幼少期から「協調性がない」と言われてきた下鳥誠さん。中学生になると文章の理解が難しくなり、授業についていけず苦労してきたといいます。
しかし、その後さまざまな分野の仕事を経験し、試行錯誤を重ねるうちに、自分の特性を客観的に捉えられるようになりました。発達障害と向き合いながら歩んできた下鳥さんのお話から、「自分らしく生きること」のヒントを探ります。
目次
下鳥さんのこれまで
★下鳥 誠(しもとり まこと)さん
★松田さん

協調性がない・話を聞けていない・文章がわからない!?


撮影中の下鳥さん


自宅オフィスでお子さんたちもIT作業
また、その2つの立場をベースにしながら、ADHD当事者としての経験を活かして、同じような立場の人たちに向けて情報を発信する活動も行っています。


たとえば、先生が「みなさん、◯◯持ってきましたかー?」と授業で声をかけたりしますよね。みんなが「はーい」と手を挙げるのですが、僕には何のことかさっぱり分かりません。話を聞けていないからそうなっていたのですが、「え?僕だけ仲間外れにされてる?」と思いこんでました(笑)。


高校に進学してからも全然勉強はできず、テストをギリギリでくぐり抜けて、なんとか留年を免れるような状況でした。








遅刻はADHDの特性としてよく挙げられますが、「面接に強い」というのもADHDあるあるらしいです。だから、面接までこぎつけてしまえば、受かる確率がかなり上がる。これは、その後の経験からも実感しています。


いつもは“不具合”のような状態の反面、そういう場面ではパフォーマンスが発揮されやすくなるのかもしれません。


保育園時代の下鳥さん(画像左)

高校時代の下鳥さん(画像中央)
「淡々とこなす毎日」から、デザインの道へ方向転換


自分が得意なことは人一倍できる反面、「できること」自体がみんなに比べて少なかったのかもしれません。だからか、できることをこなすばかりで仕事の幅が広がらず、繰り返しの日々になってしまっていたのです。
そこで、ほかにできる仕事を考えはじめました。このときまで忘れてしまっていたのですが、僕は幼いころから漫画ばかり書いていた少年でした。幼心に「絵を仕事にできればいいな」と心のどこかで思っていたーーそのことを思い出して、「絵」に関わる仕事を調べることにしました。そこで「グラフィックデザイナー」という職業と出会ったのです。
それで一念発起して家電量販店を辞め、グラフィックデザイナーの専門学校に行くことにしたんです。


卒業後は、東京の青山にあるデザイン事務所に就職してJリーグチームのポスターを作ったり、大手百貨店のポスターやカタログを作ったり、素敵なお仕事に関われてとても良い経験になりました。

下鳥さんが関わったJリーグチームのポスター

下鳥さんが関わった大手百貨店のポスターやカタログ




自分に合う仕事を見つけるには、何に興味を持っているかが重要で、僕は、それが絵やグラフィックなのだとわかりました。
楽しかったはずのデザイン業界から、とある専門商社に偶然入社


実はデザイン事務所に入社してすぐ、ロッカーの上に寝袋があるのを発見していまして(笑)。「あ、長時間働く環境なのかも」という予感がしていました。実際、働きづめで帰れない日もありました。


そんな中、仕事で関わったクライアント先から、アルバイトをする機会をもらって、そのまま転職しました。世界中の国々と取引するような、ある製品を扱う専門商社なのですが、すごく稼げるらしいと(笑)。安定した生活と確実な収入に惹かれて入社を決めました。




それでも「頑張ればできるはずだ」と無理をしてしまい、ひどく苦労しました。今となって言えるのは、


僕自身デザイン事務所では好きなことに向かっていたはずなのに、収入と安定した生活を求めて舵を切った結果、人生そのものが辛くなってしまっていました。「好きなことに邁進する」と「苦手なことを無理して頑張る」、その両方を体験して腑に落ちました。
再びデザイン業界へ。転職と移住が、運命的なタイミングでやってきた

和気町へ移住後の下鳥さんご家族(画像左が下鳥さん)


ただ当時35歳で、
でも、デザイナーを辞めて10年も経つと戻るのも簡単ではありません。当時はスマホの普及が進み、Webデザインが大きく変わりつつある時期だったのでなおさらでした。そこで、商社で働きながら、夜間はWebデザイン学校に通うことにしました。卒業後、岡山県に移住すると同時にWebデザインの仕事に就いたのです。



東京に住んでいたころの下鳥さんご家族(画像右が下鳥さん)

東京に住んでいたころの下鳥さんとご友人ご家族やご友人(画像一番左が下鳥さん)
しかし、Webデザイン学習後の転職活動で「そうだ!田舎に移住したかったんだ!」と移住への気持ちが蘇り、岡山のweb制作会社の方と出会ったことをきっかけに、転職と同時に岡山へ移住することになったんです。

岡山移住後の下鳥さんご家族(画像左が下鳥さん)






Clubhouseは2025年9月16日現在1678日目の連続配信だそうですが、
同じ悩みを持つ人へーー僕たちは「フォーミュラカー」

Clubhouseのリアル会。普段はSNSのみの集いですがたまにリアル会を開催(左から2番目のライトの前に座っている方が下鳥さん)

元マッキンゼーコンサルタントでゼロ秒思考(累計140万部)著者の赤羽雄二さんと対談(画像右が下鳥さん)


フォーミュラカーのエンジンは、これまで進化を続け、世界の技術発展にも貢献してきたはずです。でも、その性能に合った道を走らなければ、本来の力を発揮することはできません。人も、自分の特性に合わない環境で頑張り続けても、力を活かせないことがあります。
ADHDが良いとか悪いとかではなく、シンプルに、自分の特性に合う“サーキット”を走るようにすれば、もっとスムーズに活躍できるはずです。だから、決して「普通」を羨む必要はなく、「そのままで大丈夫だよ」と僕は伝えたいです。


関連書籍を読むと、歴史上の偉人や成功している実業家の中にもADHDの特性を持つ人がいると紹介されていて、「こんなすごい人たちと同じなのかもしれないのか」と嬉しくなりました。もちろんそんな偉人たちと自分の間にはものすごいレベル差があるはずですが、それでも「同じ特性を持つ仲間かもしれない」という思いが、自分に自信を持たせてくれました。


(※注1:余談ですが、このイベントは下鳥さんがClubhouseで初めて主催したイベントだそうです。思わぬ大反響で、400日以上続いていくロングラン配信となった上、ADHDの当事者の方はもちろん、『僕の妻は発達障害』の作者・ナナトエリさん夫妻や、社内での人材活用への課題意識を持つ食品メーカー・山本山の山本社長、元マッキンゼーコンサルタントでゼロ秒思考の著者・赤羽雄二さんにもご参加いただいたそうです)
そこではみんながADHDにまつわる大失敗エピソードを笑い合って盛り上がったのですが、みんな診断を受けていることに気がつきまして、そういえば自分はずっと自称だったなと(笑)。そこで、「ちゃんと確かめよう」と医療機関を受診することにしました。
診断結果は見事にADHDで、さらにIQテストを受けると、能力の高い部分と低い部分の差が35もありました。一般的に、IQの項目の指標が25以上離れると会話が成り立たないと言われています。「なるほど、自分の中で思考と行動がうまく噛み合わないのは、こういうことだったのか」と納得しました。


下鳥さんの目指す未来


僕自身はどうかというと、自分がADHDであることを誇りにすら感じています。「これは特性であり、むしろ褒め言葉だ」と伝えたいのです。ADHDは、能力を活かせる環境さえあれば、突飛なアイデアを出したり特異な能力を開花させたりして活躍できる可能性があるはずです。
ですから、まずは発達障害や愛着障害の影響で学校や会社に馴染めず、自ら命を絶ってしまう方をゼロにしたい。その上で、発達障害や愛着障害の方、ADHDの方を社会で活躍できる自信をつけていただき、ご自身もご家族も幸せになってもらいたい。それにより隠れた有能人材が活躍する社会にし、日本の経済発展に貢献、できるだけ多くの人に幸せになってもらいたい。そんな未来を目指しています。
また、小学校のPTA会長をしているのですが、多動傾向のお子さんを持つお母さんが困っている話を耳にすることがあります。悩む方々が気軽に相談できたり、支え合えたりするような場を作ることも必要なのかもしれません。
ほかにも、もう5年続けていますが、和気町の和気閑谷高校で非常勤講師としてWebデザインを教えていて、これも続けたいですね。

和気閑谷高校での授業風景(前方でプレゼンテーションをしている方が下鳥さん)
さらに、小規模ですが、去年から本格的に自然農法でお米作りも始めたので、農業にもきちんと取り組んでいきたいと考えています。

お米づくりに取り組む下鳥さん
それから、妻が自然の中で子どもたちと遊ぶ活動をしていて、いつか「森の学校」のような場を作りたいとも思っているんです。できるところから、少しづつ形にしたいですね。


桜の下でご家族と記念写真(デニムの帽子をかぶっている方が下鳥さん)
(編集:横山麻衣子/執筆:大島 爽)