地元を豊かに!久米南町役場職員・中村英之さん

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「公務員を目指してはいるけど、なりたい理由は漠然としている。このままでいいのかな。」と不安を抱いている人もいるのではないでしょうか。

 

今回は、地元の役場で働きたいと思いながらも、大学卒業後は建設会社で働き、その後久米南町役場の職員になった中村英之(なかむらひでゆき)さんにインタビューします!

 

【現在の中村さん】

Q1.現在はどんな仕事をしていますか?

今は、久米南町役場の産業振興課で、地域づくりや移住定住に関する仕事をしています。

地域おこし協力隊って聞いたことあるかな。都市部から来る人に、久米南町に住んでもらって、久米南町の方と一緒にいろんな分野でのまちづくりをしています。

あと、久米南町の今後を一緒に考えていく活動にも、地域の方と一緒に取り組んでいますね。他には、空き家対策や農業、林業、観光、商工業関係の企業誘致なども担当しています。

 


以前は、2年間ほど岡山県庁へ出向して県庁でも仕事をしていました。その前は東京で建築会社に勤務していました。

 

ーー定住促進って具体的にはどんなお仕事なんですか?

 

定住促進は、久米南町に住みたいという方の相談に答えていく仕事です。久米南町には、年間100件ほどの移住に関する相談があります。相談者は、「古民家で暮らしたい」とか「自然を感じながら暮らしたい」とか、移住して実現したい理想の暮らしのイメージを持っています。

 

僕たちも移住者を増やしたい。でも、単に人の数を増やしたいだけじゃなくて、地域の担い手、地域の歴史や文化をちゃんとわかって、地域で今住んでいる人と協力して生活してくれる人を増やしていきたい。

 

なので、相談者を地域の人に事前に合わせることもします。
ただ単にやりたいことを叶えてもらうのではなくて、久米南町の力になってくれるような関係になるように、地域とつながってもらうことも大切です。

 

ーー一時期は岡山県庁に出向されて、また久米南町に戻ってこられていますが、県庁に行く前と戻ってからの気持ちの変化はどうでしたか?

 

県庁に行っていた2年間で、けっこう町の中は変わったなと思います。それ以上に、今は面白い人がたくさん久米南町に来てくれていることに可能性を感じています。
その点を線にうまく繋げたいなと思っています。

 

Q2.これから久米南町をどういう町にしていきたいですか?

かっこいい大人がたくさんいる町にしていきたいなと思います。

 

僕、子どもが3人いるんですよ。このまま人口が減っていく予測はありますが、子どもたちには、かっこいい大人や面白い大人がいるという景色を見せたい。

「ここには仕事がないよ。生活するのは難しいよ」とネガティブなことを大人が言うと、子どもは「そうなんだ」って思っちゃうじゃないですか。でも、かっこいい大人がかっこいいことを言ったり、真面目な話を明るく話したりしたら、「面白そう」となる。

 

久米南町にはいい人が本当にたくさんいるんですよ。そんな町で、シンプルにかっこいい大人が増えていけばいいなと思います。

 

【人生の履歴】

久米南町で過ごした10代

 

ーー中村さんはどんな子どもだったんですか?

 

スポーツが好きで、地元の小学校のスポーツ少年団でずっとサッカーをしていましたね。中学校は、もともと町内に1校しかないのでそこに入学して、バスケットボールに没頭していました。

 

小学生のときは児童会長をしたんですよ。集団で何かする時に、「これ、いいんかな」とか「変えたらもっと面白くなるんじゃないかな」っていう、感覚っていうんかな。そういうのがあって。

だから、高校生のときもクラスの代表になっていました。

 

ーーでは、積極的に活動されるタイプだったんですか?

 

興味があることは積極的に活動する感じ、ですかね。
高校のときはサッカー部だったんですけど、勉強はあまり好きではなくて、頑張ることができたらあとは成績をキープするという学生時代でした。

 

ーー大学時代で印象に残っていることはありますか?

 

大学時代は、町内で色んなアルバイトをさせてもらって、そのときに関わる人が増えました。それまで、町内の大人たちとあまり関わっていなかったんですけど、たくさんの人と話して町への考え方が変わりました。役場の職員や町内の色んな方に出会って、町のことを少し知れたように思います。

 

ーーコミュニケーションを取るときに大切にされていたことはありますか?

 

「父方の祖父母も、母方の祖父母も、自営業をしていたのでその姿を見て、「初対面の人にも礼儀正しく」という意識はありますね。

あとは、「あんまり踏み込みすぎないこと」と「あんまり考えすぎずに話しかけること」ですね。それは今でも全然変わらないな。

 

東京で建設会社に就職

 

ーーその後、建設会社に就職されていますが、建設会社に入るきっかけは何だったんですか?

 

大学卒業後は本当は久米南町役場で働こうと思っていたんですが、採用試験がなくて。それで民間で就職しようと思って、運よく受かったのが建設会社でした。東京に配属されて、1年間東京に行きました。

 

ーーいきなり東京で働くことになって、率直にどう思われましたか?

 

せっかく与えてもらったチャンスなので、「自分のキャリアとして、一回東京を経験するのはありやなぁ」と思って行きましたね。地元に帰るという気持ちがあったから行けたと思います。

 

ーー東京で生活されてみて、久米南町との違いはありましたか?

 

東京での生活は短かったですが、東京で自分自身が家族を持って暮らしていくイメージを僕は持てなかった。
「生活するなら、生まれ育った自分がよく知っている地元がいいな」という気持ちがあったので。

 

久米南町役場の職員となって

 

ーー東京から久米南町に戻られて、心境に変化はありましたか?

 

ジャンル的に建設業と役場の仕事は全然違うんですが、役場に入って最初に感じたのは、「自分の仕事が人の生活に直結する」ということでした。

 

久米南町役場に入庁して最初の仕事は、福祉の分野だったんです。建設業は道路などをつくるという点では生活に直結するけど、ものを作って住民に提供するので、直接住民とやりとりすることはないんですよ。でも役場の業務は、自分の仕事が直接住民の生活に関わるので、責任感とやりがいをすごく感じます。

 

ーー役場での仕事で印象に残っている出来事は何ですか?

 

久米南町って、ギネス世界記録を持っているほど川柳が有名な町なんです。入庁して4年目の年に、国体の文化版の「国民文化祭」というイベントを任されました。

 

ーーすごいですね!

 

55年目の年は、定住促進の新しい部署を立ち上げることになって、課の立ち上げから解散まで所属していました。国民文化祭や課の立ち上げといった大きいイベント、新しい仕事を担当したことが今の仕事に繋がっています。

 

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