日本の学校にエディブル教育を・田辺綾子さん

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公開日 2022.12.25

教育にはさまざまな課題と関わり方があります。今回は、「エディブル教育」を日本の学校に導入することで、子どもにとっても先生にとっても良い教育環境が作れるのではないかと、岡山で活動されているエディブル・エデュケーション岡山研究会の田辺綾子(たなべりょうこ)さんをご紹介します。

 

田辺さんのお仕事

エディブル教育を日本に広める

――田辺さんはどんなお仕事をされているのでしょうか?

 

エディブル・エデュケーション岡山研究会の代表を務めています。エディブル教育という教育メソッドを国内で広げようという、有志が集まっている任意団体です。

 

――エディブル教育とはどのような教育ですか?

 

エディブルとは、直訳すると「食べられる」という意味です。エディブル教育は、菜園や畑を使ったアメリカ発祥のメソッドなんです。

 

始めたのは、米国スローフードの母と呼ばれ、オーガニックレストランのオーナーであるアリス・ウォータースさん。彼女が、荒れている中学校の校長先生から「どうしたらこの学校が良くなるだろうか」と相談を受けて、「学校の中に畑を作ってみたらどうか」と提案したことが始まりです。

 

子どもたちが作物を育て、育てたものをみんなで食べる。食を通じて、子どもたちが何かを見つけられるようになったら、何かが変わるんじゃないかと提案したんです。エディブル教育は、学校で始まったので「エディブル・スクールヤード」という名前でも広まっています。アメリカでは多くの学校で、正規の授業として導入されています。日本でも広めたいと、東京で一般社団法人が立ち上がりました。「岡山でもやりたい」と思って研修に参加し、任意団体を立ち上げて今に至ります。

 

――岡山のエディブル・スクールヤードではどんなことをしているのですか?

 

小学1年生から6年生を対象に、畑を作っています。もともと農家だった我が家の土地を畑にして、モデルガーデンと呼んでいて、月に1度開放しているんです。

 

畑の作り方にはいろんなやり方があります。岡山では、異学年が混ざったグループになって活動していて、種をまいたり苗を植えたりして、自分たちの食べたい野菜を植えます。私は景観的にも美しい畑を作りたいと思っているので、お花と野菜を混植した畑を子どもたちと作っているんです。

 

私は教員免許を持っていて、指導案やカリキュラムの作り方をある程度わかっているので、自分のスタイルのカリキュラムやプログラムを作るようにしています。

 

――そうなのですね!

 

自分たちで鍬(くわ)を持って耕すところから始めるんですよ。

 

意外とね、みんな持ったことがなくって。「くわ」という名前すら知らないんですよね。インターネットやテレビでは見たことがあっても、実際にやってみると全然違う。「重たい」とか、いろんなことを子どもたちが感じながら畑作りを始めるんです。

 

――育った野菜は、その後どうなるのですか?

 

みんなでお料理をして食べるんですよ。お昼を挟んで活動するので、ランチタイムにサラダを作ることもあります。とれたての野菜をその場でみんなで洗って、レタスだったらちぎって、ドレッシングも手作りして。ドレッシングは酢と油で混ぜて作るんですが、乳化するまでしっかり混ぜないといけません。「乳化」というキーワードがあることで理科の要素が入ります。畑づくりのいろんな部分が全て学びに繋がるように組まれているんです。

 

ちなみに東京の場合は、小学校がマンモス校なので、学年ごとに授業がわかれていて、今日は4年生の大豆の授業をやり、次の日は6年生に光合成の授業をやるといったプログラムの作り方になっています。

 

本来は、学校の校庭に作るのが理想です。実は今年の春まで、倉敷の公立小学校に入らせていただいていたんですが、児童数が少なくて休校になってしまったので、今は学校では実践できていない状態です。只今、新たな実践校を募集中です。

 

取り組みの背景と課題

直面した子どもの実体験不足

――田辺さんが広めたいと思ったきっかけは何だったのですか?

 

私はもともと音楽教室の先生でした。たくさんの子どもたちと一緒に過ごしてきたなかで、子どもたちへの教えにくさを感じて、すごく悩んでいた時期があるんです。「自分の教え方が下手なんじゃないか。向いてないのかな」と、廃業を考えるぐらい悩んでいました。

 

それは、子どもたちの語彙の少なさや想像力に弱さを感じていたからです。音楽では、曲想(楽曲のイメージ)をつけていくときに、子どもたちといろんな話をします。その会話がどうしても浸透していかないと感じていました。

 

――会話が続かないということでしょうか?

 

はい。たとえば、「この曲は、森の中のこんな雰囲気で作られているって、イメージをしてごらん」と言っても、そもそも森に行ったことがない子はイメージがわかないんです。

 

話の文脈を想像する力がどんどん落ちていることを感じていたんですよね。それはなぜか考え続けた結果、子どもたちの実体験が少なくなっているからだと。その頃、学校の現場の問題も見聞きしていました。

 

――どんな問題でしょうか?

 

たとえば「小1プロブレム」。子どもたちがずっと椅子に座っていられない。先生の話を聞く姿勢ができていない。そんな状況のまま小学1年生になって、先生が疲弊してしまうという現象を「小1プロブレム」といいます。

 

そういうことを見聞きしていて、「私、音楽教育だけをやっている場合じゃないな」と強く感じるようになりました。そんなときにエディブル・エデュケーションに出会って、何かヒントがあるんじゃないかなって。体を動かして、土に触れて、作物に触れて、と活動するなかから何か子どもたちに伝わるものがあると思いました。やっぱり効果てきめんだったんですよね。

 

――どんな効果があったのですか?

 

子どもたちは実体験を通すことで、「何でこれをしなくてはいけないのか」ということを理解して納得するんです。人の話も自然と聞けるようになります。たとえば、植物の光合成の話を理科の授業で習っても、「そういうものなんだ。でも僕には関係ないや」「覚えたからって何の得があるの?」と思う子も少なくないでしょう。

 

けれど、畑をやっていると「光合成をしないとお野菜は育たないんだ。僕たち、食べられないんだ」という体験をします。実感した後に理科で習うと「このあいだエディブルでやったやつだ。なるほど」といったように先生の話が聞けるんですよね。先生の話をちゃんと聞きなさいと言わなくても、主体的に話が聞ける。アクティブラーニングは必要で、何も考えず体を動かすほうが早いと実感しています。

 

日本の学校に適したエディブル教育の形を模索中

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――エディブル教育が日本の学校に導入されることを目指すうえでの課題は何でしょうか?

 

日本の学習指導要領にフィットするカリキュラムを、たくさん作ってストックする必要があると感じています。

 

エディブル教育はアメリカから入ったプログラムで、アメリカの授業のスタイルと日本の授業とは違うので、日本ならではのカリキュラムが必要です。全ての教科と畑の作物がどうリンクできるかということをいつも考えているし、カリキュラムは6学年分必要になります。1年生と6年生とでは、畑で学ぶ様子が全然違いますし、語彙も解像度も違うので、そういう意味でもカリキュラムのストックが圧倒的に足りないんですよ。

 

学校の先生と一緒にプログラムを作るという機会も、まだまだ少ないなと感じています。

 

活動で大切にしていること

子どもが「自律」し、「自立」できるように

――お仕事の中で田辺さんが大切にされていることはありますか?

 

エディブル教育を始めるにあたって目標にしたのが、子どもたちが「じりつ」するということです。「じりつ」という言葉には二通りあって、自分を律するという漢字の「自律」と、自分で立つという漢字の「自立」。この二つができるようになるためにということをすごく大事に思って立ち上げました。

 

――「自立」と「自律」、田辺さんはどういう違いがあると考えていますか?

 

まずは、「自律」ができるようにということを考えています。自分の頭で考えられるということ。今の子どもたちはいろんなことを与えられすぎて、何をしたらいいのか分からなくなっている子がとても多いと感じています。音楽教室の先生をしていたので、子どもたちがレッスンの合間にポロッと漏らしている言葉からそう感じることがよくあって。

 

――どんなことを漏らしていたんですか?

 

幼稚園生から高校生まで通ってくれる子は、幼いころから思春期になるまでの成長過程をそばで見ています。受験が間近に迫るとみんな悩むんですよ。それまでは、なんとなく先のことと思っていた自分の将来を決めなきゃいけない。「受験が来たけど自分は何がやりたいのかわかんない」「自分の成績の中でしか行ける学校を選ぶことができない」という現実に悩んでいる子がすごく多いんです。

 

その姿をずっと見ているので、子どもたちが小さいときからいろんなことを自分の頭で考えて、選択肢を持って、自分で選んでいけるようになることが必要だなと思っています。

 

そこで、自分を律する「自律」ができないと、自分の足で立つこともできないと思っているので、自分で立つ「自立」は「自律」の次に出てくることだと私は考えています。

 

――なるほど。エディブル・スクールヤードの中のどんなことが、二つの「じりつ」に繋がっているのでしょうか?

 

野菜を育てるとき、いつも順調に育つわけではないんですよ。今年、トマトをたくさん作ってケチャップをみんなで作ろうという計画を立てていたんですが、この夏の猛暑でトマトが病気になって全滅したんです。

 

――そうなのですか!

 

全部枯れちゃって、一つも取れなかった。普通だったら「残念だね」という話になるけど、「なんで枯れたんだろうね」と問いにしたんですよね。

 

子どもたちに事前にインターネットで調べてもらってきたり、図鑑で調べる子もいたりしました。私からも情報提供してあげました。トマトは冷涼なところが原産なんですよね。だから、暑すぎる環境はトマトに合わないんです。夏野菜だから夏に強いと思っている人が多いけれど、原産地はそうではない。

 

そういうことも理科や地理のお話に繋がっていく学びになります。学んだうえで「今年は暑すぎたから、それは実がならないよね」と話すと子どもたちも納得していました。

 

今回のように、問題が起きたときに「もうだめだ」で諦めるんじゃなくて「なんでだろう」と考えて、自分たちで原因を突き止めて、「その後どうする?」と考える。このプロセスを繰り返し体験することで、自分の頭で考えることができるようになります。

 

余白が自律・自立につながる

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――あらためて、エディブル教育は子どもたちに何を与えていると思いますか?

 

まず、自分が生きていくうえで、選択肢を広げる眼鏡を持つことができると思っています。
あと、大人になってから嫌なことやつらいことがあったときに、それを過去の小さな自分が支えてくれるといいなとも思います。

 

――過去の自分が支えてくれる。自分で考えて自立していくことにつながりそうですね。最後に中高生にメッセージをお願いできますか?

 

「あんまり周りの目を気にしないで生きられたらいいね」と伝えたいです。

 

学校では友達同士や先生、家に帰れば親や兄弟姉妹との関係があるなかで、常に誰かの目を意識しながら自分の振る舞いを決めなきゃいけないと感じている子が多いと思います。周りの目ばかり気にしていると、いつの間にか自分のことをゆっくり考える時間や余裕がなくなってしまいますよね。

 

子どもにも大人にも伝えたいことなんですけど、「何かしなくちゃいけない」じゃなくて、「何をしないようにしたほうがいいのか」を考える余白が大事だと思います。

 

植物は、何もやらなさ過ぎても枯れるんですが、やりすぎても枯れるんですよ。だから、ちょうどいいところを知らないといけないんだけど、みんな、「『ちょうどいい』ってどれぐらいなの」と答えを知りたがるんですよね。でも答えはケースバイケース。人にも同じことが言えると思います。

 

中高生には、何もせずにボーッとしたりほっとしたりする時間を持ってもらえたらいいなと思います。そうした意味で、自然の中に身を置くのはオススメですよ。寄り添ってもくれるし、ある程度放っておいてもくれるし、『ちょうどいい』んです。

 

(編集:金城奈々恵)

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