目次
図解5minダイジェスト
水島こども食堂ミソラ♪の全体像
色々な地域の人たちが関わる






以前のことを言えば、50人から60人を一気に集めてやってたので、お母さんも含めみんなでご飯作って食べ終わったら、子どもたちと一緒に公園でワーッと遊ぶなんて普通にあったので。もちろん子どもとの関わりもあるし、子ども無しではこういう繋がりは生まれなかっただろうなと。


例えば、定年間近の公務員の男性の方も「こういう楽しいイベント好きだから」と言って来てくれてるし、「子育てがひと区切りついたから、子どもたちのために料理でも何でもしたいんです」っていう近所のお母さんとか。




こども食堂の日に合わせて、僕は食べ物をスーパーに取りに行ったりしてるんだけど、冷蔵品がいただけたり。個人で魚の加工品や冷凍品を届けてくれたりする人もいれば、店頭には並べないバナナをダンボール箱いっぱいに譲ってくれる企業さんもいたり。あと、倉敷市社会福祉協議会とも「パントリーボックス」っていう活動をしています。
子どもと関わるときに大切にしていること


極端な言い方をすると、僕がその場ではお父ちゃんなわけよ。僕も料理するからね。みんなで手を合わせてって言ったら、もうみんなだんだん慣れてくると雰囲気ができてるから、「静かにしろ」って言わなくても、自然とそうなるのよ。自然とみんなワイワイしながら、「手を合わせていただきます」って始まるわけです。
よく大人の理想としては「何か手伝いをする」とか「料理を一緒にやりなさい」とか言うけど、そんなの家でやってる子がいるのよ。親ができない、生活が大変な家庭もあるから、小学校5・6年生で”手伝わざるを得ない”という子どももいるからね。それは楽しみでやってない。普段の日常として、ちょっと大変だけど家事をやってる子もいるから、こども食堂では強要しないんです。


ボランティアで参加してくれてる高校生が上手いこと例えるなと思ったのは、世代の階段が全部埋まってるっていう。お母さんが赤ちゃん連れてきて、赤ちゃんに兄弟がいて、小学生もいれば、中学生も高校生のボランティアで来て、大学生も時々ボランティアでいて。社会人もいる、主婦の方、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんまで本当に本当に全部いたのよ。家族っていうのを押し付けたくはないんだけど、遠い親戚の集まりみたいな感じになっていればいいなと思っています。

水島子ども食堂ミソラ♪の場合、「子どもたちにとってこういう場所なんだよね」と、他の人に説明してるときにはどういう風に説明されてるんですか。

みんなが長続きさせられる考え方や生き方、そういう価値をちゃんと引き継いでいこうということ。よく話し合うとかが大事だなと思うので、なるべく色んな世代が集えるようにっていうのを心がけていたからね。

水島こども食堂ミソラ♪の日常
疑似家族的な集団を意識的につくる










みんなにとってのミソラ♪の時間


そこで意図的に、大人とか中高生・大学生からは、一言ずつ感想をもらう。そうすると「自分はここに参加してる」「この意見は大切にされてるんだ」という気持ちになれるから参加意識が芽生えるんですよ。


で、その後彼に変化が起きて、あるもので何とかするっていう方がかっこいいと思ったのかは分からないけど、家でそれをやり始めたんです。「食べ物の大切さを理解した」とお母さんが言ってた。その子がこども食堂で食べ物を受け取るときに、お菓子を分けてくれるようになったんです。前まで「自分だけ」だった子が、「お母さんも食べる?」と言ってくれるようになったと聞いて、そんなことが起きるのかと。もちろん全員が全員、奇跡的な変化みたいな都合のいい話はないと思うんだけども。
井上さんから見える世界
現実はとても切実だからこそ






こども食堂って言ったら、無料もしくは定額で子どもが1人でも安心してくれる食堂という定義がある。それは、最初に始めた人がそう言ってるからリスペクトしてるんだけど、「水島こども食堂ミソラ♪」っていう名前と水島というエリア名については、自分たち独自のものだから。水島という場所の当事者なんだと思う、僕が。水島という町を調べれば調べるほど、自分は当事者なんだって理解できる。
僕は「子どもとほっこりした空間が作りたい」じゃないのよ、多分。






井上さんのしていることとは何か





格差を生まない豊かさを追い求めていきたいと思っています。

今回は「井上さんが見るこども食堂の社会」について、お話伺っていこうと思います。