お坊さんってどんなことをして、どんなことを考えているのか、気になりませんか?
津山市にある長安寺の副住職・久保泰道(くぼたいどう)さんにお話をうかがいました!
目次
久保さんのお仕事
お坊さんとして法要に勤めたり
――久保さんはどんなお仕事をしていますか?
――僧侶ってどうやってなるのですか?
久保さんの脳内
脳内グラフとは、久保さんの頭の中を垣間見て、その割合を数値化したもの。どんなことを日々考えているのか聞いてみたいと思います。
お寺のこと 40%
——いつ頃から学びたい!と思うようになったんですか?
家族 35%
例えば、赤ちゃんは言葉でものを捉えていない。それがすごいと思って。ほかにも、理由があって泣いているのか、自分が泣いているという状況に泣いているのか、僕たちには分からないじゃないですか。そういうところも面白いなって思いますね。
おもろいこと 35%
つらいことがあったときに、マンガの主人公ならどう乗り越えるか考えてみるとか。フラットな状態で見てみたら、意外とどうってことないなって思えることもある。この視点を持っていると、常に楽しく過ごしていられるし、僕もそれで色々と乗り切ってきましたね。
——あれ、合わせて110%になってますね。
久保さんのこれまで
第1章 お坊さんになりたくない
子どもの頃から「自分はお坊さんになるんだな」とはなんとなく思ってました。周りの大人にも、「跡取りさんやねー」とか言われていたし。長安寺の住職である父も、そのつもりで育てていたんだと思います。でも僕は、お坊さんになりたいとは思っていなかったですね。正直、どっちかというと嫌だった。
10歳くらいの時に、「得度」というお坊さんになる儀式をして、そこで頭を剃るんです。次の日学校に行くと、友達はみんな髪の毛があるのに僕だけなくて。人と違うことで周りからどう見られるかが嫌だった。これが原因でいじめの標的にされたら怖いな、という気持ちはありました。
第2章 違うっていいな
小学生の頃は周りと違うことが嫌で仕方なかったんですが、中学生ぐらいから、周りと違うことがいいなと思えるようになりました。中学校って小学校よりも生徒の数が増えるじゃないですか。その中には変なやつっていっぱいいるし、変な在り方もオッケーなんだと分かってきた。「僕もこれでいいんだ、もっと自分を出していいんだ」と思えるようになってから、どんどん自分が開花していったという感じですね。ただ、当時はまだお坊さんにはなりたくなかったです(笑)
第3章 夢と大学進学
考古学者になりたかったんですよ。インディ・ジョーンズって映画が好きで、「考古学すごいな、やってみたいな」と思ったんです。それで一応、考古学を勉強できる大学を受験したんですが、落ちちゃって。そこで、考古学者ではなくお坊さんになることに決めて、大学は仏教学部の禅学科に進みました。
第4章 素直でいられること
大学で東京に行ってから、色んな人に出会いました。学生だけじゃなくて、音楽で頑張ってる人もいれば、お笑い芸人しながらバイトやってる人もいる。それぞれ違う価値観を持っていることに気づけました。
大学時代には、すごく素直な友達とも出会いました。当時の僕は、自分を実力以上によく見せようとしていた。高校まで柔道部だったんですけど、「高校の時は俺、インターハイまで行ってさ」という嘘をついたりしてましたね(笑) だから、ありのままでいるその友達と話したときに「素直でいられるってすごくいいなぁ」と思って。その友達の存在は、僕の人生の中で大きかったです。
第5章 大学、人生最大のピンチ
これまでで一番大変な出来事が起こったのも、大学生の時でした。競馬で借金を作っちゃったんですよ。大学で東京へ行く時に、父親に一言だけ言われたのが、「何してもいいけど借金だけはするなよ」だったんです。それを見事にやっちゃって…。実家に帰って土下座して謝ったときに、父親も情けなかったんでしょうね、涙を流していたんです。これほどつらいことはなかったし、未だに忘れられないです。
第6章 厳しい修行と仲間
大学を卒業してから2年間、福井県の永平寺で修行をしていました。それが超体育会系の上下社会で、本当に厳しかった。個人的にキツかったのは、単純に眠い、寒い、腹が減る、ですね。23時に寝て1時半に起きる生活がずっと続いたり、雪の中を裸足にわらじで歩いたり、食事が毎朝お粥にたくあんとごま塩だけだったり。生活に耐えられなくて、途中で逃げ出してしまう人もいましたね。
僕が2年間乗り切れたのは、仲間がいたことがすごく大きいですね。自分ひとりだけだったら、たぶん耐えられなかった。でも仲間がいたから自分も頑張れた。あいつもやってるんだから俺もできるだろうっていう気持ちが、心の助けになったかなと思いますね。
第7章 各地のお寺で
修行生活が終わって、実家の津山でお寺の手伝いをしたあと、25歳の時に北海道のお寺に行きました。人手が足りないので誰か来てくれないかってことで。当時の僕は、お金も何もなかったので、3万円と衣装ケース1個だけ握りしめて行きました。でも、地元の方は僕を受け入れてくれました。なにかあったらすぐバーベキュー食べにおいで、みたいな感じで。すごく良くしてもらったのが印象的でした。
その後は、京都に6年半ぐらい行き、そこで妻と知り合いました。今年で結婚して10年経ちます。去年には子どもも生まれ、楽しく過ごしています。
第8章 みんなに学びを
これからは、誰かが一方的に教えるのではなく、自分自身から学び、それを共有できる場っていうのを作っていきたいと思っています。僕自身、自分を探究することを面白いと思うようになってから、仏教に興味を持ち始めたんです。
僕らって、何か物事が起きた時に、瞬間的に良いとか悪いとか判断しちゃうじゃないですか。その部分の判断をコントロールせずに、起きたこと、思い浮かんできたことをそのまま流す、というイメージですね。こうすることで、自分自身を見つめ直して新たな一面に気づくことができ、生き方そのものにもつながってくるんじゃないかなと思います。
また、多様な宗派の若手のお坊さんが集まる城西若僧会で、地域と関わる活動もしています。花まつり(お釈迦様の誕生日の4月8日)では、御朱印をスタンプラリーのように楽しく集めてもらうイベントを行いました。地域のお祭りでは、「明るい悩み相談室」というのもやりました。色んな年代の方の、普段聞けないような悩みを聞けるのがすごいと思いましたね。悩みを話すことってなかなかないので。