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工業高校の校長先生・文谷元信さん

この記事では、岡山工業高校で校長として働かれている文谷元信(ぶんや もとのぶ)さんの生き方や教育観に触れていきます!

 

今の道を選んだきっかけ

実は全く学校の先生になるつもりはなかったんです。

私の両親が小学校の先生で、ずっと忙しくしていたからあまり遊んでもらえなかったんですよね。子どもとしては寂しい思いをした時があって、自分は絶対学校の先生にはならないぞと。

 

──そうなんですね!

 

元々は研究者になろうと思っていました。大学4年生で研究室配属になり、ますます研究が楽しくなって、もっと研究したいと大学院へ進みました。

でも、大学院に入ってすぐの4月中旬頃に、高校の時の恩師の先生から電話があって、「岡山で工業化学の先生がいないからならないか」と。

 

そのとき既に製薬会社への内定も決まっていたのですが、本当にお世話になっていた恩師だったのでむげに断るわけにもいかず(笑)、とりあえず教員採用試験を受けることにしました。

あまりにひどい点を取るのも先生に申し訳ないと思い、研究の合間に勉強をして試験を受けたら、合格してしまって。

 

──そこから気持ちが変わられたんですね。

 

合格した時点で「神様が決めてくれた道だな」と気持ちをぱっと切り替えました。

 

先生をするとなると、大学院を中退しないといけないので、残りの時間で成果をしっかりと自分でまとめて先生に提出してサヨナラしようと思って。大学院の研究は残り半年ぐらいでしたが、その半年で1年半分の研究をしてやろうと思いました。

いつまでもずるずると引きずるんじゃなくて、どうせやるなら本気でやるぞと、変な開き直りというか切り替えができたのが、今まで先生を続けられたスタートになったのかなと思いますね。

 

教員として働く中でのこだわり

──教員になってから何年くらいですか?

 

24歳で教員になって今年59歳なので、35年ですね。長くやっています(笑)

 

──自分の核になるこだわりはありますか?

 

どうせなるなら、(日本一とは言わずとも)岡山県の工業高校の先生で一番の先生になろうと思いました。大学院を中退してやり残した感というか、もっと研究したい気持ちは残っていたので。

 

工業高校の授業の中で課題研究という授業があって、生徒が環境イベントに行って発表すると、大人から難しい質問を受けるんですね。当然、いきなり聞かれた生徒は上手に答えられない。自分が前に出てしゃべりたくなる気持ちを抑えて、いざとなったら助け船を出すから頑張ってごらんと促すと、仲間と相談しながら説明内容を必死で考えて答えるんですよね。これを経験すると、わずか1日で一回りも二回りも成長してくれるんですね。上手く答えられなかっても、こちらが指示を出さないのに、次に備えて虎の巻を作るんです。

こういった場が生徒を育てる先生の立ち位置、生徒にとっての学びの場になることに気づいたんです。

 

未来の教育のあるべき姿とは

これはなかなか難しいね(笑)

まず、児童生徒に必要なのは知識と思考力だと思います。知識をガッと入れて高める瞬間も必要だし、それを使って考える瞬間も必要。やらされる勉強ではない、自主的な勉強は苦にならないし、知識が上がっていくと思考が上がっていく。

だからこそ先生の役割って大切だなと思います。

 

──先生の役割が大切。それはどうしてですか?

 

ただ考えてみよう!と投げるだけでは、何をどう考えていいかわからない。「じゃあ○○について、△△の立場になって考えてみよう」とか、「自分でまず考えてそれをグループで共有して広げていこう」とか。先生のファシリテート力が大切になってくると思います。

 

あとは、先生の弱点の一つが、学校外の人とのつながりが弱いということ。

先生は名刺を持っている方が少ない。つまり他の業界の人とつながる機会が少ない。そういった先生が、社会のことや就職して働くことなどをちゃんと話せるのか。そして、生徒を学校の外の社会とつなげることができるのか。これからの学校の先生は、それではもう通用しなくなっている。

まずは先生自身が、学校の外と積極的につながることが大切だと思います。

 

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