教育を軸に移住したくなる地域づくりを・横山弘毅さん

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この記事では、高梁市で教育DX × 移住したくなる地域づくりを進める横山弘毅(よこやまひろき)さんの生き方に触れていきます!

 

横山さんが今の横山さんになるまで

——横山さん、今日はよろしくお願いします。横山さんの人生のターニングポイントについて教えてください。

小学6年生、父親の会社が倒産する

最初のターニングポイントは小6の時です。僕の父親は旅行関係の小さな会社を営んでいたんですが、それがつぶれてしまって。

 

元々東京に住んでいたんですが、祖父母が横浜にいたので、そこへ引っ越すことになってしまったんです。元々学校の先生になりたいと考えていたのもあったので、そのときから「会社経営って怖いな。やっぱり将来は安定の公務員がいい!」と思うようになりました。

 

槍投げに没頭する高校時代

——じゃあ学校の先生を目指して勉強に励むようになったんですか?

 

それが・・・勉強は全くせず、ずっと部活の陸上に打ち込んでいました。高校では普通の公立校に入学したんですが、部活の顧問の先生が十種競技の学生日本チャンピオンだったんです。その先生のもとで槍投げに没頭しました。

 

すごく熱心な先生で、みんな未経験者からのスタートなのに毎年1人2人はインターハイに出場しちゃうんですよ。強豪校をおさえて下剋上を起こしちゃう。「軍隊か!」って思うほど厳しかったですけど。

 

高校の時の授業や行事の記憶なんて全くないです。文化祭なんてあったっけって今だに思い出せないぐらい(笑)

 

——そこが2つ目のターニングポイントですね!完全に部活漬けの日々(笑)

 

体育学部のトップアスリートたちとの出会い

そうですね。それで迎えた最後の大会、インターハイ出場一歩手前まで行ったんですけど、残念ながら出場権は得られませんでした。

それで競技に未練が残り、リハビリ系の専門学校を検討していた進路を高3の夏で転向、東海大学の体育学部を目指すことにしました。小6以来の勉強なので、英語なんかSVOからのスタート。先生も苦笑いでした。

 

——高3の夏ですよね!?無事に合格できましたか?

 

はい、なんとか合格しました。東海大の体育学部はスポーツ推薦で入学する人がほとんどなので、インターハイ優勝者がゴロゴロいる上に、先生もみんなオリンピック選手です。トップレベルのアスリート達と接する4年間になりました。

これが本当に得がたい経験で、ここが3つ目のターニングポイントです。

 

教育系のベンチャー企業に就職

——学校の先生を目指されてたんですよね。体育学部だから体育の先生になったんですか?

 

そのつもりだったんですけど、実は教育実習に行って「ちょっと違うな」と感じてしまって。体育の先生って、当たり前ですけど全部の分野を教えるじゃないですか。でも、僕はめちゃくちゃ不器用で球技ができなくて。サッカーのリフティングは4回しかできないし。

 

それに、社会人経験なしに先生することにも違和感があったので、就職活動をすることにしました。教育系のベンチャー企業にするか、大手の教育系企業にするかで結構迷いました。

 

——これも大きな人生の分かれ道ですよね。どうやって決めたんですか?

 

「自分はどっちが性に合うかな」って、高校時代と大学時代の環境を振り返って考えました。高校はたたき上げで、大学はエリートぞろい。どちらかというと僕は前者のほうが好みだったので、ベンチャーに行くことにしました。入社したら「体育学部出身なら営業だろ」って、すぐ営業にまわされました(笑)

 

営業から「誰もやったことのない仕事をやる係」に

——やっぱりそういうイメージってあるんですね!営業職はどうでしたか?

 

それが全然できなくて、成績もブッチギリ最下位。あっという間に営業クビになりかけました。陸上競技って個人競技なんでコミュニケーションをそこまで必要としてこなかったんですよね。だから得意じゃなくて。

 

でも、そこから努力して、なんとかできるようになった頃に新しくできたマーケティング部に転属になりました。

 

——そこからずっとマーケティングを?

 

いや、それから社内でずっと「誰もやったことのない仕事をやる係」になったので、色々経験しました。自社のマーケティング、学習塾やパソコンスクールの集客コンサルティング、新卒採用、大学生向けのワークショップも。

 

ほんと冗談抜きで仕事しかしてなくて。朝9時から夜19時まで学生の面接をして、そこから22時までコンサル、ようやくそこからが自分の仕事スタートみたいな。勉強もしてたから1日休むのなんて月1回ぐらいあるかないかでしたね。

 

30歳、突然社長に

それから新規事業の担当もしました。現在の教育×テクノロジー、オンライン教育を2007年から、スマホも出る前で先走りすぎているぐらいの時期からやってましたね。

 

そんな風に新規事業に関わり働きづめの毎日でしたが、2015年に会社が危機的な状況に陥ってしまいます。そんな中、30歳で突然社長になりました(笑)

 

——え!?突然すぎませんか!?危機的状況なのに?

 

これが5つ目のターニングポイントかな?会社の人事や経理の方々がどんどん退職していってしまったので、社員への給与計算など今までとは違うバックオフィスの仕事を必死にやりました。

 

でも、会社が1年経って少し会社が持ち直した時に社長が帰ってきてくださって。それからは、オンライン家庭教師の新規事業やTVのCM作成などをしていました。

 

スタンフォード大学での気づき

2018年にマサチューセッツ州のシリコンバレー視察で、スタンフォード大学に行ったことですね。スタンフォード大学は世界屈指の名門校ですが、学生を見ていると講義中にお絵かきして全然話を聞いてない子もやっぱりいるんですよね。能力的に日本の学生とそこまで違うようには見えないんです。

 

それで視察を続けると、違いは学生の機会にあることに気づきました。彼らは「Meet up」と言うんですが、毎日学内に来る投資家やエンジニア、起業家達と話し合い、アプリを開発するなど実践的な活動をしていたんです。

帰国後、日本の学生にもこうした機会を創れないかと、『教育イノベーターズMeetup』というコミュニティを立ち上げました。

 

高梁市に移住して教育DXを進める

2020年の8月に高梁市のことを知人から聞いたことですね。お盆休みに高梁市を見に行ったんですが、お盆明けには社長に「会社を辞めて移住します」って伝えていました(笑)

 

高梁市に来た理由は、教育を軸に人口減少や地域課題を解決するモデルを創れないかと考えていたからです。その移住後が現在の仕事ですね。古民家リノベに学校のICT改善、高校のコーディネーターと幅広くやっています。

 

ピックアップ!社会人時代のエピソード

新規事業担当・社長時代に学んだ「慣れること」

——前職では本当に多忙な毎日だったんですよね。心は折れなかったんですか?

 

折れますよ。何回も折れました。新規事業なんてうまくいかないことが9割ですから。広告会社に高額なお金を払ったのに全く結果が出ずに「誰が責任とるんだよ」という雰囲気になったり、テレビCMも1回何百万もかかるのに5回やって5回不発になって社内に不穏な空気が流れたり。本当に肩身が狭かった。

 

社長時代は追い詰められていましたし、決めなくちゃいけないことだらけで、きつかったです。そんな時、コンサルティング業務で顧客になってくださっていた社長さんから頂いたアドバイスが心に響きましたね。

 

「社長になると嫌なことがいっぱいあるよ。社員も好き勝手言うし、決断しなきゃいけないけど決めたらああだこうだ言われる。本当に嫌なことしか起きない毎日。だけど大丈夫、慣れるから」

そっか、慣れなんだって(笑)まぁそれも一つの積み重ねかと思って、何度も折れながらやってきました。

 

立ち上がるヒケツは「諦めること」

——心が折れた時に気持ちを切り替えるコツはあるんですか?

 

「ダメだこれ!もうやめやめ!」って1回心の中で諦めることかなぁ。やっぱり自分の健康が一番大事だと思うんです。自分自身を犠牲にするほど追い詰められる必要は全くなくて、本当に辛かったら逃げ出したらいい。

 

でも、1回頭の中で放り出しちゃうと、意外に気持ちがリセットされて切り替わるんです。すると「応援してくれた人や助けてくれた誰かのためにも投げ出せないし、なんとかしてみよう」って踏ん張りが効いてきます。一人コントみたいですけどね(笑)

 

——そうやって立ち上がって新規事業を開拓してきたんですね!

 

僕はよく「未来は決まっている」という話をします。今のデジタル化の波も、そうだったと思うんです。良い教育や、こうなったら絶対いいなっていう体験は、いつか必ず実現するんです。ただ、誰がどのように、どんな手段でするのかは決まっていない。

 

どうやるかはわからないけど、経験則としてみんなが賛同してくれる無難なアイディアは上手くいかない可能性が非常に高い。でも、新しいことはやっぱり周りから反対意見を受けやすい。そういうものだから、人から何を言われても気にすることはないと思うんです。

 

——9割はうまく行かないんですもんね。勉強になります!

 

フォーカス!「自分を変えるためにはどうしたら?」

人間は習慣の動物、はみ出す練習をしよう

——何か新しいことをしようと思っても、マイナス面を考えてしまい思い切った行動ができないことがあるんですが、どうしたらいいでしょうか?

 

まず、新しいことをしようとすると脳がエネルギーを必要とするので、自然と三日坊主になるように体は出来ているんですよ。だから、それを気に病む必要はありません。そこからちょっとはみ出していくのは、やはりこれも慣れで、ちょっとした訓練が必要です。

 

どんな小さなことでも、選択肢があったときには、今までの自分なら選択しない方はどちらかなと考えてみて、それををあえて選ぶ。それを繰り返すんです。時間をかけると人間慣れた方を選んでしまうので、コツはほとんど時間をかけずに決めること。

 

例えばランチのメニュー。僕は訓練のため「2秒で決めろ」と以前言われて、10年間2秒でランチを決断する訓練をしました。そんな小さなことでも10年続ければ3650回決断することができます。そうやって新しいことをしていると、やっぱり人間慣れて来るんです。意識的に行動パターンをずらす練習をしていると、小さなハードルが外れてきますよ。

 

上手くいっている人をみつけて完コピしよう

——営業が苦手だったけど、努力して克服されたという話がありましたが、どんな方法をされたんですか?

 

僕は初対面の軽い会話から何を話していいかわからなかったので、営業の上手い人を見つけて完全にコピーできるように練習しました。上手い人と全く同じ内容を、全く同じ順番で、全く同じように話せば同じ結果が出るはずだと考えて、2時間の営業を全て録音、文字起こしして、先輩に見てもらって。

 

それをひたすら繰り返す中で大事なポイントも掴めるようになって、半年ぐらいコピーの訓練をしたら営業ができるようになっていました。軽い会話のネタも20個くらい用意しておいて、家で全てのパターンを反復練習してました。

 

——なるほど!お手本を自分のものにしていくんですね。

 

モデリングはものすごく肥やしになりますよ。準備しておくことで気も楽になりますし、最初はお手本を見つけることがとても大切だと思います。

 

——そうやって横山さんはちょっと自分を変えていったんですね。

 

高校時代の友人が僕をみたら、もはや別人格だとびっくりされます(笑)

どんなことでも、悲壮感が漂っていると人が集まってこないので、何事も明るく楽しそうにやることが大切だと思います。頑張ってください。

 

——今日は本当にありがとうございました!

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