寄り道コースを駆け抜ける工場長・小佐野智彰さん

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公開日 2021.09.21

皆さんの食卓にも出てくる餃子。その餃子の皮は、もしかしたら小佐野さんが勤める会社の工場で作られたものかもしれません。
この記事では、全国で販売されているスープ類や中華皮を製造している食品メーカーの工場長・小佐野智彰さんに取材しました!

 

小佐野さんのお仕事

食品工場の工場長として人材育成など

——小佐野さんはどんなお仕事をしていますか?

 

食品工場の工場長をしています。中華皮やスープ類を製造している食品メーカーで、工場は津山市にあります。私は物を作るというよりも、工場の全体運営や総務関連、人材育成の仕事をしています。

 

労務環境を整えるために規則を変更したり、新しく雇う社員の面接を担当したりしています。また、カウンセラーの資格を持っているので、社員のメンタル相談も受けています。

 

——ずばり、仕事のやりがいは何ですか?

 

会社の社員は家族だと思っているので、社員の喜びが自分の喜びですね。自分が過去に面接した社員は4年目になり、今は会社の中心メンバーとして活躍しています。彼らが結婚したり妊娠して家庭を築いたりするのを見ていると、制服を着ていた頃の子たちが懐かしく、「この子達のためにもがんばろう。」と思います。

 

寄り道して失敗、でもそれが近道だったり

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——小佐野さんの心が動く瞬間はどんなときですか?

 

40歳を過ぎれば人の生死に向き合う機会も増え、色んな経験をした人と出会います。その度に、自分が健康で好きなことができる時間、つまりゴールデンタイムはいつまであるのかを考えていますね。

 

そんなことを考えているので、人と話して色んな話を聞くと、常に心は動きます。お互いに共通の「知っている!」ということがあったり、通じ合えたりする瞬間とか。

 

——「寄り道が一番の近道」、その心は?

 

やはり年を重ねて年下に伝えられることがたくさんあります。色んな失敗や体験をしてきた自分だから話せる言葉があり、自分が経験したことは自分の言葉で語れるので、説得力がありますよね。寄り道して失敗した方が、一番の近道なんです。

 

たくさん挑戦して、失敗して、時間はかかるけれど、その分得られるものがたくさんあって、自分の経験として語れるものが多くなります。自分自身の人生観を持った人は何事にも一貫していますよね。最初から成功ばかりを求めてスタートダッシュすると、すぐに疲れちゃいますから。マラソンと同じですね。

 

——なるほど、寄り道すると迷って困ったり、障害物に出会ったりすることもあるけれど、その分多くの収穫を得られますね。まずは体験してから身につけることがあると感じます。

 

 

小佐野さんの脳内

脳内グラフとは、小佐野さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。

遊び 50%

家族半分遊び半分です。遊びも真剣にやっているんです。というのも、遊ぶことから学ぶことはたくさんあるんです。遊びながら自分の興味関心がどこかを探すことに、重きをおいています。ある意味宝探しみたいで、仕事にも繋がります。

 

本を読んで知識を得るのではなく、まず体験してから身につけることを意識しています。例えば、話すことが上手くなりたいと思ったら、電気屋さんで何かを買う時に、あえて電化製品の詳細を聞いたり価格のことを質問したり、仕事仲間以外の人とのコミュニケーションをとったりすることを意識しました。

 

——遊びの中には何が占めていますか?

 

遊びの中身は、まず仕事。究極の責任が生じると理解した上で楽しむようにしています。仕事もやらないといけないことだと思ってしまうと、視野が狭くなり、思うようにできません。いかに楽しめて、やりがいを感じられるかがポイントです。

 

あとは、マラソンや車があります。マラソンを始めたのは39歳の時です。最初は5キロから始めて、騙されてもっと長い距離走っていたら、ハマってしまいました。

 

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家族 50%

僕の良いところも悪いところもすべて知っているのが家族。妻は高3の時から付き合っていたので、中高時代の僕を知っているのは彼女と親だけです。ろくに勉強もせずサッカーに夢中で、浪人して、入社して、営業部で働いて…今では工場長を任されて、信じられないよねって話を、いつも二人で飲みながら話しています。

 

——2か月に1度家族の元に帰ると、高3の息子さんに伝えていることがあるそうですね。

 

ただ単に大学行って、就職することが人生のすべてじゃないよ。通信制の大学に通って、色んなバイトして、やってみたい仕事をバイトからはじめるのもアリなんだよ。」と伝えています。大学を卒業しても就職できなかったり、色んな人を見てきたから言える言葉があります。自分の人生は自分で決めるものだから、最終的に責任を取るのは自分だよ、と息子を元気づけています。

 

レールの選択肢は伝えてあげられるけど、レールは絶対に敷きません。「ゲームしちゃダメ。」とか、「これ買っちゃダメ。」などは絶対に言いません。ゲームも「やりたいだけやりゃいいじゃん。でも絶対朝起きなよ。」と言って、まず体験させます。

 

——まずは体験させることを大事にしているんですね。

 

そうです。そしたら息子は、「夜更かししてのゲームは、朝辛えよ。」と言ってました(笑)

失敗して辛い思いも味わって、まず体験させることを意識しているんです。同じように会社も、自分で責任を取れるものはやらせるようにしています。可能性を摘まないように、最初から否定はしません。

 

小佐野さんのこれまで

第1章 サッカーに夢中な高校時代

高校はサッカーのことばかり考えていて、勉強はあまりしていませんでした。プロサッカー選手になろうとか、安易に考えていました。夏の大会が終わるころ、いつも一緒に行動していた仲間もそれぞれ別の道を行くときに、自分のこれからについて悩みました。

 

自分はこれからどのようにして生きていくのかなって、考え始めました。社会に出て就職するためには、必要最低限の学歴は持っていた方が良いと考えて、進学することを決めました。

 

第2章 1年間の浪人生活

ずっとサッカーばかりしていたこともあってか、大学現役合格はできませんでした。高校卒業後は、駿台予備校で1年間の浪人生活を送りました。朝9時くらいから夜7時くらいまで勉強していました。同級生から高校の教科書を借りて、半年間は予備校生活を送り、残りの半年で受験勉強をして、中央大学商学部に入学できました。大学受験に落ちたことは、かなりしんどい期間でした。

 

第3章 旅での出会い

大学1年生の時に車の免許を取って中古車を買ったので、行動範囲が広くなりました。八ヶ岳にドライブに行ったり、白馬にスノボーしに行ったりしました。色んな人と出会えるのが、旅の醍醐味ですね。遊ばない日はないくらい、遊びました。

 

今の妻である彼女と南伊豆に旅をして、とあるペンションに泊まった時のことです。そこのオーナーが、自信をもって美味しい海の幸をふるまう姿から、自分の生き方にはない豊かさを感じました。お金を稼ぐためという以外の働き方を知ることができて、視野が広くなった瞬間でした。

 

効率や成果ばかりを追い求めて、無駄なものを切り捨てた生き方は、余裕がないように見えました。お金に価値観を求めず、一瞬一瞬の幸せをかみしめる生き方が豊かで良いなと思いましたね。

 

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第4章 バイト尽くしの学生生活

そうは言っても旅にはお金が必要なので、バイトをたくさんしました。サッカーは大学1年で辞めて、複数のバイトをかけもちしました。予備校の事務バイトや魚市場、スーパーのレジや品出し、色んな世代の人たちと関わって、たくさん話をしました。

この経験が就職してから役立ちました。岡山県内の大学に求人募集しに行ったり、企業の商品を試食販売したり、人前で話すことが多かったのです。

 

第5章 20年以上勤め続ける

バイトを通して話すことが好きだったので、営業の仕事に就こうと考えました。食品メーカー、化粧品、シャンプー石鹸など生活に不可欠な製品を作る職業に携わることを考えて、今の会社を志望しました。2001年当時は就活氷河期だったので、80社受けても3つしか受かりませんでした。

 

かれこれ20年間、今の会社に勤めています。入社した時は営業職に配属されて6年間、人事に異動して10年間、総務・労務を4年間経て、2021年から津山工場の工場長になりました。2022年の4月に東京から単身津山市に引っ越してきました。工場ができる1年前から津山市に挨拶しに行ったり、津山の人々との関係づくりをして、工場完成に向けての準備をしていましたね。

 

(編集:森分志学)

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