これまでの経験からも、もっと良いサービスを提供したいと社内で対立することもありました。企業への提案を売ってくる力は社内でも認められていました。反対する人を黙らせるために、誰よりも売って自分の意見を通してやろうと必死でした。どんどん目標を高くし、昼も夜も働きました。

 

ある日突然、私は喋れなくなりました。私は私ではなくなりました。

 

妻からは「なんで会社に行かないの」と言われました。行きたくても行けませんでした。ここから半年の間、私は人間ではなかったように思います。母親に電話かけては、ずっとずっと泣いていました。

 

「うつ病」の診断を受けました。病院の先生からは「あなたを大切に思ってくれる人を裏切っちゃいけないよ。家族や友人、自分を大切にする力をつけることが大切だ」と言われました。何も顧みない生活をしてきた自分に後悔しました。かっこいいを履き違えていたのです。自分を大切にできなかった自分を恥じることになりました。

 

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Holger LangmaierによるPixabayからの画像

 

第10章 独立とだっぴ

企業で働いた経験から、私は組織の中で生きていくより、自分の理想をコツコツと実現していく方が向いているように感じ、独立することを決意します。独立することで、自分や家族を大切にする時間も持てるようになりました。

 

薬を飲みながら自分をなんとかコントロールしていた頃、「だっぴ」に参加しました。そこに参加する学生さんや大人から、自分の知らない世界を見せてもらいました。また、自分の呼んでもらいたい名前で呼んでもらえることや、自分の話を聞いてもらえることで私の心はとても大切にしてもらったような気がします。

 

だっぴに出合ったことで、心をプラスマイナスゼロまで引き上げてもらうことができました。プラスマイナスゼロに戻ったのではなく、新しいゼロからスタートできる気持ちになれました。

 

第11章 心の強さ

現在が1番幸せです。生きていくことへの難しさも感じています。

 

新型コロナウイルスで、学校の講義や講演の仕事はキャンセルとなりました。まだ独立して間もない私にはきついです。しかしながら、手段はきっとあります。乗り越えられると信じていますし、現在の私には、心の体力がしっかりあります。大切な家族もいます。相談できる仲間も増えました。人生に向かっていける自信があります。

 

(取材・執筆:松原 龍之、編集:森分 志学)

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