様々な人の将来に関する相談相手、キャリアコンサルタント。
この記事では、引地憲幸(ひきちのりゆき)さんの生き方に触れていきたいと思います!
目次
【現在の引地憲幸さん】
Q1.引地さんは、どんなお仕事をしていますか?

――就職活動に悩む学生さんは多いでしょうね。キャリアコンサルタントに相談できると気持ちが楽になりそうですね。具体的には、どんな種類の悩みがあるのでしょうか。
Q2.「就職活動で悩むことベスト3」を聞いてみた

――「やりたいことが見つからない」とよく聞きますよね。やりたいことを探すって一人では難しいですよね。

――自分の長所や短所って言葉にするの難しいですよね。言いたいことだけ話しても、逆効果なこともありますものね。

――どんなに考えていても、うまく伝えられなきゃ意味がないですものね。そこまでしてくれると自信がつきます。
Q3.キャリアコンサルタントはいつから?

——企業の採用担当だったのですね。採用する側の立場だったのですね。採用する側と採用される側で、真反対の立場ですよね。
Q4.なぜ真反対のキャリアコンサルタントを選んだのですか?

何とかして、小売業のおもしろさを伝えようと考えるようになりました。お客様に商品を買ってもらうにはどうしたらいいのだろうと一緒に考えました。売れた時は、本当にうれしい。この達成感は、小売業の魅力です。仕事がどんどん楽しくなります。
当たり前ですが、部下たちが仕事のおもしろさを見つけて頑張れば、店の売り上げは伸びます。目標は小さなもので構いません。昨日より今日が、少しできるようになった。この積み重ねです。社内でも教育制度はありました。しかし、売り上げを上げるための教育でした。人間的な成長についての教育は、上司や店長に委ねられています。
手前味噌ですが、私が行く店は売り上げが伸びました。あることをきっかけに7年目から人事・採用担当に部署を代わりました。採用担当として、これから入社してくる人に対して、嘘をつかず仕事のおもしろさを伝えようと思いました。売ることの難しさと売れた時の楽しさを伝えるようにしていました。
この頃から、仕事に対するモチベーションについて考えるようになりました。どんな仕事でも、モチベーションが上がるポイントがあるはずです。例えば、仲間や給与、やりがいなど。特に私は仕事のおもしろさについて伝えられるようになりたいと思っています。企業に入社してからではなく、就職する多くの人が、入社する前から仕事の楽しさ・おもしろさを感じられるといいなを理想に掲げ、キャリアコンサルタントになりました。
——入社する前からモチベーションが上がっていると、新入社員も企業にとってもいいですね。
Q5.ちなみに、仕事以外の時間は?

つい最近、タバコを吸い始めました。タバコを吸うと聞くと、すぐに拒絶反応する人もいるかもしれません。私にとっては、タバコを吸う時間は、重要なんです。屋外で吸いますので、夏は暑いです。もちろん、冬は寒いです。風を感じ、音を聞いて、匂い嗅ぎ、深呼吸をします。タバコを吸っている時間は、スマートフォンは持ちません。情報を遮断して、この時間を楽しむようにしています。
【脳内グラフ】
脳内グラフとは、引地さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えていらっしゃるかを聞いてみたいと思います。

仕事 45%

実際にお話を聞かせてもらっている、就職活動中の学生さんについて考えていることが15%くらいを占めていますね。もう一つは、自分自身がどういうスキルを磨けばいいか、どんな人になっていきたいのかについて考えることが、同じく15%くらいを占めています。
例えば、公務員になりたい人がいるとします。私は公務員になったことはありません。公務員試験を受けたこともありません。これでは、いいアドバイスができるかわかりません。公務員のことを知ることから始めます。こうやってさまざまな職業、多様な生き方を知り、追求していくことに興味があるのです。
――学生さんたちの成長と、それに伴い必要なスキルやアドバイスの幅を常に考えていらっしゃるわけですね。

――ご自身が歩んで来られた道だからこそ、その重要性がわかるのでしょうね。仕事以外のこともありますか?

家庭 60%
――家でもコンサルタント業しているみたいですね。

先日、子どもが「宿題したくない」と主張することがありました。私は、先生に「宿題したくありません」と言いなさいと伝えました。私はそれでいいと思っていたのですが、妻には非常識なことを言わないでと止められました。妻は、宿題しないさいと反対意見でした。どうしたものですかね。
――どんな意見であっても、聞いてくれるお父さん、お子さんはうれしいでしょうね。他にはいかがですか?

彼女の話は、主張したいこと、私に訴えたいこと、不安なこと、ありとあらゆる方向から唐突にやってきます。以前は面倒だなぁと感じたこともありました。キャリアコンサルタントの仕事をするようになってから、なぜか意識が変わりました。聞く姿勢が変わりました。本当の問題は何なのかを感じながら、聞くようになったように思います。
――奥様のお話もしっかり聞いていらっしゃるのですね。ご自身の話を聞いてもらうこともあるのですか?

――意外でした。他者の話を聞けて、伴奏することができるのに、友人を作るのが苦手だなんて。
余白 15%

【人生グラフ】
次に「人生グラフ」を作ってみたいと思います。人生グラフとは、生まれてから今日まで、さまざまな出来事によるご自身の気持ち・運気の上がり下がりを可視化するグラフです。どんな指標でもよいので、これまでどんな人生を歩んできたのか聞かせてください。

第1章 幼稚園は、暗黒時代
始まりは、4歳くらいでしょうか。スタートから暗黒時代でした。友人ができませんでした。私の家族は、団地に住んでいました。団地には多くの世帯が住んでいますから、私より大きい学年の子もいれば、小さい学年の子もいます。
私には、一つ小さい弟がいます。この弟が、実に人気者なのです。よく覚えているエピソードがあります。いつものように私は、団地の子たちと遊ぼうと、外に出ました。弟に少し遅れて出た私は、なぜかショックを受けます。弟を中心に楽しそうな声を上げる輪。弟は人気者。それ自体は何も悪いことではないはずですが、兄の私は嫉妬しました。このことが原因かどうかはわかりませんが、私は友人を作ることに苦手意識ができたような気がします。自分から声をかけられない。私は人気者になれないという先入観を持ってしまったのかもしれませんね。
幼稚園でのエピソードも覚えています。唯一、仲の良かった友人は、一つ隣のクラスでした。私は、同じクラスの子となかなか仲良くなれませんから、隣のクラスまで会いに行きます。これも今考えれば当たり前ですが、友人はそのクラスの子たちと仲良くしています。その光景を見て私は、すごくすごく悲しい思いをします。暗黒の時代だったのです。
第2章 ひょうきんは、武器になる
小学校になる頃には、少しずつ暗黒時代から光が見えてきます。もともとの性格は暗いわけではありませんでしたから、ひょうきんで、お調子者の私が開花します。友人ができるようになっていきました。頭では考えていないと思いますが、お調子者でいれば仲良くしてくれる、友人ができると、どこかで感じていたような気もします。
私の通った小学校は、一学年が2クラスの小さな学校でした。同級生は50人ほど。先生にも恵まれていたと思います。注目を浴びることもありました。みんなの中に埋もれてしまうような感じは全くありませんでした。少し話はそれますが、小学生の頃から私は、いつも誰かを好きでした。
第3章 再び、暗黒時代が
中学生になると、またやってきます。暗黒時代。人数の少なかった小学校と違い、中学生になるとドンっと人数が増えます。自分の存在が、埋もれてしまう感じがすごかったです。友人に誘われてバスケットボール部に入部しました。当時の流行もあったでしょうが、かっこいい部活NO.1でした。しかし、私はバスケットボール部内での活躍はありませんでした。いつもベンチを暖めるかっこ悪い奴でした。楽しくないわけではなかったけど、自分に自信が持てない日々は続き、自分のことを好きになれなかったことを覚えています。
第4章 決断が人生を変える
高校進学をします。中学の友人が多く進学する高校は受験しませんでした。バスケ部に誘ってくれたように、友人は誘ってくれました。私の気持ちの中では、仲良くしてくれる友人を捨てる覚悟で、思い切った決断をしました。誘ってくれることは嬉しいけど、自分で選んだ道を歩むことにしました。新しい自分に、一歩踏み出せたような感覚がありましたね。
高校生になってからは、陸上部に入りました。走るのは速かったこともあり、陸上部で挑戦してみることにしました。自分で決めることで自信がついたのか、部活でも友人にも出会えました。
第5章 死んでしまいそうな失恋
無事に岡山県内の大学へ進学し、陸上も続けることになりました。楽しい大学生活と言いたいところだったのですが、入学してすぐに、真っ逆さまに落ちていきます。意気揚々と陸上部に入った私は、またしても友人ができないスランプに陥ります。この大学が、陸上の強豪チームだったこともあり、80人以上の部員がいます。県内外からすごい奴が集まってきます。少し取り残されたような気持ちになっていました。
そんな矢先に事件はおきました。高校2年生から付き合っていた彼女に別れを告げられます。細かい話は省きますが、死ぬかと思いました。私の身体は、「陸上」と「彼女」で出来ていました。彼女を失った私は、まともに歩けないような状態でした。ここでスイッチが入ります。残った半分の「陸上」へかけるしかありません。
第6章 駆け抜けた大学時代
どんどんと陸上へ没頭していきます。当時流行っていたB’zの曲を大音量で聞き、走ること、チームを強くすることだけを考え、ボルテージは最高潮でした。徐々に仲間も増えてきて、リーダーシップを取るようになります。大学3年生にはキャプテンをするようになりました。
卒業を目の前にして、私も就職活動をしました。時代は、就職氷河期と呼ばれた時代の最期の最期あたりだったと思います。しかしながら、就職活動で困った記憶はありません。思い付く企業3社くらいを受けました。面接時にビビッときました。採用担当者は、「当社は、若い人が切り開いていく企業」だと話してくれました。ここで自分を試してみようと決めました。
第7章 あっという間に店長に
岡山県に本社を置くドラッグストアチェーン店に就職しました。2年間は店舗で一生懸命に働きました。3年目からは店長を任せてもらいました。比較的、早い昇進だったと思います。私は、仕事の楽しさに早く気付き、売り上げをどんどん延ばしていきました。そのうち、売り上げの落ちた店へ転勤しては、V字回復するという役目を担うようになりました。
売り上げを上げるコツを知っていました。部下が成長すれば、売り上げは上がります。同じ作業でも、1時間かかっていたことが、45分できるようになる。たったこれだけのように思うかもしれませんが、積み重ねていくと大きな成果になります。
第8章 売り上げ請負人の島流し
私は「島流し」と呼んでいますが、小豆島店に転勤になったことがあります。これには裏話があって、この辞令が出る前、私は上司に結婚の報告をしていました。なのに、なぜかこんな大事なタイミングで、小豆島へ転勤の辞令が出されました。岡山に結婚する「彼女を残して小豆島へ転勤しろ」とはひどいではないかと直談判をしました。会社は、同じ会社で働いていた彼女も小豆島へ転勤とし、小豆島で結婚したらどうかと返答しました。今では笑い話ですが、夫婦で転勤になり、小豆島店を夫婦で切り盛りしたのは、前代未聞だったと思います。
第9章 部署が変わり、翻弄する日々
店長として数店を転勤し、売り上げ請負人を頑張っていた頃、昇進の話が出ました。次は店長ではなく全く畑の違うバイヤーでした。バイヤーとは、メーカーや問屋さんと商談して商品の仕入れ値や数量を決めるのが仕事です。会社としては、とても重要な仕事ではありますが、私にはとてもつらい仕事でした。社内のプレッシャーも大きかったですし、デスクワークも苦手でした。
思ったようにいかない日々を過ごします。どうして良いかわからなくなった時、社内で最も信用しる上司に「私を店舗に戻してほしい」とお願いをしにいきました。バイヤーという仕事に辛そうな私を見ていた上司は、店舗には戻ることはできませんでしたが、新たな人事部・採用担当へ配属を決めてくれました。この時をきっかけに採用担当としての仕事がスタートしました。
新しい部署での仕事をしていた入社5年目、大きな転機がやってきます。社長が亡くなりました。私にとっては、とても好きな社長でした。この人についていこうと思える人でした。この反動も大きいものでした。新任された社長には思い入れを持つことができず、この頃から転職を考え始めました。
第10章 転職の結果
在籍中にキャリアコンサルタントの資格をとっていましたので、自分を試してみたいという気持ちもありました。
新しい職場では、新卒者への合同説明会の開いたり、採用のコンサルティングが業務となりました。これまでの経験からも、もっと良いサービスを提供したいと社内で対立することもありました。企業への提案を売ってくる力は社内でも認められていました。反対する人を黙らせるために、誰よりも売って自分の意見を通してやろうと必死でした。どんどん目標を高くし、昼も夜も働きました。
ある日突然、私は喋れなくなりました。私は私ではなくなりました。
妻からは「なんで会社に行かないの」と言われました。行きたくても行けませんでした。ここから半年の間、私は人間ではなかったように思います。母親に電話かけては、ずっとずっと泣いていました。
「うつ病」の診断を受けました。病院の先生からは「あなたを大切に思ってくれる人を裏切っちゃいけないよ。家族や友人、自分を大切にする力をつけることが大切だ」と言われました。何も顧みない生活をしてきた自分に後悔しました。かっこいいを履き違えていたのです。自分を大切にできなかった自分を恥じることになりました。
第11章 独立とだっぴ
企業で働いた経験から、私は組織の中で生きていくより、自分の理想をコツコツと実現していく方が向いているように感じ、独立することを決意します。独立することで、自分や家族を大切にする時間も持てるようになりました。
薬を飲みながら自分をなんとかコントロールしていた頃、「だっぴ」に参加しました。そこに参加する学生さんや大人から、自分の知らない世界を見せてもらいました。また、自分の呼んでもらいたい名前で呼んでもらえることや、自分の話を聞いてもらえることで私の心はとても大切にしてもらったような気がします。だっぴに出合ったことで、心をプラスマイナスゼロまで引き上げてもらうことができました。プラスマイナスゼロに戻ったのではなく、新しいゼロからスタートできる気持ちになれました。
第12章 心の強さ
現在が1番幸せです。生きていくことへの難しさも感じています。新型コロナウイルスで、学校の講義や講演の仕事はキャンセルとなりました。まだ独立して間もない私にはきついです。しかしながら、手段はきっとあります。乗り越えられると信じていますし、現在の私には、心の体力がしっかりあります。大切な家族もいます。相談できる仲間も増えました。人生に向かっていける自信があります。